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「選挙っていつまでも変わらない」自治体初のボートマッチを断念した杉並区「夜の区役所」で語られた言葉

亀松太郎記者/編集者
若者の投票率の低下は社会的な課題となっている(写真:イメージマート)

WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、日本が準決勝進出をかけてイタリアと熱戦を繰り広げた3月16日の夜。同じころ、東京都杉並区の区役所の一室に20代から70代までの12人が集まり、静かに議論していた。

集まったのは、杉並区の「投票率アップ企画委員会」のメンバーとして選ばれた区民たちと、選挙管理委員会の委員・職員だ。そこにいる人々の表情は一様に重かった。それは挫折した企画のいわば「反省会」だったからだ。

「自治体初のボートマッチ」を断念

議論のテーマは「ボートマッチ(投票マッチング)」。選挙の際に有権者がウェブでいくつかの設問に答えると、自分の考えに近い候補者を知ることができるサービスだ。最近はNHKや新聞社などが主に国政選挙で実施しているので、利用したことがある人もいるだろう。

杉並区の選管は、地方自治体として全国で初めて、ボートマッチを導入しようと準備を進めていた。区政に関する20個の設問を考えたのは、公募で選ばれた区民たちである。区民で構成された「投票率アップ企画委員会」の会議は1月から2月にかけて4回開かれた。ときには議論が白熱し、3時間に及ぶこともあったという。

しかし2月14日、総務省から「ボートマッチは選挙運動と認められるおそれがあり、公職選挙法に抵触する可能性がある」という指摘があった。その翌日、杉並区選管は、今年4月の区議選でボートマッチを実施することを断念した。

急転直下の中止決定だった。

それから1カ月が経った3月16日。選管は、投票率アップ企画委員会のメンバーに対して、ボートマッチ中止の経緯を説明する会を開いたのだ。

杉並区役所の一室で開かれた「投票率アップ企画委員会」(撮影・亀松太郎)
杉並区役所の一室で開かれた「投票率アップ企画委員会」(撮影・亀松太郎)

ボートマッチの質問は隠す必要がない

会議では、選管の委員や職員が、総務省の指摘に対する解釈やボートマッチ中止を決めた理由を述べ、企画委員会のメンバーたちへの謝罪の言葉を口にした。

「みなさんに考えていただいた20問の質問は、区民目線の本当にいい質問でした。これが日の目を見ないのは、私たち委員も残念に思っています。本当に申し訳ありませんでした」(本橋正敏・選管委員長)

それを受け、企画委員会のメンバーたちが自らの意見や感想を語った。

まず、ある女性のメンバーが口を開いた。自分たちが考えたボートマッチの設問の取り扱いについて、意見を述べた。

「今回の20問のうち15問は区の実行計画から出ているもので、議員さんたちが区議会で承認しているものです。それ以外の5問は企画委員会の委員から出たものですが、杉並区の施策に沿った非常に常識的な質問。杉並区民からみたら『区がこういうことをやっていたんだね』とわかるような内容です。だから、これらの質問は公開していい。何も隠すことはないと思います」

今回のボートマッチで用いられる予定だった20個の設問はすでに確定していたが、その内容はまだ公表されていない。しかし、杉並区の有権者がこの問題を正しく把握するために、選管は設問の具体的な内容を公表すべきだという意見だ。

企画委員会の別のメンバーからも、こんな声があがった。

「私はガンガン、(設問の内容を)外に出していってもらいたい。そして、(4月の区議選の後に)当選した議員の方にアンケートの形で聞いてみてほしい。その意見をみんなが見えるようにして、この人たちがどういう思いで取り組もうとしていたのかが分かるような資料にできたらいいんじゃないかと思っています」

さらに、同様の意見が続いた。

「自分も、残念な結果になったことを踏まえて、選挙が終わった後に(設問を)公開して、これをどうやって生かしていくのかが大事だと思います。自分たちが考えた質問や会議録を外に伝えていって、(選挙啓発の施策として)どこまでができて、どこまでができないのかをもっと明確にしていけば、次につながるのではないかと思いました」

「今回はとても残念な結果になってしまったと思うんですが、このチャレンジを止めることなく、次の別の施策につなげていけたらいいなと強く思っています」

投票率アップ企画委員会のメンバーは、杉並区の広報誌などを通じて公募された(撮影・亀松太郎)
投票率アップ企画委員会のメンバーは、杉並区の広報誌などを通じて公募された(撮影・亀松太郎)

20%の投票率の民主主義なんて、ありえない

一方、ボートマッチの設問を真剣に議論して決めたのに、立候補予定者に伝える直前に「中止」となってしまったことに対して、無念の気持ちを吐露するメンバーも少なくなかった。ある20代のメンバーはこう語った。

「(総務省の見解が示されたのが)なぜこのタイミングだったのか。これまでの生活では、こういうふうにいきなり挫折してしまうことがなかった。社会ではこんなふうに挫折することもあるんだなと勉強になりました」

杉並区選管が自治体としては異例のボートマッチを実施しようとしたのは、20代などの若年層の投票率を少しでもアップさせたいと考えたためだ。2019年の区議選の投票率は全体で39.5%と半分以下。20代は特に低く、20.4%しかなかった。その点を踏まえて、あるメンバーが指摘する。

「20%の民主主義なんてありえないと、私は思っている。民主主義の危機がいろいろ叫ばれている中で、こういう投票率の低さというのはなんとかしたいと思って、この企画委員会に参加しました。民主主義をどう培っていくかというとき、一番大きなファクターは選挙の投票率だと思う。その点について、議員さんたちにも、もっと問題意識を持ってもらいたいです」

また、若い世代のメンバーからは、現在の選挙制度の問題点を指摘する声も出た。

「候補者の方を知る機会が、選挙公報以外にないのかな、と思います。できればインターネットだと、スマホをいじりがちな私たちにはすごくありがたい、というのがありますね」

「休日とかに選挙カーで大きな音で名前を言うのは、本当に迷惑だなと思います。そんなことをやるよりも、ボートマッチをやってくれたほうがよっぽど有権者のためになるのに」

いまでも、インターネットで選挙の候補者の情報を知ることはできる。しかし、各候補者やその支援者がフリースタイルで情報を発信するあまり、有権者が多数の候補者を同じモノサシで比較するのはとても難しい。

そもそも、杉並区議選のように候補者が70〜80人も出馬するような選挙区では、誰が出ているのかを把握するだけで大変なのだ。

杉並区のウェブサイトで「投票マッチング(ボートマッチ)」の中止が伝えられた(撮影・亀松太郎)
杉並区のウェブサイトで「投票マッチング(ボートマッチ)」の中止が伝えられた(撮影・亀松太郎)

選挙だけがいつまでたっても変わらない

本来ならば、新聞などのメディアが候補者を公平に比較して、投票の判断に役立つ情報を提供できればいいが、区議選のレベルになると、メディアもそこまで力を注ぐ余裕がない。

そこで、窮余の策として、杉並区選管はボートマッチという新しい仕掛けに挑もうとしたのだが、総務省から「待った」がかかってしまった。企画委員会のメンバーは「いまも諦めきれない」という表情でこう語る。

「今回のボートマッチ事業は、若年層だけでなく、他の有権者にとっても、杉並区の計画がわかるし、それに対する議員さんの立ち位置もわかる。普通の区民から見たら、すごくいい企画だったはずなんですよね」

あるメンバーからは、ボートマッチは「迷える有権者」にとって有用であるだけでなく、「候補者」にとっても公平な仕組みなのではないかという意見が出た。

選挙では、資金力や知名度の差で、どれだけ有権者にアピールできるかが左右されてしまう面がある。その点、無名の新人も含めて平等に参加できるボートマッチは、選挙の不公平な側面をカバーできるメリットがあるというのだ。

「(ボートマッチを通じて)区が等しく情報を届けてくれれば、候補者にとってもすごく公平なのではないかと思いました」

さまざまな意見や感想が出た杉並区の投票率アップ企画委員会。1時間半近くに及んだ会議の終わり近く、あるメンバーがボソッとつぶやいた。

「ボートマッチでこんなに苦戦するのだから、インターネット投票の実現なんて、ものすごく遠くに感じてしまう。世の中はコロナによって企業や家庭が根本から変わったのに、選挙って、いつまでも変わらないんですね」

記者/編集者

大卒後、朝日新聞記者になるが、3年で退社。法律事務所リサーチャーやJ-CASTニュース記者などを経て、ニコニコ動画のドワンゴへ。ニコニコニュース編集長としてニュースサイトや報道・言論番組を制作した。その後、弁護士ドットコムニュースの編集長として、時事的な話題を法律的な切り口で紹介するニュースコンテンツを制作。さらに、朝日新聞のウェブメディア「DANRO」の創刊編集長を務めた後、同社からメディアを引き取って再び編集長となる。2019年4月〜23年3月、関西大学の特任教授(ネットジャーナリズム論)を担当。現在はフリーランスの記者/編集者として活動しつつ、「あしたメディア研究会」を運営している。

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