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新型コロナ感染症:外出自粛で「喫煙率」はどう変化したか

石田雅彦サイエンスライター、編集者
(写真:ロイター/アフロ)

 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)感染症(COVID-19、以下、新型コロナ感染症)の流行拡大が収束しつつあり、緊急事態宣言が全面的に解除された。自粛で外出できず、テレワークが多くなった結果、喫煙行動にも影響が出ている可能性がある(この記事は2020/05/26の情報に基づいて書いています)。

ストレス状態ではタバコが増える

 緊急事態宣言中は在宅する時間が増えた人も多かった。その影響は様々な面に出ている。タバコの本数(消費量)が増えたり再喫煙してしまった喫煙者もいるようだ。実際、喫煙行動は生活環境や社会的なつながりに強く影響される(※1)。

 地震などの災害に際し、人間は心理的・精神的に大きな影響を受けることが知られている(※2)。こうしたストレスにさらされると、薬物や行動、物質などへの依存が増し、中毒になるリスクも増え、もともと依存症だった人はストレスの強さで依存度が増すようだ(※3)。

 緊急事態宣言中のように、いつ終わるかわからない状態でストレスを受けると人間の意志決定に影響が及ぶ。影響された意志決定が利益になるか不利益になるかはわからないが、自分ではコントロールできない状態になるのは確かなようだ(※4)。

 タバコではどうだろうか。

 過去の研究によれば、災害などのストレス状態にさらされると、喫煙者のタバコ消費量は増えることがわかっている。オーストラリアの大規模な山火事を体験した喫煙者に対する調査研究によると、災害によるトラウマはタバコの消費量を有意に増やした(OR:1.12、95%CI:1.03-1.21、※5)。

 2005年に米国南部を襲ったハリケーン・カトリーナの被害を受けたニューオーリンズの喫煙者175人と被害が軽微だったメンフィスの喫煙者222人を比較した調査研究によれば、ハリケーン後の27ヶ月間でニューオーリンズの喫煙者のほうがニコチンの依存度が上がり、タバコの消費量が増えたという(※6)。

 ただ、この研究の場合、ハリケーンによる心理的な影響とは別の理由で違いが出た可能性があるようだ。ストレスを受けたからタバコの消費量が上がったのではないなら、心理的な苦痛をやわらげることで禁煙指導をするという方法に効果はあまり期待できないことになる。

 また、日本の東日本大震災後のタバコ消費量を調べた研究によれば、消費量が増えたのは20代から30代の女性喫煙者、男女を問わず40代から50代の喫煙者、そして失業した人だった(※7)。この傾向はもしかすると新型コロナ感染症の流行による影響と重なるかもしれない。

目につくタバコがトリガーに

 では、再喫煙のほうはどうだろうか。

 2005年のハリケーン・カトリーナ後の過去喫煙者(生涯で100本以上を喫煙)と現在喫煙者に対する調査研究では、タバコを再び吸い始めてしまった過去喫煙者の理由は、ストレス、衝動と欲求不満、悲しみと抑うつだった。また、現在喫煙者のタバコの消費量は、災害後に平均1日あたり12.6本も増えたという(※8)。

 ストレスと再喫煙に関する研究は多い。概して、ストレスのバイオマーカーとして知られる副腎皮質ホルモンの一種、コルチゾール(Cortisol)の数値の上昇が再喫煙への願望とつながりがあると考えられているが(※9)、感情や衝動といった複数の主観的な動機と脳の視床下部からのストレス反応によるコルチゾールが複雑に絡んでいるようだ(※10)。

 再喫煙のトリガーになるのは、他の依存症を含めた多くの研究があるように依存対象に関連する記号だ。具体的には、オンライン飲み会でタバコを吸う相手の姿、自粛生活での買い出しに出かけたコンビニエンスストアで見かけるタバコのポップ広告やレジの背後に並べられたタバコのパッケージ、動画配信の映画の中の喫煙シーンなどがトリガーになる記号だ(※11)。

 タバコ規制の厳しい国では、小売店でタバコをむき出しにして売るのは禁止されていたりするが、日本ではどこでもタバコのパッケージを目にすることができる。タバコ規制枠組条約(WHO FCTC)を批准しているのにもかかわらず、タバコの小売や広告に対する日本の規制は先進諸国に比べてかなり緩い。

 新聞や雑誌を開けばタバコ広告が普通に出稿されていて、それらがトリガーになって再びタバコに手を伸ばしやすくしている。タバコ会社にとってまたとないチャンスだ。

3月まで日本の紙巻タバコは延び悩み

 では、新型コロナ感染症の対策のための自粛生活で、日本の喫煙状況はどう変わったのだろうか。

 日本たばこ協会という団体(※a)の「たばこに関するデータ」というコーナーに「紙巻たばこ統計データ」が出ている。このグラフをよくみて欲しい。

 2016年度から2019年度のデータをみると、毎年年末12月にかけて販売数量・代金ともに上がり、1月に急落して2月は横ばいになるが、2018年度までは3月に数字が持ち直している。だが、2019年度だけは様相が異なり、3月も横ばいのままだ。

画像

2019年度(オレンジ色)をみると例年と同様12月に販売代金ともに上がり1月2月に急落しているが、例年と異なるのは3月に持ち直していないことだ。Via:一般社団法人日本たばこ協会「紙巻たばこ月次販売実績(数量・代金)推移グラフ」より筆者が改変

 喫煙者の購買行動には、季節性があることが知られている(※12)。これは世界的に同じ傾向があることがわかっていて、基本的に寒い時期にタバコ消費量が落ち込み、温かくなってから吸われる本数が増えていくので(※13)、こうした季節性を考慮して禁煙サポートをすると効果的ではないかという研究もある(※14)。

 ところで、同協会ではこれまで月次販売実績のデータを掲示していたが、2019年度3月分で月次販売実績の掲示を終了した。同協会によると掲示終了の理由は「タバコの税率が毎年10月に変わり、その結果として販売価格が変動するため、月次の数字が必ずしも実態を正確に表しているとは限らなくなってきたから」ということだ。

 JT(日本たばこ産業)も1965年から2018年までずっと続けてきた喫煙率調査を止めてしまった。その理由は、調査自体が個人情報保護の観点から難しくなり、調査にかかる負担も考えた結果としている。

 タバコ産業の衰退を目の当たりにするようだが、2019年度から2020年度にかけての月次のタバコ販売数量と代金を知りたかったができなくなってしまった。

 いずれにせよ、このグラフにあるように、2019年度の3月に消費量は回復していないことがわかるが、それ以後は不明だ。ただ、これは加熱式タバコを含んでいないデータであることに注意したい。

喫煙者は行動変容したか

 喫煙者が新型コロナ感染症にかかりやすいかどうかについてはまだ議論が続いているが、重症化や死亡のリスクが高いのは間違いない(※15)。こうした情報が広まることで、禁煙を決意する喫煙者が増えると考えるのは自然だろう。

 では、新型コロナ感染症の影響でタバコをやめる人は増えたのだろうか。知る限りで日本における喫煙率にどのような変化が起きたのかという研究はまだないが、他国ではすでにいろいろな研究が行われている。

 新型コロナ感染症が流行する前後で禁煙アプリのダウンロード数を比べた英国の研究では、特に大きな変化はみられなかったという(※16、プレプリント)。日本でも禁煙アプリを使う喫煙者が増えているようだが、この結果は興味深い。

 新型コロナ感染症により大きな影響があったイタリアのナポリ大学などの研究グループが、イタリアの3大学に通う学生2125人(女性62.8%)に対して行ったアンケート調査によれば、これまで一度もタバコを吸ったことがない、またはパンデミック中もタバコを吸い始めなかった学生は58.3%だった。

 そして、パンデミックの間、それぞれ全体の2.0%が新たにタバコを吸い始め、5.7%が禁煙したが、34.0%は行動を変えずにタバコを吸い続けたという。研究グループは、パンデミックは身体的な運動量を減らしただけで、食事や喫煙の行動をほとんど変えなかったと結論づけている(※17)。

 一方でタバコ会社の側は、こうした状況下でも媒体への宣伝攻勢を止めない。ここぞとばかりの感じさえするが、ビジネスチャンスと考えているのは間違いない。

 このように大きな災害や感染症の流行時には、タバコの消費量が増えたり再喫煙する人が増える。日本のデータでは少なくとも3月までは消費量も売上げも例年のように上がってはいないが、緊急事態宣言が出てからの約2ヶ月間、どのような影響が起きたのかわからない。

 外出自粛やテレワークなどで在宅が増え、手持ちぶさたで時間をもてあまし、ストレスを感じて依存性薬物やアルコールの量が増えることが世界的に懸念されている(※18)。日本ではようやく本格的な受動喫煙防止が端緒についたばかりだが、元の木阿弥にしてはいけない。

※1:Laura Twyman, et al., "‘They’re Going to Smoke Anyway’: A Qualitative Study of Community Mental Health Staff and Consumer Perspectives on the Role of Social and Living Environments in Tobacco Use and Cessation." frontiers in Psychiatry, doi.org/10.3389/fpsyt.2019.00503, 2019

※2-1:David M. Fergusson, et al., "Impact of a Major Disaster on the Mental Health of a Well-Studied Cohort." JAMA Psychiatry, Vol.71(9), 1025-1031, 2014

※2-2:草野つぎ、藤田京子、「東日本大震災の広域・複合災害による福島県民の健康問題に関する文献検討─2011年4月~2015年3月までに発表された論文に焦点を当てて─」、日本地域看護学会誌、第20巻、第3号、2017

※3-1:Rajita Sinha, "Chronic Stress, Drug Use, and Vulnerability to Addiction." Annuals of the New York Academy of Sciences, Vol.1141, 105-130, 2009

※3-2:Lars Schwabe, Oliver T. Wolf, "Stress Prompts Habit Behavior in Humans." The Journal of Neuroscience, Vol.29(22), 7191-7198, 2009

※4:Katrin Starcke, Matthias Brand, "Decision making under stress: A selective review." Neuroscience & Biobehavioral Reviews, Vol.36, Issue4, 1228-1248, 2012

※5:Puth A. Parslow, Anthony F. Jorm, "Tobacco use after experiencing a major natural disaster: analysis of a longitudinal study of 2063 young adults." Addiction, Vol.101, Issue7, 1044-1050, 2006

※6:Adam C. Alexander, et al., "Do current smokers use more cigarettes and become more dependent on nicotine because of psychological distress after a natural disaster?" Addictive Behaviors, Vol.93, 129-134, 2019

※7:Shihoko Koyama、et al., "Determinants of Increased Tobacco Consumption Following a Major Disaster." Disaster Medicine and Public Health Preparedness, doi.org/10.1017/dmp.2019.160, March, 18, 2020

※8:Jennifer Q. Lanctot, et al., "Effects of Disasters on Smoking and Relapse." American Journal of Health Education, Vol.39, Issue2, 2008

※9-1:Mustafa al'Absi, et al., "Attenuated adrenocorticotropic responses to psychological stress are associated with early smoking relapse." Psychopharmacology, Vol.181, 107-117, 2005

※9-2:A F. Buchmann, et al., "Cigarette craving increases after a psychosocial stress test and is related to cortisol stress response but not to dependence scores in daily smokers." Journal of Psychopharmacology, Vol.24(2), 247-255, 2010

※10:Sherry A. McKee, et al., "Stress decreases the ability to resist smoking and potentiates smoking intensity and reward." Journal of Psychopharmacology, Vol.24(4), 490-502, 2010

※11:Yahui Kang, et al., "The effect of smoking cues in antismoking advertisements on smoking urge and psychophysiological reactions."NICOTINE & TOBACCO RESEARCH, Vol.11, Issue3, 254-261, 2009

※12-1:S Chandra, F J. Chaloupka, "Seasonality in cigarette sales: patterns and implications for tobacco control." Tobacco Control, Vol.12, Issue1, 2003

※12-2:D Momperousse, et al., "Exploring the seasonality of cigarette-smoking behaviour." Tobacco Control, Vol.16, Issue1, 2007

※13:Zhu Zhang, et al., "Information Seeking Regarding Tobacco and Lung Cancer: Effects of Seasonality." PLOS ONE, doi:10.1371/journal.pone.0117938, 2015

※14:Midori Nishiyama, et al., "Lifestyle and attitudes towards smoking among smokers and non-smokers in a Japanese university: Repeatedly measured cross sectional study of paramedical students." Japanese Journal of Health and Human Ecology, Vol.75(1), 18-29, 2009

※15-1:Mandeep R. Mehra, et al., "Cardiovascular Disease, Drug Therapy, and Mortality in Covid-19." The NEW ENGLAND JOUNAL of MEDICINE, DOI: 10.1056/NEJMoa2007621, May, 1, 2020

※15-2:Ayse Basak Engin, et al., "Two important controversial risk factors in SARS-CoV-2 infection: Obesity and smoking." Environmental Toxicology and Pharmacology, Vol.78, 102411, doi.org/10.1016/j.etap.2020.103411, May, 15, 2020

※16:Olga Perski, et al., "Has the SARS-CoV-2 outbreak had an impact on uptake of digital cessation support in UK smokers? An interrupted time series analysis." JMIR Preprints, doi.org/10.2196/preprints.19494, April, 20, 2020

※17:Francesca Galle, et al., "Understanding Knowledge and Behaviors Related to CoViD-19 Epidemic in Italian Undergraduate Students: The EPICO Study." International Journal of Environmental Research and Public Health, Vol.17, 3481, doi:10.3390/ijerph17103481, May, 16, 2020

※18:James M. Clay, Matthew O. Parker, "Alcohol use and misuse during the COVID-19 pandemic: a potential public health crisis?" THE LANCET, Public Health, doi.org/10.1016/S2468-2667(20)30088-8, April, 8, 2020

※a:一般社団法人日本たばこ協会は、日本国内でタバコ製品の販売をしている3社(ブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパン合同会社、フィリップモリスジャパン合同会社、日本たばこ産業株式会社)が中心となって1987年設立

サイエンスライター、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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