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一枚の写真が物語る卓球競技の本質 回転の威力

伊藤条太卓球コラムニスト
石川佳純(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

 東京オリンピック日本代表の石川佳純のプレー。一見どうということのない写真に見えるが、実は卓球競技の本質が見事に現れている。

 それはラケットの角度だ。普通、これほどラケットを寝せて打ったらボールはどの方向に飛ぶだろうか。中学校の理科で習う「光の反射の法則」を思い出すまでもなく、ボールが平面に衝突したとき、普通はその入射角と反射角はだいたい同じになる。

 それを意識した上でもう一度上の写真を見ると、極めて異常なことに気がつくだろう。入射角と反射角が同じになるとすれば、この角度で当てたらボールは真上を通り越して石川の顔の方に飛ぶことになる。とんでもないミスになるはずなのだ。

筆者作成
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 ところが実際にはそうはならない。この場面では相手のボールに激しい「下回転」がかかっているからだ。「下回転」は、ラケットに当たるとボールが下に跳ね返る性質があるため、普通に当てると真下に落ちる。そのため、これだけラケットを上に向けることでやっと相手の方に打ち返すことができるのだ。

筆者作成
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 この場面では、回転がかかっていない場合の反射方向に対して、そのズレは120度にもなっている。回転によってボールが跳ね返る方向がこれほどまでに変わり得るという卓球競技の本質をこの一枚の写真は物語っているのである。

 当然ながら、ラケットをどの程度の角度にすればよいかは相手の回転の「量」によって違ってくる。ほとんど回転がかかっていなければ、普通に跳ね返るのでラケットは立てなくてはならないし、弱い「下回転」なら、中ぐらいに上に向ける必要がある。逆に、上に跳ね返る「上回転」の場合には、ラケットを下に被せる必要がある。

ほとんど回転のないボールを打ち返す石川佳純
ほとんど回転のないボールを打ち返す石川佳純写真:森田直樹/アフロスポーツ

弱い下回転のボールを打ち返す石川佳純
弱い下回転のボールを打ち返す石川佳純写真:西村尚己/アフロスポーツ

弱い上回転のボールを打ち返す石川佳純
弱い上回転のボールを打ち返す石川佳純写真:西村尚己/アフロスポーツ

 相手の打ち方から回転を判断し、瞬時にそれに適したラケットの角度を出せるかどうかが勝敗に直結する。しかも、高く入れたら打ち込まれるから、できればネット上空20センチほどの範囲に入れたい。そのための打ち出し方向の範囲は角度にして10度ほどだ。

これらの写真のように、遅いボールに対してほとんどラケットを振らずに打ち返すだけなら、一見誰でもできそうに見える。実際、打球の瞬間だけ見れば特別に神秘的な技術はない。しかし現実には限られた人にしかできない。まぐれでもない限り、この角度を選択できないからだ。その意味でこれは情報戦なのである。

 そうした卓球競技の回転にまつわる精妙な攻防が、選手のラケットの角度の違いにはっきりと現れている。そしてそれは選手の何万時間もの修練の成果なのだ。

 しかし、こうしたことがテレビのスポーツ番組や試合放送で語られることはほとんどない。「わかりやすさ」を優先して、それらは丸々切り捨てられているのだ。まるで色が抜け落ちたモノクロームの映画のように。それらに千変万化の「回転」という色が加わったとき、卓球報道は色鮮やかに生まれ変わるだろう。そんな日が来るのを楽しみにしている。

卓球コラムニスト

1964年岩手県奥州市生まれ。中学1年から卓球を始め、高校時代に県ベスト8という微妙な戦績を残す。大学時代に卓球ネクラブームの逆風の中「これでもか」というほど卓球に打ち込む。東北大学工学部修士課程修了後、ソニー株式会社にて商品設計に従事するも、徐々に卓球への情熱が余り始め、なぜか卓球本の収集を始める。それがきっかけで2004年より専門誌『卓球王国』でコラムの執筆を開始。2018年からフリーとなり、地域の小中学生の卓球指導をしながら執筆活動に勤しむ。著書『ようこそ卓球地獄へ』『卓球語辞典』他。「ロックカフェ新宿ロフト」でのトークライブ配信中。チケットは下記「関連サイト」より。

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