専業主婦はいつ定着したのか~そして未来は?意外な歴史を探る

スーパーで商品を選ぶ専業主婦(写真はイメージ)(写真:ロイター/アフロ)

専業主婦が定着したのは戦後の一時期のみ

専業主婦は日本において、いつ定着したのでしょうか。

大正時代?明治時代?それとも江戸時代以前?

中には「日本古来の伝統」と言い切る方も。

私が文献調査したところ、日本の一般社会で専業主婦が定着したのは戦後の1950年代でした。

つまり、そこまで歴史があるわけではありません。

長い歴史から見れば、ごく短い期間の話、とも言えます。

これを話すと「そんな短い期間の話なんですか?」などなど結構驚かれます。

女性の就労において、専業主婦か兼業か、この問題は戦後、ずっと議論されてきました。

2019年8月現在、放送されているNHK朝ドラ「なつぞら」でも、結婚・出産後の就業がテーマの一つになっています。

令和の現在では、兼業が主流となっており、女子学生は総合職の志望者が一般職志望者よりも増えています。

一方、結婚となるとキャリアを継続するか、それとも専業主婦を選択するか、悩む女性がまだまだ多いのも事実です。

戦後、10代20代女性の就職・キャリア選択において専業主婦は常に見え隠れする存在でもありました。では、どのような変化があったのでしょうか。その歴史を見ていきましょう。

旧民法で「妻は無能力」

1896年に制定された旧民法第14条にはいわゆる「妻の無能力」が規定されています。

第14条

妻ガ左二掲ゲル行為ヲ為ス二ハ夫ノ許可ヲ受クルコトを要ス

1  第12条第1項第1号乃至第6号二掲ケタル行為ヲ為スコト

2  贈与若クハ遺贈ヲ受諾シ又ハ之ヲ拒絶スルコト

3  身体ニ羈絆ヲ受クヘキ契約ヲ為スコト

1項目目は訴訟、相続などについてを指し、3項目目の「身体ニ羈絆(きはん)」は「行動の自由を縛るもの」、つまり労働契約などを指します。

結婚する前は自由であっても、結婚後も働くには夫の許可が必要、と旧民法は定めていました。

『国際婦人年記念 婦人の歩み30年』(労働省婦人少年局・編、財団法人労働法令協会、1975年)では、

我が国では江戸時代から武士階級を中心に「夫は外廻り、妻は内廻り」という役割分担思想が支配的であったとみられるが、明治以降も妻は良妻賢母として家にあって夫に仕え、子を育て、家庭を守るべきものとされ

と書いています。

刊行時期を考えれば無理ない書き方ですが、現代にあってはこれはこれで違和感ある書き方です。

江戸~昭和戦前に専業主婦は傍流

どこが違和感と言えば「夫は外廻り、妻は内廻り」の部分。

労働省少年婦人局の担当者としては、江戸時代から1975年現在まで、ずっとこの役割分担思想があった、としたかったのでしょう。

江戸時代、武士階級の、それも上級クラス(藩主、家老、奉行など)は確かに結婚後の女性は家事・育児を負担する、現代で言うところの専業主婦でした。

ところで、専業主婦はその存在の前提として、家計を支え得る配偶者が必要です。

では、武士階級に公家など結婚した女性が専業主婦で成立し得た人口はどれくらいか、と言えば10~20%程度。

一般庶民は夫婦で働かなくては家計が成り立ちませんでした。

これは明治以降、大正から昭和の戦前でも同じです。

少し時代は飛びますが、1933年(昭和8年)『経済座談』(平井泰太郎、千倉書房)には、

ちかごろ共稼ぎがだいぶ増えたと言われるが、サラリーマンにそういうのが増えただけだ

とあります。

大正時代の雑誌『主婦之友』1921年6月号「職業婦人の悲痛なる叫び」には、子連れ禁止だった学校に勤務する女性教師が用務員(記事では「こづかいさん」)に頼み込み、用務員室で授乳した、との手記が掲載されました。

つまり、専業主婦という選択は戦前においてはそれほど多くない選択肢だったのです。

理念・政策は専業主婦を奨励

現実には専業主婦は遠い世界だったのが明治以前、大正、昭和(戦前)です。

ただ、理念・政策という点では専業主婦を奨励していました。専業主婦を奨励、というよりも女性の就労を制限していた、とも取れます。

旧民法の「女性無能力」規定もそうですし、1934年には衆議院で松田源治・文部大臣が

日本婦人は夫を援けるもので解放すべきものではない

と発言。

1936年には女性の結婚退職について内務省は「やむを得ざる退職」と結論づけています。

これを受けてか、勧業銀行は1939年、女性職員に結婚を奨励し2 8 歳定年制を実施しました。

「東京府立第五高等女学校要覧」(同校は現在の都立富士中・高)によると、1920年入学者から12年間の卒業者のうち上級学校に入学したのは586人。うち、卒業したのは292人・49.8%。中退者が122人・20.8%を占めており、中退理由は「結婚のため」30人「家事都合」61人でした。「家事都合」も実質的には結婚が理由と推察されます。つまり、中退者の74.5%が結婚を理由として中退していました。

ナチスドイツの政策が専業主婦奨励に

専業主婦奨励の理念として大きな影響を与えたのがナチスドイツです。1933年に政権を獲得すると、「母よ、家庭に帰れ」をスローガンに関連の政策を打ち出します。

当時の上級公務員だった女性72人を解雇。さらに結婚奨励法を制定します。同法では、女子労働者は退職し、再就職をしないと誓約することで、結婚資金の無利子貸し付けを受けることができるようになりました。さらに子を多く産む毎に返済が免除されたのです。

このナチスドイツの女性政策は日本にも波及しました。1938年設立の愛国児童協会の大会では「母よ家庭に帰れ」運動の実施を宣言。協会理事は

「ヒトラー総統はすでにやっていたのに、われわれ日本人がはじめるのが遅すぎたくらい」とコメントしています(朝日新聞1938年11月16日夕刊)。

1942年には賃金統制令施行規則が改正され「女子日傭労務者の賃金は男子の 7~8 割」と定められました。

戦前・戦中は女性労働者が登用

と言っても、現実はそうではなく、平塚雷鳥は「貧しい家庭の女性は、家庭に帰りたくても働かなきゃならないから帰れない」と反論しています(読売新聞1936年3月28日朝刊)。

実際、戦争が激化すると工場労働で男性労働者が不足。そこで女性労働者が登用され、1943年には学習院同窓生が女子勤労挺身隊を結成します。以降、学校単位で女子勤労挺身隊が結成され、各工場で勤労奉仕(無償)をするようになります。

それだけでは足りない、ということで1944年には女子勤労令が公布・施行。雇用関係のない勤労奉仕から雇用関係のある集団就職に移行します。

とてもではありませんが「母よ、家に帰れ」どころではありません。

戦後に専業主婦が急増した理由

1945年、日本が敗戦するとGHQが日本を統治。同年、五大改革指令が出ますが、その一つが女性解放です。旧民法も戸主権や「女性の無能力」規定などが廃止。1946年の衆議院選挙では婦人参政権が行使され39人の女性代議士が誕生します。

歴史などの教科書の記載から、「これで女性解放が進んだ」と考える中高生や一般人も多いでしょう。

が、実際はそう単純ではありません。

戦後、1950年代から1960年代にかけて、専業主婦が増えていきます。

これには四点ほど要因があります。

一点目:第一次産業から製造業への転換

塩原秀子・帝京大学講師の「既婚女性の労働」(『帝京経済学研究 38(2)』 2005)では次のように述べています。

戦前から戦後の1950年代頃までは、産業の中心が第一次産業であり、したがって、農林漁業 従事者が多く、男女ともに就業していることが多かった。この頃の女性の就業は、農業以外は家事使用人、女工など一部の職業以外難しい状況にあり、このため、有配偶女子の非農林漁業就業率は 1940年13.0%と大変低いものである。敗戦後、日本経済が復興する1955年頃から、日本の産業構造は第一次産業から製造業を中心とする第二次産業へと高度化し、農林漁業に従事する有配偶女子は次第に減少し、非農林漁業への有配偶女子就業率は高くなった。

これに補足すると、戦争中に男性は徴集され戦地に赴いていました。だからこそ、女子勤労挺身隊が結成され、工場での勤労奉仕をしていたのです。

それが敗戦により、男性が帰国。復興と相まって工場等での勤務者が増えます。そうなると、女性労働者とバッティングしてしまいます。

二点目:製造業を中心とする経済成長

戦後、日本は高度経済成長を成し遂げます。それだけ豊かになれば専業主婦が成立するのは当然です。

何しろ、専業主婦が成立する前提となる「配偶者が家計を支える」ことが可能なので。

三点目:「幸せ主婦」の出現

戦前は結婚は恋愛結婚よりも家と家のつながりが重視されました。そのため、姑による嫁いびりは普遍的なものでもあったのです。それが戦後、大きく変化します。

『専業主婦が消える日』(金森トシ江・北村節子、有斐閣、1986年)には、こうあります。

第一次ベビーブーム世代がいわゆる結婚適齢期に入った七〇年代前半には、婚姻件数が年間一〇〇万組を突破するラッシュの時期を迎える。こうした新婚組を含めて、高度経済成長期には都市化、核家族化、サラリーマン化が進む。そのサラリーマンたちは昇級・昇進を明るく約束されて仕事を生きがいとし、妻の多くは団地に象徴される平和な城の中で、パの哉マイカーなど産業界からつぎつぎに提供される幸福のシンボルに目を輝かせながら、家事・育児にいそしんだ。この時期、家事労働はまだ適当に主婦の手に残されていた。急増したサラリーマン家庭の主婦の多くは、その母の世代の貧乏苦労や姑苦労や多勢の子育てや重い家事労働から解放された。戦後の男女共学と職場の男女交際の歳月は、恋愛結婚組もふくめて夫婦の間に友だちのような一種の平等感をもちこんだ。少なくとも二〇代、三〇代の主婦たちは、その母の世代のように関白亭主の横暴さに泣かされる体験からも解放された。

四点目:政府の方策

政府の方策は憲法・民法などの法制面では男女平等としていました。が、実際は男女平等とは言えない面も多々あったのです。

1958年には学習指導要領が改訂され(1962年から施行)、中学校の「職業・家庭」は「技術・家庭」となり、家庭は女子のみ必修となりました(男子は技術を履修)。同じく高等学校普通科でも女子は家庭一般が必修扱いです。

戦前、勧業銀行で誕生した性別定年制度は戦後、各企業に引き継がれ、低賃金で働く主婦パートが誕生したのも戦後です。

1962年には池田勇人内閣が「人づくり」政策を発表。社会、学校、家庭を健全化することで人間性の回復を目指す、という政策でした。この中で池田本人の発言でないにしてもよく登場したのが「母親は家庭に帰れ」です。どこかで聞いたような、と思いきや、何のことはない、戦前・ナチスドイツの女性政策をそのまま踏襲しています。

が、当時はこうした政府の方策が差別的、と批判されることはほぼありませんでした。

以上の四点、どれか一つが専業主婦志向を高めた、ということではないでしょう。それぞれが複雑に絡み合った結果、専業主婦志向が高まっていった(あるいは女性のキャリアは専業主婦になるのが当然視されていった)、と見るのが自然、と考えます。

女子学生亡国論で女子の進学を批判

政府の方策などもあって、専業主婦という女性観は戦後、主流となります。

『国際婦人年記念 婦人の歩み30年』によると1950年の「封建性についての調査」で「くらしには困らないのですが、妻が自分の仕事を家の外に持つことに賛成ですか反対ですか」との設問では賛成が男性11%、女性12%に対して反対は男女とも44%と圧倒。

1954年「婦人の職業生活に関する世論調査」での同様の設問(生活に余裕ができたら、女の人は、家庭にいた方がよいと思われますか。それとも積極的に職業をもったほうがよいと思いますか)で「家庭にいた方がよい」は男性67.2%、女性68.0%、「職についた方がよい」は男性18.1%、女性16.0%とこちらも大きくは変わっていません。

こうした意識から、当然ながら大卒就職でも、専業主婦という選択が見え隠れするようになります。

その典型が女子学生亡国論です。

女子の大学進学率は戦後上昇し、1960年前後には文学部などを中心に男子よりも女子が多くなります。これを受けて『婦人公論』1962年3月号に「女子学生世にはばかる」(暉峻康隆・早稲田大学教授)、同4月号に「大学女禍論」(池田彌三郎・慶応義塾大学教授)がそれぞれ掲載。この2本のコラムを総称して「女子学生亡国論」と言います。この女子学生亡国論は当時、大きな話題となりました。主な論点は、

論点を整理してみると第一には女子学生の急増により学問的レベルが低下し、学問研究を発展継承させる人材の養成が困難になったこと、第二には大学で学んだものが社会的に還元されずに失われていく恐れがあること、第三には女子学生の経済力に限度があり、私立大 学を財政的に支える助けになり難いという点である」(「女子高等教育の社会学的一考察」原喜美『教育社会学研究26号』1971年)

の3点です。このうち、2点目の「社会的に還元されずに」が「結婚して家庭に入る」を意味します。

実際、『あなたの適性と適職』(吉田裕・神田道子編、文理書院、1967年)という女子高校生向けの進路ガイドにも、この女子学生亡国論を示すようなエピソードが紹介されています。

ある女子大学生の才媛の結婚式に出席したとき、その女性の恩師の一人が悲し気な表情でいいました。

「これから先二度と彼女は文学史の本を開くことはないだろうね。僕が四年間、心血を注いで教え続けた講義内容も、実は彼女の結婚道具の一つにしかすぎなかったんだ、と今日つくづくわかりましたよ」

短大、就職できなくても高就職率のカラクリ

女子学生亡国論が出る前から女子の短大進学率は上昇していました。そして女子学生亡国論が出た後もさらに上昇していきます。

実は1980年代半ばまで短大を卒業しても就職しなかった卒業生は20%~30%程度いました。1956年の卒業者総数3万1117人のうち、無業者・不詳は合わせて1万2007人。卒業者総数に対して38.5%もの高率です。

「無業者・不詳」はその大半が就職しなかった学生と見ることができます。就職するわけでなく進学するわけでもない、この「非就職率」の高さはその後、長く続きます。20%台を割るのはなんと1986年に入ってからでした。

では、短大が就職できない、と批判されたか、と言えばそんなことはありません。

「企業者が、学士を敬遠して、実務に強い短大卒業生をとろうとする傾向が強くなっている」(『学燈』1955年10月号)

一方では非就職者が多い、一方では就職が良い。

一見すると矛盾する内容が両立し得た背景には当時の結婚事情がありました。その事情は前記の『学燈』にも書かれています。

短大卒業生のうち就職を希望するものはどの位いるかとみると全国平均で六〇パーセントであり、逆に四〇パーセントの学生は家庭に戻って就職を希望していないことを示している

さらに詳しい事情が『短期大学教育』1964年1月号「座談会 一五周年によせて」の座談会記事にも書かれています。

短大というものは必ずしも職業をめざしているものではなくて、結婚ということは女子の最後のものなんですけれども、そういう意味においては、家政科というようなものは専門教育であるかもしれない。(中略)私は結局、女子短期大学の当面の目標としましては、いい花嫁をつくることだと思います

腰かけ就職批判は1950年代に登場

女子学生亡国論よりやや早く出てきたのが腰かけ就職批判です。

腰かけ就職とは大卒女子が就職しても数年で退職してしまうことを意味します。

企業からすれば人財投資(新入社員研修など)分のコストが早期離職によって回収できません。

そこで、すぐに辞められるのも迷惑、などの趣旨の腰かけ就職批判は1950年代に登場しました。

大学出のオフィス・レディの平均勤続年数は2.1年。高卒のオフィス・レディよりもサラリーが高いというのに、勤続年数の方はその半分では、人材投資分の回収さえおぼつかず、自然企業も敬遠せざるをえなくなったのでしょう。(『あなたの適性と適職』)

1954年の労働省「婦人の職業生活に関する意識調査」でもこの腰かけ就職について登場しており、「女の人が職業につく場合は腰掛一時的でもよいと思いますか」という設問について、「一時的でよい」は男性42.0%、女性35.4%に対して「一時的ではよくない」は男性13.5%、女性16.5%となっています。

一時的な就労期間にとどまることを男女とも肯定する意見が多数ながら、当時の新聞・雑誌は「女性は就業意識が低くてすぐ辞める」という点だけ強調する記事が多数ありました。

一方では、腰かけ就職批判が出て、それで大学に進学すれば女子学生亡国論。どっちに転んでも批判されるわけで、女性の進学・就労が戦後、いかに低評価だったことをよく示しています。

もちろん、腰かけ就職批判を冷静に観察する評論もありました。

「腰かけ就職の意味するもの」(吉田昇・お茶の水女子大学教授、「女性教養」1962年12月号)では、

「腰かけ就職」ということばは、女性の就業意識の低さをからかい半分に呼んでいるのだろうが、一方、働く女性にとっては、そうならざるを得ないところに、深刻な問題が横たわっているといえる

と指摘。具体的には、結婚後に退職を誓約させられる(そうでなくても退職が当然というムードになる)、共稼ぎ可能な転職先は少なく条件も悪い、転職できても子どもができればやはり辞めざるを得ない、などの問題点を挙げています。が、こうした冷静な分析はごく少数でした。

女子大生亡国論はその後、1970年代に再評価を見せつつも、これによって女子の大学・短大進学率は特に落ちることはありませんでした。

一方、腰かけ就職批判はその後、1990年代、あるいは現代までずっと女子学生を悩ませることになります。

腰かけ就職敬遠なら専門職へ

腰かけ就職批判は仕事ができない女子学生が悪いのか、それとも就労環境を整えない企業が悪いのか。はたまた職業意識をきちんと持たせない大学が悪いのか。解が見えづらい中で、1970年代ごろから一般事務職の求人が拡大していきます。

「キャリア・ガイダンス」1974年7月号「ルポ女子学生の就職 本格派は専門職 腰かけ派は一般事務に」では、銀行の求人が各大学で増えたと紹介。理由は、

原因は高卒女子の採用難ということに尽きるが、大学進学率が上がって高卒者の質が低下したこと、大卒者を使ってみたら、やはりのみこみが早く教育期間が短くてすむことなどもいくらか作用していよう。

同記事ではタイトルにある通り、本格派(長く働きたい女子)は「教師を筆頭とする専門職」、腰かけ派は一般事務職を志向するようになっている、とあります。

ただ、同記事は専門職志向のうち、マスコミ志望者にはかなり辛らつで早稲田大学女子学生の希望職種と就職実績について1971年~1975年の一覧表を掲載しています。

各年とも希望職種では、出版が1位、教員・放送が2・3位(1974年は放送が2位、教員が3位)を占め、公務員や海・空運(航空会社)も上位に入っています。

ところが、就職実績(1975年は未掲載)では出版は1971・73・74年が5位で1972年は4位。教員・公務員や海・空運は上位5位に入っていません。

このあたりの事情を、同記事は、「ジャーナリズムに強いといわれる早稲田のばあいですら」と斬り捨てたうえで、マスコミ志望者に対して各大学就職部の対応をこうまとめています。

幻想を打ち砕くのには、各大学とも就職部はかなり手なれているようで、出版社の資本金を第1部上場企業と並べてみせて、これでは福利施設が思いやられると思わせてみたり、企画だ編集だといっても、そんな仕事を覚える前にキミは結婚してやめなきゃいけなくなるよ、といってきかせたり、マスコミはよほど実力がなければねえ……と突き放してみたり、脅したりすかしたりで、結構熱さましの効果はあるようだ。

男女雇用機会均等法が施行され、就職状況が売り手市場となった1980年代でも腰かけ就職の議論は続きます。「創」1986年8月号「嗚呼、腰かけ族、表に出よ!」では総合職志向の女子学生だけでなく、腰かけ就職を希望する女子学生や一般職(腰かけ派)の女性社員を紹介したうえで、腰かけ派についてこうまとめています。

マスコミが次々と提案してきた華やかな「非家庭的」な女達にもカクランされない「静かなるドン」-腰かけ就職派-は企業にとって、この上なく便利な隠れミノである。「せっかく能力がありながら結婚で辞めてしまうなんてもったいない」などと表立っては言う。人材不足で、ほんとうにそれなりの実力があれば、女であれほしいのは本音ではあろう。がそれ以外の女性達には、適当に「新陳代謝」してもらいたいのもまた、いつわざる真実である。抜け道のある均等法とは、こうした企業の論理にはからずも堂々と手を貸す存在になってしまっている。

バブル期と2010年代の奇妙な一致

同記事では女子大生の就職意識(日本リクルートセンター調査)で1985年卒について、「子どもができても定年まで仕事をもちつづけたい」30.3%、「子どもができたら仕事をやめ大きくなったら再就職したい」46.5%、「子どもができるまでは仕事を続けたい」13.2%というデータを掲載しています。

一方、「希望する結婚生活」(リクルート調査月報1985・1・2)については「専業主婦となるが、余暇は自分のために使う」26.6%、「専業主婦となり、自分の余暇よりも夫や子供のために時間を使う」18.3%、「結婚後も仕事を持つが、夫や子供に迷惑がかからない範囲で働く」51.1%、「結婚後も仕事を持ち、夫や子供にも多少負担をかけることになっても仕事中心の生活を送る」4.0%。

記事では「彼女達のイメージするキャリアライフは、多分に家庭中心的なものなのである」としています。

この状況は30年後の2010年代前半でも、奇妙なまでに一致します。

『専業主婦になりたい女たち』(白河桃子、ポプラ新書、2014年)には、2012年の早稲田大学2・3年生(112人)、2013年の都内中堅女子大1年生(1098人)への「理想ライフプラン」についてのアンケート結果を掲載しています。

設問の「バリキャリ」は総合職などで男性と同等にかつ安くすること、「ゆるキャリ」は事務職などで補助的なしごとをすることを意味します。

「バリキャリで一生働く」は中堅女子大18%、早稲田43%。「ゆるキャリで細く長く」は中堅女子大38%、早稲田29%。

残りの「いつかは専業主婦」「子育てで辞めて復帰する」「バリキャリで太く短く」(30歳前後まで働きその後は家庭に入る)の3選択肢を足すと、中堅女子大44%、早稲田28%。

この数値が「これが隠れた専業主婦願望、『いつかは専業主婦』の正体だと思います」と著者は指摘しています。同書では、「一度仕事を辞め再就職した女性で、年収300万円以上になる人はわずか1割」(2011年お茶の水女子大学調査)などを紹介したうえで、

大卒でもよほどの専門性か国家資格でもない限り、仕事の流動性の低い日本では「一度子育てで無業になる」ことは、その後「年収100万前後のパート職」になることを意味します。

と、警告。さらには、

一部の本当に裕福な人、ご家族や自分の病気等の事情がある方は別として、専業主婦が減り、働く女性が増えることでさまざまな変化が起きる、と信じています。「GDPアップ」「少子化、結婚難の解消」「若年、高齢女性の貧困防止」「働く次世代の育成」そして「働き方革命」。今まで私たちをはぐくんでくれた母なる専業主婦という存在に大きな感謝と尊敬をささげ、そして勇気を持って別れを告げ、未来へと向かうときが来ているのではないでしょうか。

と同書のラストで提言しています。

共働きは専業主婦の2倍、パワーカップルも

この提言は現実のものとなりつつあります。

2018年、専業主婦世帯と共働き世帯は600万世帯・1219万世帯と1980年のほぼ逆になっています。

安倍内閣の女性登用政策により、各社とも女性総合職の採用増加や育休後の復職プランなどの整備が進んでいます。産経新聞2018年11月15日朝刊では「高い購買力・情報発信力…企業が熱視線 共働き高収入夫婦『パワーカップル』」記事で、タイトルにもある「パワーカップル」を紹介。

三菱総研の定義では、「パワーカップル」は共働きで、夫の年収が600万円以上、妻が400万円以上で世帯年収が1千万円以上の夫婦を指す。

同じ世帯年収1千万円以上でも、夫が1人でほとんどを稼ぐ家庭と比べると、パワーカップルの月間消費支出総額は約1・4倍も多いという。調査会社「エム・アール・アイ リサーチアソシエイツ」のアナリスト、小川歌織さんは、「同じ世帯年収でも2人で稼いでいるほうが、万一、どちらかに何かがあっても安心という感覚があり、消費意欲も増すのではないか」と分析する。

2019年現在は、と言えば、専業主婦が減りつつも、まだまだ移行期にある、と言えるでしょう。

30~40代の婚活では専業主婦希望の女性がまだ一定数います。

一方、婚活サイトでは、共働きを前提とするキャリ婚が登場するなど、変化も出ています。

今後、労働や結婚の価値観が変わっていく中で専業主婦もまた大きく変わっていくに違いありません。

※本稿は『HRmics』33号(2019年8月刊行)「就活温故知新 第21回 女性の就職の底流に流れる『専業主婦』問題」に大幅に加筆しました。