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【卓球】伊藤美誠はなぜ後ろを向いてサービスを出すのか アームハイドサービスの罪深き名残りとは

伊藤条太卓球コラムニスト
サービスをする伊藤美誠(写真:ロイター/アフロ)

伊藤美誠に限らず、卓球選手のサービスの構えが独特だと思ったことはないだろうか。野球のバッティングやピッチング、テニスのサービスなどでは、横を向いて立って、正面に向きを変えながら打ったり投げたりするのが普通だが、卓球選手のサービスを見ると、ほとんどの選手が真後ろを向くように立っていることがわかる。といって、そこから猛烈に身体を回転させて、その勢いで打っているわけでもない。両足がかなり横を向いたままの状態で打球しており、勢いを利用するどころか、どちらかといえば窮屈そうである。

おまけにルールでは、サービスをするあいだ中、相手からボールを隠してはいけないことになっているので、ボールをトスをした後、その手や腕を大急ぎで身体の外側によけなくてはならず、これがさらに窮屈かつ不自然な格好を強いることになる。

打球後に左手を不自然なまでに後ろに引く伊藤美誠
打球後に左手を不自然なまでに後ろに引く伊藤美誠写真:ロイター/アフロ

なぜ隠してはいけないかと言えば、隠すと威力があり過ぎるからだ。卓球は、ボールの回転がわからなければただの1球もまともに返せないスポーツなのだが、回転は飛び方を見てもわからないので、相手が打つところを見て判断するしかない。それを隠されたら返球はかなり困難となる。そのためのルールなのだ。

それにもかかわらず、卓球選手たちは異様に後ろを向いて構える。右利きの選手であれば、左足を大きく右側に踏み出し、左右の足の位置をラリー中とは完全に入れ替えて構える。こんな体勢でサービスを出したら、よほど意識しない限り、左腕や左肩、頭、場合によっては胴体でボールが相手から隠れてしまうだろう。

左右の足を入れ変えてサービスを出す戸上隼輔
左右の足を入れ変えてサービスを出す戸上隼輔写真:森田直樹/アフロスポーツ

実際、トップ選手の大会でも、これでサービスミスと判定されることが度々あるし、一般愛好者の大会などでは「隠した」「隠してない」でモメることがしょっちゅうである。なぜモメるかといえば、得点に直結する重要な違反であるにもかかわらず、判定が難しいからだ。「ボールが相手から見えたかどうか」を、ネットの横に位置している審判が正確に判定することは不可能である。経験と勘で行うしかない。ましてや審判の資格を持たない選手同士が審判をする一般愛好者の大会では、お互いに隠し放題となったり、クレームをつけ合ったり、酷い場合には、前半はあえて野放しにしておいて勝負所でいきなりクレームをつけて点を取ろうとしたりもする。

サービスでの「隠し球」は、卓球界でもっとも嫌な気持ちにさせられる問題(筆者比)なのである。

サービスを出す水谷隼 相手からボールが見えているかどうかを審判の位置から正確に判断することは不可能だ
サービスを出す水谷隼 相手からボールが見えているかどうかを審判の位置から正確に判断することは不可能だ写真:YUTAKA/アフロスポーツ

サービスを出す馬龍(中国)判定は極めて難しい
サービスを出す馬龍(中国)判定は極めて難しい写真:松尾/アフロスポーツ

審判がわからないのを良いことに、故意にボールを隠している選手もいるだろうが、隠している選手の大半は実は無意識で隠している。後ろを向いて構えているので、自然に隠れてしまうのだ。

それもそのはず、実は現代の卓球選手の構えは、そもそもがボールを隠す目的で生まれたものなのだ。

かつては、後ろを向いて構える選手などいなかった。正面を向いて構えるか、せいぜい真横を向いて構え、そこから身体を回転させて斜め前を向いた状態で打球していたので、ボールが隠れる心配はなかった。

斜め前を向いてサービスを出す郗恩庭(中国、1973年世界チャンピオン) 写真提供=卓球王国
斜め前を向いてサービスを出す郗恩庭(中国、1973年世界チャンピオン) 写真提供=卓球王国

ところが1980年代に、胴体でボールを完全に隠して打って脇の下から送り出すボディハイドサービスというとんでもない技が登場したのだ。あまりの威力にすぐに禁止されたが、腕で隠すアームハイドサービスは許容され、長く残った。隠すこともサービスの技術の一部とされ、いかに上手に隠すかが卓球専門誌で特集されることも度々だった。このときに、より隠しやすいように、卓球選手の構えが現在の形に一斉に変わったのである。

ボディハイドサービスを出す蔡振華(中国、1981年、1983年世界2位) 写真提供=卓球王国
ボディハイドサービスを出す蔡振華(中国、1981年、1983年世界2位) 写真提供=卓球王国

アームハイドサービスを出すティモ・ボル(ドイツ、2011年、2021年世界3位) 写真提供=卓球王国
アームハイドサービスを出すティモ・ボル(ドイツ、2011年、2021年世界3位) 写真提供=卓球王国

やがて、サービスの威力が大きすぎるということで、2002年に隠すことを禁じる現在のルールが導入されたのだが、すでに基本として定着してしまった構えだけがそのまま残った。現在の卓球選手の構えは、すでに禁止され、出すことが適わないアームハイドサービスの名残りなのである。

本人が隠すつもりがなくても、構え自体が”隠す気満々”なのだから、隠れてしまうのであり、むしろ隠さないで出すことの方が難しい状態になってしまっているのだ。

現代の選手たちは、初心者の頃からこの構えを教え込まれるので、これが自然だと感じているだろうが、自然でも何でもない。1900年に卓球が始まって約80年間、そんな構えをする選手はおらず、それで何の不便もなかったのである。かく言う私も選手時代にアームハイドサービスを習得するために途中で構えを変えたのだか、そのときのことをはっきり覚えている。「こんな構えでまともなサービスが出せるのか」と、とてもやりにくかったのだ。しかし、ほどなく慣れてしまった。単なる慣れの問題なのだ。

そこで、こうした問題を解消するため、足の位置をルールで規定することを提案したい。1970年代以前のように、サービスでは右足を左足より右に置く(左足を右足より左に置くでも同じだが)ことを義務づけるのだ。これなら審判の位置から判定がしやすいし、隠し難くなるので、現在のように無意識に隠してしまう選手が続出する事態は避けられる。それでもなお隠し気味のサービスを出した場合は、故意に隠していると考えて良いから、怪しい場合はすべてミスにしてしまえばよい。結果、判定に困るようなサービスは激減するだろう。

選手がお互いに相手のサービスの違反を疑い、審判も自分の判定に不安を持ちながら試合をする現状は、どう考えても楽しいものではない。より公平で楽しい卓球を実現したいものである。

卓球コラムニスト

1964年岩手県奥州市生まれ。中学1年から卓球を始め、高校時代に県ベスト8という微妙な戦績を残す。大学時代に卓球ネクラブームの逆風の中「これでもか」というほど卓球に打ち込む。東北大学工学部修士課程修了後、ソニー株式会社にて商品設計に従事するも、徐々に卓球への情熱が余り始め、なぜか卓球本の収集を始める。それがきっかけで2004年より専門誌『卓球王国』でコラムの執筆を開始。2018年からフリーとなり、地域の小中学生の卓球指導をしながら執筆活動に勤しむ。著書『ようこそ卓球地獄へ』『卓球語辞典』他。「ロックカフェ新宿ロフト」でのトークライブ配信中。チケットは下記「関連サイト」より。

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