小泉新環境大臣の「セクシー」発言批判について考える

(写真:ロイター/アフロ)

 新しく環境大臣となった小泉進次郎氏の国際舞台での「セクシー」発言が注目を浴びました。大臣になると批判されるものなのか、果たしてこの言葉は批判に値するのか、を考えてみることにしましょう。

大臣の言葉は重い

 ニューヨークを訪問した小泉大臣は、国連の環境のイベントで演説をしました。この演説の前に行った記者会見で、「気候変動のような大きな問題は、楽しく、かっこよく、セクシーであるべきだ」と述べたことを受け、海外メディアが一斉に報じました。特にロイターは「気候変動との戦いをセクシーと発言した」と大きく取り上げ、明確な批判とまではいかないものの、ネガティブな印象を残したことがうかがわれました。東スポウェブは、この発言についてネットで批判が相次いでいることを報じています。一方、夏野剛氏は、「失言ではない。反応しなくていい」と意見を述べています。

 大臣になると発言は批判対象になるのか、という質問について答えは「イエス」です。議員は地域の代表ですが、大臣は国の代表になりますから、背負う重さが異なります。1つ1つの行動や発言が着目され、批判の対象になります。ただ、批判は期待の裏返しでもあるので、批判されたら、落ち込んだり無視するのではなく、何が批判されたのか、どう批判されたのかに耳を傾け、次回にむけての改善や工夫に生かせばよいのです。私も自分自身そのように受け止めるようにしています。そうじゃないと発言する勇気がなくなってしまいますから。

失言かどうか

 では、「セクシーであるべき」の発言は批判の対象になるのでしょうか。私は「許される失言と許されない失言」があるとみています。基準は何かというと具体的に傷つく人がいるかどうかです。失言が原因で辞任に追い込まれた大臣の発言を振り返ってみます。

 2017年当時の今村復興大臣の東日本大震災について「東北だからよかった」、2007年当時の久間防衛大臣「原爆投下はしょうがない」発言があります。被災者、被害者が現実に存在し、その人達の心を傷つける言葉であることは明らかです。

「セクシー」という言葉で具体的に被害を受ける、心を傷つけられる人がいるかといえば、いないでしょう。その意味では、失言には当たりません。

3回繰り返すとメッセージになってしまう

 言葉は繰り返すと印象が強く残り、メッセージになります。今回のこの「セクシー」発言、3回繰り返したとのこと。こうなると、強調されたメッセージとして受け取られます。この言葉は、同席したUNFCCC(国際連合枠組条約)の前の事務局長であるクリスティアナ・フィゲーレス氏の発言を受けてのものだったことからすると、戦略的に使ったわけではなく、機転を利かせて反射的に使ったことになります。自分の言葉がどう受け取られるかよくよく考えてのことではないなら、今後改善の余地はありそうです。特に、今回はスウェーデンの16歳の環境活動家、グレタさんの涙ながらの切実な演説が強烈な印象を残しましたから、小泉新大臣の言葉が余計に軽い印象を与えてしまったのでしょう。軽率な発言は批判の対象にはなりやすい、ということは誰もが教訓とすべきことです。

 ただ、就任して間もない大臣ですから、報道機関も国民も新任大臣に対して3か月間くらいは助走期間として温かく見守る大らかさがあってもいいのではないでしょうか。

<参考記事>

小泉進次郎環境相「セクシー発言」ネット上で批判相次ぐ

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190924-00000035-tospoweb-ent

進次郎氏 セクシー発言で「やぼな説明いらない」に批判「大臣としておかしい」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190924-00000076-dal-ent

小泉進次郎大臣の「セクシー」発言に食らいつくメディア&ネット民、夏野剛氏「失言ではない。反応しなくていい」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190924-00010011-abema-soci