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憲法改正で「戦争に行かないと死刑」(石破氏)はじめ、人権が危機に晒される危険

伊藤和子弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

■ 石破発言の衝撃

選挙に入り、憲法改正について自民党首脳は口をつぐんでいたが、15日になって、安倍首相が「9条を改正する」と発言し、改めてその意欲が明らかになった。

そんな折、東京新聞は7月16日に、石破幹事長が「戦争に行かないと死刑」などという、恐ろしい発言をしたことを大きく報じた。

これ、4月のTBS系のBS番組で、それまで誰も問題にしなかったのは不思議だ。とうのTBSも深刻な発言だと思っていなかったのだろうか。

http://www.youtube.com/watch?v=m2BXY8684cg

ここで、石破氏は憲法改正について持論を展開。

自民党が提案している憲法改正では、自衛隊を国防軍にする、という規定がある。

司会者が「自衛隊が国防軍になると、具体的に何が変わるか?」と問われて石破氏は「改正草案に軍事裁判所的なものを創設する規定がある」と指摘。

「『これは国家の独立を守るためだ。出動せよ』と言われたときに、いや行くと死ぬかもしれないし行きたくないなと思う人がいないという保証はどこにもない。だからそれに従えと。それに従わなければ、その国における最高刑に死刑がある国は死刑」「そんな目に遭うぐらいなら、出動命令に従おうっていう。人を信じられないのかと言われるけれど、やっぱり人間性の本質から目を背けちゃいけない」

と言ったという。

憲法9条で戦争を放棄している日本が、憲法改正で、「戦争に行く」と言うこと自体、今ではあり得ない、想像がつかないこと。

しかし、自民党はこの憲法9条を改正して戦争にいくことを目指しているわけで、改正すればそういうことになる。

さらに、「国防軍」のなかの誰かが「戦争に行く」のを拒絶したら死刑、というのは、ショッキングな話だ。

戦争に行かなければ死刑という威嚇をして、戦地に人々を送ろうということが、憲法改正のひとつの核心にある、ということだ。

それが与党幹事長の公式的な発言なのだから、今の政権与党を無条件で支持していれば、日本の近未来にこのようなことが起きる可能性は高いというべきであろう。

私たちはそんな未来を選択するのだろうか。

議論の出発点となる、自民党の憲法改正草案はこちら。

http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf

仕事で忙しい人は見ている暇もないと思うけれど、週末、投票に行く前に、是非一度読んでほしいと思う。

■ 自民党・憲法改正草案にはなんと書いてある?

この自民党改正案、まず憲法9条(改正案)を変える。戦争の放棄は掲げられるけれど自衛権の行使は妨げられない、と書かれている。

その次に9条の2(改正案)という条文案が提案されていて、それが丸ごと国防軍に関する規定となっている。

確かに、9条の2-5で国防軍の「審問所」を設けるとなっている。とはいえ、「戦争に行かないと極刑」などとは書いていないので、そこまでは想定していなかった。

この憲法改正草案、全般的に、現行憲法に比べてあまりにショッキングな条文が多いのだが、「自民党もそこまでひどいことは考えていない」と善解しようという人もいる。しかし、言語の裏に、「戦争に行かないと極刑」などの意図があるとすれば、ほかの部分も、より注意深く「何を意図しているのか」有権者も見ていかなければならないだろう。

では、その国防軍は何ができるのか。自衛だけではない。

9条2の条文によれば、「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため」という自衛権の行使だけでなく、

・「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」

・「公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」という幅広い軍事行動ができるという。

「国際的に協調して行われる活動」には、何の限定もない。例えば国連憲章は、自衛権の行使と、国連安保理の決議による承認を得た軍事行動以外は違法である、と明記しているが、そうした限定すらない。日本の平和憲法は、国連憲章より徹底した平和主義を定める憲法であるが、改正案は、180度後退したものである。

このような条文では、次にイラク戦争みたいな戦争をアメリカが始めれば、国連安保理がこれを承認しなくても、「国防軍」が一緒にイラクに侵略にいくことも理論的には可能となる。リビア、シリア、アフガニスタン、日本の自衛とは関係ないところまで派兵されることになってしまう。

安倍首相は、「侵略の定義」について最近も「国際法上の侵略の定義については様々な議論が行われており、確立された定義があるとは承知していない」(辻元清美議員の質問主意書への答弁http://www.kiyomi.gr.jp/activity/kokkai/inquiry/a/20130605-954.html) と言っているので、それこそ際限のない世界中での軍事行動が可能ではないか、という危険がある。

「そんなことまでしませんよ」というかもしれないが、憲法に歯止めがないのだから、結局時々の政権・政権党が決めてしまうことが可能だ。

そして、国が戦争をする、と決めてしまえば、嫌だと言っても動員される、死刑の威嚇を受けて世界の危険地帯に動員される、ということになってしまうのだ。憲法の縛りはもうなくなるわけだから、危険な戦地で若者が命を落としたり、人を殺したりすることになる。

戦後そういう社会だけは二度とつくらない、と思って守ってきたもの、そのセーフガードがなくなってしまう。

ところでもう一つ、国防軍は、「公の秩序を維持」するために軍事行動することができるが、これもなんだか怖い。

国民が秩序を乱していると判断されたら、国防軍が鎮圧しに来ることも可能ということになる。

昨今のアラブの春などで、日本人も、民衆がデモを拡大させたリビア、シリアなどで、政府軍が武力鎮圧する映像をまざまざとみてきたはずだ。ミャンマーでも軍事政権が民衆のデモを武力鎮圧して市民を虐殺してきたし、中国の天安門事件もそういうものだった。

日本でもそんな事態が起こることを可能とする条文だ。

まるで私たち国際人権団体や国連が批判している軍事独裁政権による武力弾圧が日本でも起きそうで、懸念はつきない。

■  人権保障が大幅に変わる。

ところで、この「公の秩序」という言葉、自民党憲法改正草案のあちこちに出てくる。

これまでの憲法の規定は、人権について「公共の福祉に反しない限り」保障されると書いてあったが、自民党草案には、「公益または公の秩序に反しない限り」保障されると、人権制約の根拠となる文言が変わってくる。

ここにいう公益や公の秩序というのはとても曖昧で、定義が定まっていないので、広範囲に濫用される危険がある。

自民党憲法改正草案QAによると、このように規定を変えるのは、公共の福祉といえば、人権相互の調整理念であるけれど、人権を制約できるのは人権のみではないからだ、とはっきり述べている。

憲法21条は表現の自由を定める大切な規定だけれど、自民党の改正案は以下のように規定する。

1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。

2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。

「公益及び公の秩序を害することを目的とした」活動をしている団体は違法ということになる。

最悪のシナリオだけれど、9条を改正した日本では、戦争も「公益」になりかねないし、日本がもし電力需要のために原発を維持していくと政策決定したら、そうした原発政策も「公益」となるかもしれない。そうすれば、戦争に反対することを目的としたグループ結成、脱原発を目的と市民団体の結成も「公益に反する」と言うことになりかねない。

このほか、

・拷問の絶対的禁止については、改正案では「絶対」の文字が抹消されている。

場合によっては拷問してもよい、というメッセージのようで気になる。

・思想良心の自由の絶対的保障についても、単に「保障する」に変わっている。

・「奴隷的拘束」が禁止されていたけれど、「社会的または経済的関係において身体を拘束されない」という条文になっていて、「それ以外の場合どうなんだ、軍事的にはどうなのだろう? 」などと、真意のわからない改正案が並び、説明もない。

■ 「時代にあわせて変えましょう」に流されないで。

「そこまで? 考え過ぎですよ」という人もいるだろうけれど、石破さんの発言などみていると、そんなに甘くない、ということを改めて感じる。

それに、今までと変わらないなら、何も改正する必要はないはず。改正を必要としている真意は何なのか、明らかにしてもらいたい。

「時代にあわせて変えましょう」とか言われて、「そんなものかな」と有権者もぼーっとしていると、曖昧なまま、気が付いたら本当に「戦争に行かなければ死刑」という時代になってしまうだろう。

憲法の役割は、権力・統治機構による市民生活への介入の限界を定めて、それを明確にし、それによって市民の自由や権利を保障することにあるわけだけれど、このように曖昧な憲法の規定では、どこまで介入され権利が制限されるかわからないし、国は広範な人権制約が可能と言うことになり、国民のほうも委縮して生活しなければならなくなってくる。

もちろん、政府の行為が憲法違反かどうかは裁判所が最終的には決めるわけだが、最高裁が合憲・違憲判断をするまで5~10年くらいはかかるだろう、その間にどんどん物事は進み、自由や人権の制限が日常化している可能性がある。私たちのひとりひとりの人権や自由が関わることなので、敏感になってほしいと思います。

そして、本当に海外の危険な戦地に「死刑」の威嚇で日本の若者を送り出す社会を私たちがつくるのかが問われます。

安倍首相はこの改正案どおりにはしないとか話したそうであるが、いったん、党で決めたものであるから、この改正案がベースになって、参議院選挙後に議論が本格化する危険性は高い。

だいたい与野党で協議したりすると、野党が「悪法だ」と猛反対していた法案でも、修正協議でちょっとだけ修正され、野党も最低限の修正が通ったということで妥協してしまい、通ってしまうことが少なくない。しかし、今回の憲法改正草案のはらむ危険性を考えると、「野党がだらしないね」で終わりにして諦めるレベルの話ではまったくない。

昨日のブログで書いた通り、明日の参議院選挙が終われば、その後三年間国政選挙はない。その間に憲法改正論議が取り返しのつかないところまで進んでしまうことが懸念される。

こうした動きに白紙委任状を出さないよう、有権者のチェック、監視、そして投票行動が重要です。

弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

1994年に弁護士登録。女性、子どもの権利、えん罪事件など、人権問題に関わって活動。米国留学後の2006年、国境を越えて世界の人権問題に取り組む日本発の国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウを立ち上げ、事務局長として国内外で現在進行形の人権侵害の解決を求めて活動中。同時に、弁護士として、女性をはじめ、権利の実現を求める市民の法的問題の解決のために日々活動している。ミモザの森法律事務所(東京)代表。

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