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「脳へ転移」した「がん」を治療する方法とは、金沢大の研究

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(提供:イメージマート)

 がんは転移することがあるが、特に肺がんは脳へ転移することが多い。金沢大学の研究グループが、肺がんが脳へ転移するメカニズムを解明し、治療法などの開発につながる成果を発表した

脳へ転移することが多い肺がん

 肺がんは診断時に脳への転移が見つかることが多く、脳へ転移したケースの約半数が肺がんと考えられている(※1)。また、肺がん以外では、前立腺がん、乳がん、腎臓がん、黒色腫(メラノーマ)などが脳へ転移することが多く、がんの治療法が進化発達し、生存期間が長くなるにつれて脳転移の発生率が増加している。

 がんが脳へ転移すると、認知、生活の質(QOL)などに悪影響をおよぼし、生存率の急激な低下を引き起こす。化学療法に使われる抗がん剤は血液脳関門を通過しにくいため、脳へ転移したがんに対しては外科的な手術や放射線治療が行われることが多いが、これらの治療には手術の困難さや副作用などの危険性があり、患者に大きな負担を強いる(※2)。

 だが、なぜ肺がんが脳へ転移しやすいのか、そのメカニズムについてはまだよくわかっていなかった。そうした状況で、金沢大学がん進展制御研究所の石橋公二朗助教、平田英周准教授、金沢大学医薬保健研究域医学系/金沢大学附属病院脳神経外科の中田光俊教授、金沢大学医薬保健研究域医学系/金沢大学附属病院呼吸器内科の矢野聖二教授らを中心とする共同研究グループは、肺がんが脳に転移するために必要なタンパク質を同定し、脳転移のメカニズムを解明することに成功、その成果を学術誌で発表した(※3)。

 なぜ、脳転移のメカニズムを知ることが難しかったのかというと、研究に使用するグリア細胞(脳を構成する細胞、※4)の特に免疫細胞であるミクログリアを安定的に培養する技術に限界があり、がん細胞とグリア細胞の間でどのようなやり取りが行われ、どのような物質が転移に関与するのかを調べにくかったからだという。

肺がん細胞はどうやって増殖するのか

 脳には白血球が入らないため、グリア細胞の一種であるミクログリアが脳内での免疫機能の役割を担っている(※5)。同研究グループは、MGS(Mixed-glial culture on/in soft-substrate)法というグリア細胞の培養法を開発、がん細胞とグリア細胞との相互作用を長期間(数ヶ月以上)、安定して解析することができるようにした。MGS法とは、極めて柔らかい培地でグリア細胞を培養する方法だという。

 この手法を用いることで、がん細胞を死滅させ、腫瘍細胞に対する強い食作用(貪食能)を持つミクログリアが脳内にあること、脳転移したがんに対し、このミクログリアの制御が重要だということがわかった。

 また、脳転移したがん細胞は、このミクログリアによるがん細胞の細胞死(ネクローシス)誘導を回避するシステム(チェックポイント)を持ち、この攻撃回避はグリア細胞の一種であるアストロサイト(突起を伸ばして網目状に脳を支えている細胞)を利用していることもわかったという。

 そして同研究グループは、肺がんのがん細胞が脳へ転移する際に重要な役割を担うタンパク質(mGluR1)を同定した。このタンパク質(mGluR1)は、シナプス伝達に関係していることがわかっていたが、本来、肺がん細胞がこのタンパク質を作り出すことはない。

 だが、脳へ転移した肺がん細胞は、アストロサイトと相互作用することでこのタンパク質(mGluR1)を作り出せるようになる。アストロサイトから分泌される物質(Wnt-5a)によって、肺がん細胞がこのタンパク質(mGluR1)を作り出すのだという。

 そして、肺がん細胞は、このタンパク質(mGluR1)を利用し、このタンパク質(mGluR1)が細胞の増殖に重要な役割を果たす受容体(EGFR、上皮成長因子受容体)と脳内の神経伝達物質(グルタミン酸)を介して結合、活性化させることで肺がん細胞は脳の中で増えていくことができるようになることがわかった。

肺がん細胞が増殖するメカニズム。肺がん細胞はアストロサイトを利用し、細胞増殖できるようなメカニズム(mGluR1の発現、EGFRとの結合、細胞増殖の機能)を獲得する。金沢大学のリリースより。
肺がん細胞が増殖するメカニズム。肺がん細胞はアストロサイトを利用し、細胞増殖できるようなメカニズム(mGluR1の発現、EGFRとの結合、細胞増殖の機能)を獲得する。金沢大学のリリースより。

 さらに、オシメルチニブという分子標的薬は、この受容体(EGFR)を阻害し、肺がん細胞の増殖を抑制できる有効な治療薬だが、治療中に耐性ができてしまい、治療ができなくなることがある。同研究グループは、このタンパク質(mGluR1)を阻害することで、オシメルチニブが有効に作用するようになることも明らかにしたという。

 また、このタンパク質(mGluR1)を阻害すると脳の神経伝達などに悪影響をおよぼす危険性が考えられるが、同研究グループは肺がん細胞の生存や増殖にはこのタンパク質(mGluR1)と受容体EGFRの関係だけが影響し、脳への悪影響はなかったとしている。

 肺がん以外の乳がん、黒色腫(メラノーマ)、腎臓がんなどにも脳への転移に同じようなメカニズムがあり、同研究グループは今後、脳へ転移したがん全般の治療に役立つことのできる治療法の開発につなげていきたいとしている。

※1:Daniel N. Cagney, et al., "Incidence and prognosis of patients with brain metastases at diagnosis of systemic malignancy: a population-based study" Neuro-Oncology, Vol.19, Issue11, 1511-1521, 30, May, 2017
※2-1:Peter E. Fecci, et al., "The Evolving Modern Management of Brain Metastasis" CLINICAL CANCER RESEARCH, Vol.25, Issue22, 15, November, 2019
※2-2:John H. Suh, et al., "Current approaches to the management of brain metastases" nature reviews clinical oncology, 17, 279-299, 20, February, 2020
※3:Kojiro Ishibashi, et al., "Astrocyte-induced mGluR1 activates human lung cancer brain metastasis via glutamate-dependent stabilization of EGFR" Development Cell, doi.org/10.1016/j.devcel.2024.01.010, 2, February, 2024
※4:グリア細胞:神経細胞(ニューロン)の活動を支える細胞。脳への栄養供給や廃棄物の処理、神経細胞の保護や修復などを行っている。
※5:Wolfgang J. Streit, Carol A. Kincaid-Colton, "The Brain's Immune System" Scientific American, Vol.273, No.5, November, 1995

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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