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【卓球】伊藤美誠が応援しなかった本当の理由 「伊藤監督」が選んだ貢献のカタチ

伊藤条太卓球コラムニスト
平野美宇(右)にアドバイスを送る伊藤美誠(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

日本女子の歴史的な中国との大試合で幕を閉じた世界卓球選手権だが、大会中盤に、後味の悪い出来事があった。伊藤美誠が、自身の応援の仕方に対する批判に対して、悔しさを滲ませる投稿を自身のインスタグラムで行ったのだ。

具体的にどう批判されているのかの説明はなかったが「わーわー言えばいいと言うものでもありません。わたしは選手が安心して落ち着いて、戦えるようにわたしらしい応援の仕方をしてるだけです」という「反論」を見ると、おそらくは、伊藤選手があまり一生懸命応援していないように見えるという批判だったのだと思われる。

実際、Xで検索すると、選手が得点したときに伊藤選手だけが立ち上がっていないとか、腕組みをして座っていて偉そうだと批判する投稿が見られたので、これらのことだと思われる。

ごく少数とはいえ、応援にまでケチをつけて投稿をする狭量さには驚かされるが、こうした投稿の背景には、卓球への無理解があると考えられる。

たしかに卓球においてベンチの応援は重要である。指先のわずかな感覚や0コンマ何秒という反応を競うため、精神的な揺れを無視できない。だから選手は叫ぶのだし、それを知る観客はサービスの前には静まり返る。

得点をしたときの味方の喜びの声や、失点をしたときの慰めの声は選手の気持ちを肯定的な方向に誘導し、勇気を奮い起こさせる。そうした応援の効果は疑いない。だからした方が良い。

しかし、それが精神的なものである以上、効果が限定的なものであるのもまた事実である。

卓球選手が試合で直面する困難とは、相手のサービスの回転が分からない、打つコースが分からない、速いボールに身体が反応できない、タイミングが合わない、スイングがぶれたり鈍くなったりするといったものだ。こうした困難に対して「思い切って行け」「大丈夫、大丈夫」と言われたところで役には立たない。

張本美和を見守る伊藤美誠(左)と早田ひな
張本美和を見守る伊藤美誠(左)と早田ひな写真:YUTAKA/アフロスポーツ

こうした場面で役に立つベンチの行為は、応援ではなく「バックに2回打ってからフォアミドルに打った方がいい」「遅いボールを交ぜた方がいい」「下回転を深く送って持ち上げさせて叩くパターンの方がいい」といった具体的なアドバイスである。こうしたアドバイスができるためには全身全霊を傾けてゲームを注視し、分析する必要がある。大声で立ち上がって拍手をし、言葉を発しながらではそれは難しい。今大会、伊藤は「伊藤監督」と形容されたように、こうしたアドバイスをすることに徹していた。実際、上記のアドバイスはいずれも、伊藤が今大会でしたものである。

応援は大切だ。しかしアドバイスも大切である。どちらも大切なのだ。伊藤はそれらのうちのアドバイスに注力していたのにすぎない。見当違いの批判をされたのだから悔しいのも当然であろう。

しかし、伊藤を批判する人たちにこうした理屈を説いても無駄かもしれない。その根底にあるのは、理屈ではなく感情的なもので「味方が試合をしているのに応援しないのか」「他の選手が立って応援しているのに自分だけ座っているのか」という単純な不快感だろうからだ。それは、仲間を思いやる気持ちとか、集団ではみんなと同じ程度に苦労するべきだという日常感覚のモラルにもとづく他罰感情である。

しかし卓球の世界選手権は、日常感覚のモラルを当てはめるべき場所ではない。そこは一種の戦場であり、特殊な場所なのだ。それがそもそもの誤解の元である。

モラルを説く人には本来は悪気はないはずだ。その正義感と善良さを正しい事実認識の上に行使しさえしてくれたなら、卓球観戦はもっと楽しいものとなるだろう。好きで怒っているわけではないのだろうから。

卓球コラムニスト

1964年岩手県奥州市生まれ。中学1年から卓球を始め、高校時代に県ベスト8という微妙な戦績を残す。大学時代に卓球ネクラブームの逆風の中「これでもか」というほど卓球に打ち込む。東北大学工学部修士課程修了後、ソニー株式会社にて商品設計に従事するも、徐々に卓球への情熱が余り始め、なぜか卓球本の収集を始める。それがきっかけで2004年より専門誌『卓球王国』でコラムの執筆を開始。2018年からフリーとなり、地域の小中学生の卓球指導をしながら執筆活動に勤しむ。著書『ようこそ卓球地獄へ』『卓球語辞典』他。「ロックカフェ新宿ロフト」でのトークライブ配信中。チケットは下記「関連サイト」より。

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