田園風景の中にある遊園地。子供達の声が響き渡る。ドイツ北部のテーマパーク「ワンダーランド・カルカー」。年間50万人が集う施設は、実は閉鎖された高速増殖炉(日本で言う”もんじゅ”)だ。メリーゴーランドやジェットコースターに囲まれた、高さ40mのシンボルタワーはもとは原発の冷却塔。中は空洞で、巨大回転ブランコのアトラクションが子どもに大人気だ。

原発の冷却塔を再利用した巨大な回転ブランコ 遊園地と核施設が共存するアトラクションだ(提供:海南友子)
原発の冷却塔を再利用した巨大な回転ブランコ 遊園地と核施設が共存するアトラクションだ(提供:海南友子)

1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故から今年で35年。ここは事故後に欧州でおきたエネルギー転換を象徴する遊園地だ。きっかけは4人の子を持つパパの小さな問いかけだった。福島での原発事故をへた日本に、この遊園地が問いかけるものとは?

◼「遊園地」と「核施設」が、時空を超え同居する不思議な光景

 係員カール・ハインツ・ロットマンさんの案内で園内をまわる。彼はもともと高速増殖炉で勤務していた。55haの敷地の片隅に残るのは原子炉建屋の廃墟。壁の厚さは2mで核物質を扱う建物だと再確認させる。

原子炉建屋の中を案内するカールさん この裏側に核燃料が入るはずだった場所がある(提供:海南友子)
原子炉建屋の中を案内するカールさん この裏側に核燃料が入るはずだった場所がある(提供:海南友子)

「ここがまさに、核燃料を搬入する予定の場所でした」

崩れ落ちた巨大な穴を覗き込むと、吸い込まれそうな深い闇があった。本来は人が入れない高レベル放射能があったはずの場所だ。カメラをかついでいなければ、怖くて覗き込こめない。

 高層階に残る旧オペレーションルームにはたくさんのスイッチと古いモニター。1960年代のSF映画のセットのような風景は、設計当時のまま時間が止まっていた。

 旧カルカー高速増殖炉は、もんじゅと同じ夢の核施設として戦後に計画された。1971年、農村への経済効果に期待した地元議会が同意。総工費35億ユーロ(約4000億円)をかけてほぼ完成し、あとは核燃料を搬入するだけのところで廃止された。

 きっかけは1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故だ。今日でその発生から35年目を迎える。旧ソ連のチェルノブイリ(現在はウクライナ)で起きたレベル7の事故は死者は31人、強制移住は約13万人。放射能は国境を越えて拡散し、世界各地とりわけ欧州で原発反対の声が巻き起こった。

写真右がヨセフ・マース 一緒に写っているのは子供たち(提供:ウルズラ・ファンディック)
写真右がヨセフ・マース 一緒に写っているのは子供たち(提供:ウルズラ・ファンディック)

◼奇跡は、4児のパパの小さなアクションからはじまった

カルカーで声を上げたのは農家の男たちだ。中心となったヨセフ・マース(1931年生まれ)は4人の子どものパパ。そもそも彼は、チェルノブイリ以前から、土地の強制的な買い上げに疑問を持っていた。《子供の未来のために高速増殖炉を村に作っていいか?》と感じたヨセフは小さなデモを始めた。

ヨセフの娘・ウルズラと孫たち おじいちゃんの写真を見ながら、カルカー遊園地について話す(提供:海南友子)
ヨセフの娘・ウルズラと孫たち おじいちゃんの写真を見ながら、カルカー遊園地について話す(提供:海南友子)

ヨセフの娘、ウルズラ・ファンディック(1969年生まれ)は当時、小学生。「父は“ストップカルカー”というグループを立ち上げ、娘達にも原発がなぜ正しくないか説明しました。当時、村は賛否が拮抗して学校でも友人同士を引き裂く状況でした。実は、チェルノブイリ前までは、父たちは見下げられ警察にも目をつけられていたんです。だけど、父はどんな嫌がらせにも屈せず平和的なアクションを貫きました。私は父を誇りに思います。」

ヨセフのグループは、どうにかして高速増殖炉の稼働を遅らせたいと、裁判所に稼働の差し止めを提訴していた。まさにその最中に、チェルノブイリの事故が起き町の雰囲気が一転。事故後のデモには、ドイツ全土だけでなく隣国オランダからも多くのパパやママたちが参加したのだ。

◼パパたちの声が世の中を動かした 娘から孫へ 引き継がれる思い

ドイツ全土でおきた人々のうねりは政治を動かし、1989年に使用済み核燃料の再処理工場建設計画が廃止。1991年にカルカー高速増殖炉も廃止となった。結局、一度も核燃料を運び込むことなくその使命を終えたのだ。その後、実業家が安く買い取り、ホテルを併設した巨大なテーマパークとなった。

年間50万人がドイツ内外から訪れる。ホテルや会議場、巨大レストランが併設され地域経済の中核をなすテーマパーク。今冬はコロナで一時休園したが5月1日に再開予定(提供:海南友子)
年間50万人がドイツ内外から訪れる。ホテルや会議場、巨大レストランが併設され地域経済の中核をなすテーマパーク。今冬はコロナで一時休園したが5月1日に再開予定(提供:海南友子)

ヨセフの娘のウルズラさんは

「もし、父たちが小さな活動を続けていなければ、早期に核燃料が持ち込まれ、いまは廃墟でしょう。遊園地なんてとんでもないです(笑)父の小さな勇気の種がチェルノブイリ事故を経て大きなうねりとなり、今のカルカーの豊かさがあるのです」

ウルズラさんは、2011年の日本の原発事故のあと、息子(2001年生)と娘(2003年生)を連れて、ドイツでの原発全廃のデモに参加した。出がけに亡くなった父の写真に話しかけた。

「なぜ原発に反対なのか、子どもたちに話すからね。お父さんがしてくれたのと同じように」

人気のマスコット”ケルニー(放射能)ちゃん”だけが、高速増殖炉の名残を残す(提供:wunderlandkalkar )
人気のマスコット”ケルニー(放射能)ちゃん”だけが、高速増殖炉の名残を残す(提供:wunderlandkalkar )

◼チェルノブイリから35年、原発全廃に向かうドイツ 日本が進む道は?

もともと寒村の経済発展のために誘致された高速増殖炉だったが、いま、カルカー遊園地は500人以上の雇用を生み地域経済の柱となった。

 高速増殖炉と遊園地の両方で働いたカールさんに、どちらが良かったかを尋ねた。

「僕はプライドを持って増殖炉で働いていたけど、ドイツは民主主義の国だから。みんなが決めたことには従うしかない。もう、核の時代は終わったんだよ。どっちが好きかって? そりゃ、遊園地のほうがいいさ。楽しいからね」

 核施設の名残は意外なところにあった。遊園地のマスコットのケルニーちゃん。翻訳すると“放射能ちゃん”だ。子供たちに愛されるケルニーちゃんの存在は、できの悪いB級パロディー映画のようだ。

 2011年の福島での原発事故のあと、メルケル政権はドイツの原発全廃を決め、その歩みを進めている。ひるがえって原発事故から10年目の日本に、カルカーのような奇跡の場所が果たしてあるのだろうか?取材を終え、見上げると夕暮れにライトアップされた巨大な旧冷却塔のアトラクション。そのてっぺんで、マスコットのケルニーちゃんが笑っていた。その皮肉な笑顔は私たちに何を投げかけているのだろうか?

(※2016年と2019年の現地取材を元に、21年3月に追加リサーチを加え再構成)