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NYの温暖化対策 ハリケーン被害で本気モード マンハッタンに巨大遮水壁 温暖化と共存する時代(2)

海南友子ドキュメンタリー映画監督
にぎわうタイムズスクエア。2100年に水位は1m上昇するという(撮影:海南友子)

2022年も世界中で記録的な猛暑や山火事、氷河の溶解、土砂災害が頻発し、気候変動の影響が顕著になりつつある。2022年にフルブライト奨学生として米国コロンビア大学で気候変動の専門研究員を務めた筆者が「温暖化を受け入れる時代の到来」についてリポートする。大都市が「温暖化を受け入れて共存する時代」にどのような準備が必要かをニューヨークを例に考える。

■ニューヨークの海面は127cm上昇すると予測した科学者集団

 2100年、ニューヨークのマンハッタンを囲む海岸は127cm(4.17フィート)上昇し、最悪の場合274cm(9フィート)上昇する可能性がある。衝撃的な予測をたてたのは、ニューヨーク市の諮問機関「気候変動に関するニューヨークパネル(NPCC)」だ。NY市だけに特化して、20人の科学者など専門家が短期、長期にわたってニューヨークを気候変動からどう守るかを提言し続けている。名称は国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」にならって付けられた。もし水位が127cm上がったら、ワールドトレードセンター地区の沿岸部と付近の道路は水没する。イタリアの水都ベネチアのようにゴンドラでビルとビルの間を行き来しなければならなくなるかもしれない。ニューヨークのシンボル自由の女神像は、高さが約90mあるため水没とは無関係だが、女神像が立っているリバティー島自体は完全に水没するだろう。

 現在、ニューヨーク市は「気候変動に関するニューヨークパネル(NPCC)」の研究提言を参考に、環境を重視した政策を次々と打ち出している。NPCCの科学的な知見が重要視されるきっかけとなったのは、2012年にニューヨークを襲った巨大ハリケーン・サンディーによる被害だ。

 サンディーは最大風速185 km/hの巨大なハリケーンで北米、中南米各地に甚大な被害を及ぼし、ニューヨークに上陸した。それにより、1821年以来の記録的な高さ約80cmの浸水が街を襲った。米国内の死者は233名。避難指示はNY市内だけで37万人、沿岸部全域ではさらに数十万人に出された。ハリケーン・サンディによるニューヨークの被害額は190億ドルを超え、30万戸以上の家屋に影響を与えたと推定されている。大規模な火災も発生したが、道路が水没して消防車は走れなかった。海抜が低い地域は水害によって地下鉄などのインフラが大きな被害を受け、交通機関の回復までに9日間を要した。

■ハリケーン・サンディーがニューヨークを変えた

「実は、サンディーの前までは、ニューヨーク市は気候変動について真剣に捉えていなかったと思います。2008年に私が市の交通局の会議で、地下鉄の気候変動対策はどうなっているのか?と発言した時、会場全体が「何の話だ?」というリアクションだったことを覚えています。」

 クラウス・ヤコブ教授は、アメリカの名門コロンビア大学のラーモント地球観測所で、40年以上にわたって気候変動を研究している第一人者だ。クラウス教授はその会議の後、気候変動について市と意見を交わす機会を得て、やがて2009年、当時のニューヨーク市長ブルームバーグ氏が立ち上げた「気候変動に関するニューヨークパネル(NPCC)」の設立メンバーとなった。2019年まで10年の間、提言を続けた。

 サンディー上陸の前年の2011年に、クラウス教授たちはNPCCで初めての報告書を出している。まず、大前提として温暖化によって気候変動が激しくなり、ニューヨークではかつてない規模のハリケーン、海面上昇などが起こる可能性を指摘した。その上で気候変動による大災害が起きると、地下鉄など大都市の多くのインフラが、どんな影響を受けるか予測し、物理的、経済的、人的、文化的損失について甚大な被害を警告した。

 この報告書の存在は、翌年のハリケーン・サンディーの被害を抑えるために有効だったと言われている。報告書の予測に基づき、市ではハリケーン上陸の48時間前に地下鉄を閉鎖。報告書で被害が予測されていた地域に技術者をあらかじめ送り、重要な電気設備を先に一時撤去したのだ。これにより、重要インフラが海水で破壊されるのを防ぐことができた。

 クラウス・ヤコブ教授は続ける。

「ニューヨークの地下鉄は100年前に作られた古いものです。もし、私たちの報告書がなければ、地下鉄は壊滅的な打撃を受けて1−2ヶ月休止せざるを得なかったでしょう。でも、休止期間はわずか9日間でした。ニューヨークの経済生産高は1日40 億ドルと言われています。もし2ヶ月、地下鉄が休止したら1000億ドル以上の損失になったでしょう。科学的データに基づいた事前の予測が、人々の命とニューヨーク経済の損失を最小限に抑えたのです。これが、大きな教訓になりました。そして、サンディーの教訓は、気候変動が未来の話ではなく、現在の出来事なのだと、ニューヨークの人間たちに理解させました。」

 筆者は、2022年にフルブライトのジャーナリスト奨学金を得て、コロンビア大学の専門研究員として気候変動の取材をしたのだが「ハリケーン・サンディーが全てを変えた」と言及した研究者は数知れない。サンディー以前から、専門家たちの間だけでは共通認識だった温暖化や気候変動の被害が、ハリケーンの被害によって、ニューヨークの人々に実体験として理解されたということだ。

■NYは「気候変動の影響を受けやすい沿岸」それに適した開発計画「ドライライン・プロジェクト」

 ニューヨーカーたちは、ハリケーン・サンディの後、自分たちの街を「気候変動に伴う影響を受けやすい沿岸地域」という新しい視点で見るようになった。

デンマーク人の建築家ビャルケ・インゲルスの「ドライライン・プロジェクト」の完成イメージ。沿岸部に浸水可能な地域を作り街を守る計画だ(提供:ホルコム財団)
デンマーク人の建築家ビャルケ・インゲルスの「ドライライン・プロジェクト」の完成イメージ。沿岸部に浸水可能な地域を作り街を守る計画だ(提供:ホルコム財団)

 将来の洪水や気候変動から街を守るため、マンハッタンの海岸の開発についてコンペが開催された。そして2016年、デンマーク人の建築家ビャルケ・インゲルスの「ドライライン・プロジェクト」が選定された。プロジェクトの概要は、マンハッタンの南部地域に「ドライライン」というエリアを作ることだ。具体的には、洪水防止施設と商業や公共スペースが複合した12kmの遮水壁の設置だ。計画の柱となる洪水防止施設は「ビッグベンチ」と呼ばれるコンクリート製のシステムで、インフラの役割を果たしつつ、下には公園やオープンスペースがある。低層部を保護するために、壁を巻き上げて洪水を閉じ込め遮断する構造になっている。沿岸部に浸水可能な地区を設け、その途中に重厚なシャッター式の可動壁も設けて、街を守る。プロジェクトの第一段階として、マンハッタンの東側ローワーイーストサイドに約3キロの堤防が建設され、公園、釣り場やプールなど、海岸線と一体化したウォーターフロントになる予定だ。

 NY市は2016年から予算を確保して計画をすすめているが、2023年現在、まだ実現はしてはいない。コロナウイルスの影響もあり、一時的に停滞した状態だ。残念ながら海面上昇に適応した街づくりは、まだ途上にある。

 実は、「ドライライン・プロジェクト」のように沿岸部を守る計画は、米国の他の町でも進行している。たとえば、カリフォルニア州サンフランシスコ。沖合に堰をつくって海面上昇をせき止める計画がある。ロサンゼルスでも、ロサンゼルス湾に高い護岸工事をする方向で動いている。ロサンゼルス市自体は内陸のため水没の影響はないが、沿岸の港は太平洋横断輸送の大動脈であるため保護計画が始まっている。

 かつて筆者が取材したイタリアのベネチアは、海面上昇と水没に苦しみ、イタリア政府が国家の威信をかけて沖合に「モーゼ計画」と呼ばれる可動式の堰をつくった。緊急時に海から立ち上がるその姿を、旧約聖書のモーゼが海を割る逸話にたとえて名付けられた。総工費約55億ユーロ(約6800億円)の壮大な計画は、何度も完成期間が延期され、さらには汚職の温床となり、20年余りの歳月をかけて2020年に完成した。運用開始によって、当面は海面上昇からベネチアをまもる効果が期待されている。ただ、気候変動の進ちょくは不確定で、今後のさらなる海面上昇に有効なのか誰も確実なことは言えない。それと同じように、果たしてニューヨークのドライライン・プロジェクトが成立したとして、どのくらい先まで今のマンハッタンを守れるのだろうか?

■いつまで今のニューヨークがあるのだろうか?

 2019年4月、デブラシオ・ニューヨーク市長は、グリーンニューディール計画を発表。140億ドル(1兆9000億円)の新たな投資等を通じて、CO2などの排出量を2030年までに30%削減し、2050年までにクリーンエネルギー100%へ変換すること、そして温暖化ガスの排出を実質ゼロにするカーボンニュートラル都市を目指すと宣言した。同時に、ニューヨーク市独自で、パリ協定に沿った取組みを行うことを発表。市関連施設では100%クリーンエネルギーに変更し、エネルギー効率が悪いガラス張りのビルの建設禁止などを発表している。矢継ぎ早に温暖化政策を発表しているのは、実際にこの100年間で、ニューヨークの平均気温が2.2度上昇し、海面上昇による高潮被害が沿岸部を襲いはじめているからだ。

 果たして、2100年のニューヨークは一体どのような姿なのだろうか?前述のクラウス教授に、長期的なニューヨークの展望について尋ねてみた。

 「海面上昇の予測を大きく変えることはおそらく難しいでしょう。でも対策は3つあります。1つめは浸水を防ぐこと。そのために湾岸エリアに、頑丈な建造物を建てて防ぐ努力が必要です。2つめは、海岸線に近いエリアに水上都市のようなフローティングコミュニティを作ることです。もともと海抜の低いオランダや東南アジアの国では幅広く行われています。それらをすべて行った上で、最終的には高台への都市機能移転が必要になるでしょう。これは長期的な対策が必要で、とても根気がいることですね。私たちの予測では、今世紀末にはおよそ25万人が移住が必要で、他にさらに50万人が移住を推奨されるでしょう。ニューヨーク市の人口は850万人ですから10人に一人は対象になります。」

 巨大ハリケーンからニューヨークのインフラを守る提言をした実績ある科学者の未来予測には信憑性がある。すべてを受け止めるには重い言葉だ。

 世界中の人々を惹きつけてやまない大都市ニューヨーク。2100年の街の姿を考える時、いまと同じ魅力的な街がそこにあるのかどうかは、誰にも分からない。ニューヨークだけでなく、世界の大都市の大半は沿岸部や河口付近に存在している。パリ協定を軸とした国際協力と、私たち一人一人の踏み込んだ行動が、2100年の都市の形を決めることになるのだろう。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人のテーマ支援記事です。オーサーが発案した記事テーマについて、一部執筆費用を負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

ドキュメンタリー映画監督

71年東京生まれ。19歳で是枝裕和のドキュメンタリーに出演し映像の世界へ。NHKを経て独立。07年『川べりのふたり』がサンダンス映画祭で受賞。世界を3周しながら気候変動に揺れる島々を描いた『ビューティフルアイランズ』(EP:是枝裕和)が釜山国際映画祭アジア映画基金賞受賞、日米公開。12年『いわさきちひろ〜27歳の旅立ち』(EP:山田洋次)。3.11後の出産をめぐるセルフドキュメンタリー『抱く{HUG}』(15) 。2022年フルブライト財団のジャーナリスト助成で米国コロンビア大学に専門研究員留学。10代でアジアを放浪。ライフワークは環境問題。趣味はダイビングと歌舞伎。一児の母。京都在住。

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