Yahoo!ニュース

中国の卓球はなぜこれほど強いのか ”地獄の連続リーグ戦方式”の果てに「なぜ前半に出たいと言わない?」

伊藤条太卓球コラムニスト
中国男子チーム(写真:ロイター/アフロ)

卓球界における中国の強さは別格である。その強さの理由として様々なことが考えられる。人口が多いために超天才が出現する確率が高い、卓球のステイタスが高いために優秀な人材が卓球に集まる、練習方法が優れている、国家の支援を受けている、等々。

それらに加えて見逃せないのが、中国卓球協会の勝利への使命感と、卓球についての深い理解に基づく周到さである。

中国では卓球は国技である。かつて中国初代首相・周恩来は、国技として卓球を選んだ理由を荻村伊智朗(世界選手権金メダル12個、第3代国際卓球連盟会長)に語った。

中国人は、アヘン戦争での敗戦以来、欧米人に劣等感を抱いている。そこで、国民の自信を取り戻す方法として目をつけたのがスポーツだった。卓球なら日本が活躍しているので、同じ体格の中国人でもやれるのではないか。そう考えて卓球に力を入れることにしたのだという(荻村伊智朗著「笑いを忘れた日」卓球王国刊)。

周恩来・中国初代首相
周恩来・中国初代首相写真:ロイター/アフロ

こうして、中国は国をあげて卓球に力を入れ、1950年代の日本に続いて、1960年代から世界の覇者となった。

しかし、複雑・多様な競技である卓球では、勝ち続けることは一度覇権を握ることとは比較にならないほど難しい。日々の進化が激しく不確実性が高いため、常に研究を怠らず、しかも圧倒的な実力差を持たなければならない。強いというだけでは勝ち続けられないのが卓球なのである。

かつて中国男子監督だった劉国梁は、選手が一方的スコアで勝った後でさえ、内容に問題があれば選手の肩を押さえて何十分も説教をした。

北京五輪では、韓国との準決勝を前にした選手たちが「自分は何番に出てもいい」と言い出したことを問題視し「どうして前半に出たいと言わない?何か不安でもあるのか?」と選手を問いつめ、この“問題”についてコーチ陣や選手とミーティングを重ねた(卓球王国2008年12月号)。ほとんど言いがかりとしか思えない話だが、選手の内側に巣食ったほんのわずかな不安が増殖・伝搬し、取り返しのつかない結果につながる卓球競技の恐ろしさを知り抜いているが故の采配である。これが中国指導陣のマネジメントだ。

こうした周到さは、選手選考にも表れている。

元中国ナショナルチームの選手、楊玉華(日本名・大倉峰雄、東北福祉大学准教授)が、筆者のインタビューに答えた記事が卓球王国WEBに掲載されている。

1983年世界選手権男子ダブルスで銅メダルを獲得し、引退後に25歳で東北福祉大学に留学すると、全日本学生選手権で4連覇(戦後唯一)してしまった伝説的選手の声だ。

【参考記事】伝説の男・楊玉華、パリ五輪代表選考を語る

楊玉華(大倉峰雄) 筆者撮影
楊玉華(大倉峰雄) 筆者撮影

楊は、現在日本で行われているパリ五輪代表選考について、代表選手は選考会をするのではなく監督が選ぶべきだと言い切る。それは、サッカーのワールドカップの選手を監督が決めるのと同じことだと言う。

卓球の場合、国内で強い者が国外でも強いとは限らないし、相性が勝敗を左右することがある。そのため、国家の代表たる選手は単純に選考会で決めるのではなく、卓球に対する深い知見と覚悟をもって監督が決めるべきだと言う。実際、楊の時代の中国には選考会などなく、選手はすべて協会が決めていた。

実は最近では中国も選考会を行っている。しかし、そのやり方には、やはり中国指導陣の考え方がよく表れている。

2014年世界選手権東京大会(団体戦)の選考会では、全国24の省・直轄市の代表を決め、その選手たちによる総当たり戦を行い、その上位選手に国家2軍チームの選手を加えてさらに総当たり戦を行った。その上位選手に今度は1軍チームの下位選手を加えてまた総当たり戦を行うといった”地獄の連続リーグ戦方式”が行われ、それは合計8ステージにも及んだ。

ファイナルステージは4日間にわたる12人での総当たり戦となり、優勝した張継科が1人目の代表となった。さらに、2位から9位の8人によるトーナメント戦が行われ、優勝した許昕が2人目の代表となった。これに協会判断で馬龍、樊振東、王皓を加えた5人が代表となった。

これほど夥しい回数の試合を経て、選考会で決めたのは2人だけなのである。理由は明らかだ。団体戦のエントリーは5人までだが、実際は3人で戦うので、万が一、ベストではない2人が代表になっても、ベストの3人を協会が選べるようにリスクヘッジしているのだ。中国が、選手のモチベーションを保ちながらも、いかに慎重に選手を決めているかがわかるだろう。当然、推薦のメンバーを選ぶ際にも検討に検討を重ねたはずだ。

また、経験のある中堅選手と若手を組み合わせることも中国のセオリーだ。極度に緊張した場面では、経験のない者だけでは何が起こるかわからない。実際、1975年から現在まで、中国は女子団体で1991年千葉大会、2010年モスクワ大会の2回だけ敗れているが、そのいずれも新人だけのチームだった。この経験から、中国は新人と中堅を混在させることを選考の要点としている。

もうひとつの象徴的な例を挙げる。2019年世界選手権ブダペスト大会(個人戦)の選考会である。やはりファイナルステージは12人による総当たり戦となり、1位の樊振東と2位の梁靖崑が代表となった。これに協会判断で馬龍、許昕、林高遠を加えた5人が代表となったが、優勝したのは、故障で選考会を欠場していた馬龍だった。もしも選考会だけで選手を決めていたら馬龍は選ばれず、結果的に中国がタイトルを維持できたかどうかわからなかった。中国の指導陣はそんなリスクは決して冒さない。

2019年世界選手権男子シングルス優勝の馬龍(中国)怪我で選考会を欠場していた
2019年世界選手権男子シングルス優勝の馬龍(中国)怪我で選考会を欠場していた写真:アフロスポーツ

言ってしまえば、中国の選考会のファイナルステージに残るような選手たちはいずれも恐ろしく強い。そのため、誰を出しても優勝する可能性は極めて高い。しかし、中国にとって「極めて高い」では不十分なのである。100%でなければならないのだ(だからこそ、それを破った水谷隼/伊藤美誠の混合ダブルス金は途方もない偉業なのである)。

こうした、勝利に向けてあらゆる事態を想定した中国卓球協会の周到さが、それでなくても強い中国の卓球をさらに盤石なものにしているのである。

ひるがえって、わが日本はどうだろう。日本卓球協会は、2022年世界選手権の選手選考で、1人を全日本選手権で決め、残りの4人を1回のトーナメント戦で一発決めするという、全国の卓球人の度肝を抜く奇策に出た。選「考」すらしていないように見えるが、中国に勝って金メダルを獲ることを目標に掲げているのだから、常人には計り知れない深遠な戦略があってのことだろう。中国を攪乱するためかもしれないし「敵を欺くためにはまず味方から」という諺もある。

くれぐれも、選手たちはそうした攪乱作戦に惑わされず、気を確かに持って頑張ってもらいたいものである。

卓球コラムニスト

1964年岩手県奥州市生まれ。中学1年から卓球を始め、高校時代に県ベスト8という微妙な戦績を残す。大学時代に卓球ネクラブームの逆風の中「これでもか」というほど卓球に打ち込む。東北大学工学部修士課程修了後、ソニー株式会社にて商品設計に従事するも、徐々に卓球への情熱が余り始め、なぜか卓球本の収集を始める。それがきっかけで2004年より専門誌『卓球王国』でコラムの執筆を開始。2018年からフリーとなり、地域の小中学生の卓球指導をしながら執筆活動に勤しむ。著書『ようこそ卓球地獄へ』『卓球語辞典』他。「ロックカフェ新宿ロフト」でのトークライブ配信中。チケットは下記「関連サイト」より。

伊藤条太の最近の記事