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「卓球に片思いしてる」「頑張ることができなかったら私は凡人以下」 平野早矢香という卓球選手の記憶

伊藤条太卓球コラムニスト
2018年楽天オープンテニスでの平野早矢香さん(写真:つのだよしお/アフロ)

 14日、2012年ロンドン五輪卓球女子団体銀メダルの平野早矢香さんの結婚が報じられた。これを機にあらためて平野早矢香という選手について振り返ってみたい。

 平野の卓球について考えるとき思うのは、今後、こんな選手を再び見ることはあるのだろうかということだ。全日本選手権で5回優勝し、五輪と世界選手権で銀メダルを獲ったという実績や実力のことではない。実績なら過去にもっと成功した選手がいたし、将来も出てくるだろう。実力なら卓球は進化しているので今のトップ選手のほとんどは平野より強いだろう。にもかかわらず、平野のような選手が再び現れるとはとても思えないのだ。

 卓球では、絶体絶命のピンチからの大逆転や、重要な試合で実力以上の力を発揮するといった試合がしばしば見られる。そういう試合は偶然でも起こるものだが、同じ選手によって何度も、それも特に重要な試合で見せつけられたらどうだろう。それらはもはや偶然とは言えず、その選手には精神力とでも言うしかない特別な力があるとしか考えられない。平野早矢香とはそういう選手だった。

 思えば平野は18歳で全日本選手権で初優勝したときから、マッチポイントを握られてからの逆転勝ちだった。卓球界の表舞台に登場したときからそうだったのだ。

 私が平野の恐るべき力を初めて目の当たりにしたのは、2008年世界選手権広州大会だった。宿敵・韓国戦で2番に出た平野は、文玄晶にゲームカウント0-2と追い詰められた。平野が負ければ日本は0-3で負ける公算が高い。平野はそこから3ゲーム目をジュースの大接戦でもぎ取り、怒涛の攻撃に転じて逆転勝ちした。これほど日本代表選手を頼もしく感じたことはなかった。その後4番に出た平野は、鬼神のようになって相手エースの唐汭序をも叩きのめし、ラストの福原の勝利につなげた。

 同年の北京五輪では、香港戦のラストで、一度も勝ったことのなかった世界ランキング10位の帖雅娜を粉砕した。当時の平野の世界ランキングは20位。平野が勝つと思った人はいなかっただろう。私の平野信仰はゆるぎないものとなった。

 団体戦としては最後の世界選手権出場となった2014年東京大会では、女子団体準決勝の香港戦の3番で呉穎嵐にゲームカウント0-2の4-9から大逆転勝ちし、31年ぶりの決勝進出を果たした。あまりに神がかった勝利に卓球王国のWEB速報は「サヤカ大明神!!」と書いた。あんな試合を見せられたら誰でも拝みたくなる。

神がかった大逆転で呉穎嵐を倒した平野早矢香 どう見てもこの世の人間の顔ではなかった
神がかった大逆転で呉穎嵐を倒した平野早矢香 どう見てもこの世の人間の顔ではなかった写真:アフロスポーツ

 しかし平野の卓球に本当に神が宿ったかのように見えたのは、5度目の優勝となった2009年全日本の決勝だった。中国からの帰化選手で最強カットマンの王輝を一撃で打ち抜く力のない平野は、王輝をオールフォアのドライブで粘って粘って粘り倒した。平野の総打球回数は実に1076回、最終ゲームで促進ルールが適用される壮絶な試合だった。

 促進ルールとは、試合が長引くことを阻止するための卓球独特のルールで、1ゲームに10分以上かかると、以後はラリーが13往復続くと自動的にレシーバーの得点になるルールだ。

 粘ることを主としたカットマン同士の試合で良く見られるが、片方が攻撃選手の場合でも、攻撃選手がカットマンと同じくツッツキと呼ばれる省エネ打法で粘る作戦に出れば適用されることがある。

 しかしこの試合で平野は、ツッツキをすると王輝の攻撃やカットの変化で不利になるため、全身を使うドライブ打法で、しかも絶対確実なフォアハンドでのドライブだけで粘った。練習ならともかく、真剣勝負の試合でフォアハンドのドライブだけで促進ルールが適用されるほど粘ることの意味、それを可能にする途方もない練習量と、平野が耐えた重圧を推し量ることのできる卓球人誰もがこの試合に涙した。報道陣も例外ではなかった。

王輝を倒した後、溢れる涙を堪え切れない平野早矢香 多くの報道陣も泣きながらカメラのシャッターを切った
王輝を倒した後、溢れる涙を堪え切れない平野早矢香 多くの報道陣も泣きながらカメラのシャッターを切った写真:アフロスポーツ

 それにしても卓球における精神力とは何だろうか。簡単に言えば、闘志を維持しながらも平常心でプレーできる能力、つまり緊張しない能力のことだ。負けても良いと開き直ることができれば緊張しないだろうし、思い込みが強すぎて根拠のない自信を持てる場合も緊張しなくてすむだろう。

 しかし平野はそういう選手ではなかった。負けても良いと思うにはあまりにも責任感が強く、根拠のない思い込みをするにはあまりにも聡明だった。

「私はなんで全日本で勝てたんだろう。世界でこれだけ勝てない自分が、日本で勝たなかったらどれだけ楽なんだろう」(卓球王国2008年4月号)

「勝つだけでもダメだし、正しいだけでもダメなんですよ。勝って、なおかつ正しくなければいけない」(同)

 これほどまでに理性的な平野が、ゆるぎない精神力を身に着けるための唯一の方法は、自らの理性を納得させるだけの練習をすることだけだった。このようにして身につけた理詰めの精神力だったからこそ、継続的な力を発揮し得た。

 平野は卓球に対する姿勢や精神力を評価される一方、センスや運動能力が評価されたことはほとんどなかった。「頑張ることができなかったら私は凡人以下」という平野の言葉はおそらく事実だろう。このような選手が日本卓球史の一時代を築いたということは一つの奇跡であり、それは複雑多様な卓球というスポーツだからこそ起こり得た奇跡なのだと思う。

写真:アフロスポーツ

 かつて「卓球に片思いしてる」「卓球からも認められる選手になりたい」と語った平野は、2016年の引退会見で「卓球の神様からいろんなご褒美をいただいた」と語った。平野の卓球への恋は成就したのだろうか。それは彼女にしかわからない。ただ一つ言えることは、平野が卓球の神様からもらったたくさんの贈り物は、彼女の試合を通して感動という形となって我々にも確かに届いているということだ。

※文中の平野早矢香さんのコメントは「月刊卓球王国」誌のインタビューより引用

卓球コラムニスト

1964年岩手県奥州市生まれ。中学1年から卓球を始め、高校時代に県ベスト8という微妙な戦績を残す。大学時代に卓球ネクラブームの逆風の中「これでもか」というほど卓球に打ち込む。東北大学工学部修士課程修了後、ソニー株式会社にて商品設計に従事するも、徐々に卓球への情熱が余り始め、なぜか卓球本の収集を始める。それがきっかけで2004年より専門誌『卓球王国』でコラムの執筆を開始。2018年からフリーとなり、地域の小中学生の卓球指導をしながら執筆活動に勤しむ。著書『ようこそ卓球地獄へ』『卓球語辞典』他。「ロックカフェ新宿ロフト」でのトークライブ配信中。チケットは下記「関連サイト」より。

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