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「タバコのアレルギー試薬」販売中止は本当に「JT」の陰謀か

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:ロイター/アフロ)

 タバコにまつわる「伝説」や陰謀論は多いが、ネット上でタバコのアレルギー試薬について話題になっている。日本たばこ産業(以下、JT)の子会社になった製薬会社が製造していた試薬が販売中止になり、それが受動喫煙の患者を増やさないためのJTの意図に沿ったものだったのではないかという内容だ。その真偽について考えてみる。

タバコ依存から脱却を画策したJT

 合従連衡が進んだタバコ産業は、専売制が残る中国を除き、ビッグ5などと呼ばれるグローバル巨大企業が寡占状態になっている。フィリップ・モリス・インターナショナル(以下、PMI)、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)、JT、インペリアル・タバコ、アルトリアだ。

 これらタバコ会社は、1990年代から21世紀の市場変化を見すえ、紙巻きタバコ後の新たな喫煙市場への対策を立ててきた。アイコス(IQOS)を出したPMIのように害の低減をうたった新型タバコの研究開発に邁進した会社もあれば、M&Aなどによりタバコ以外の事業を経営の柱に育てる方針を打ち出したJTのような会社もある。

 銀行が企業融資をする際、経営の柱が単独の会社は敬遠する。主力商品が落ち目になれば、経営が危うくなる危険性が高いからだ。もちろん、企業側も経営の多角化を図り、安定性を高めようとするが容易ではない。

 JTが自ら望んで旧専売公社から民営化(実際は現状でも1/3の官民企業で経営陣に財務省からの天下りを擁する)したのは1985年だが、1994年10月の株式上場を経て、親方日の丸企業が自立する過程で迷走した時期もあった。JTは民営化以降、「ABCDEF」というキャッチフレーズで多角化を目指した。Aはアグリカルチャー(農業)、Bはバイオテクノロジー、Cはケミカル(化学)、Dはドラッグ(医薬)、Eはエンジニアリング(技術)、Fはフードというわけだが、2003〜2006年にはJT PLAN-Vを策定し、タバコ依存という皮肉な状況からの脱却を模索する。

 こうした中、JTの経営戦略は、タバコ産業は一国の市場に強く依存し過ぎてはいけないという志向を強くする。安定して利益を上げることができる市場を少しでも多く確保することが重要であり、経営の多角化もその方策の一つだった。

 そんなJTが、老舗の製薬会社である鳥居薬品を買収したのは1998年だ。その前にもABCDEF戦略として米国のピルスベリー社(冷凍食品)の日本独占販売権を取得し、自販機飲料へ進出(2015年に撤退)など、タバコ会社だけでなくM&Aを進める。そしてJTは1993年に設立した総合研究所に医薬品を含む研究開発部門を集中させ、鳥居薬品はJTがM&Aで取得したり開発した医薬品を販売する会社となった。

儲かるならJTは出すはずだ

 鳥居薬品は、製薬会社として明治期に横浜で創業した歴史ある会社だが、米国のメルク・アンド・カンパニー(1983年)やアサヒビール(1988年)に買収された経緯があった。新薬開発には資金力が必要だが、医薬品業界でも中小は競争力が弱い。JTは鳥居薬品の研究開発部門も吸収し、M&Aした年には医薬系準大手に匹敵する200億円の研究開発費を投じている。

 興味深いのは、鳥居薬品のM&Aをかつてアサヒビールが仕掛けていたことだ。アサヒビールも主力商品がスーパードライだけで、経営の柱を多角化させたいという動機があった。だが、その後、本業回帰へ舵を切り、JTへ鳥居薬品を売ったということになる。

 アサヒビールとJTの違いは、JTは本体に研究開発部隊を集中させ、鳥居薬品に販売力を期待した点だろう。2003年初めに早期退職者優遇措置で人員整理を実施すると同時にMR(医薬情報担当者、病院や研究機関、大学などへの営業部隊)を大増員し、社長を交代させ、販売力強化に注力する。

 この2003年3月に鳥居薬品は、それまで取り扱っていた103種類、165品目の製品ラインナップを整理し、販売を中止した。同社の経営企画部によれば「従来から随時適切な時期に需要を見極めて製品ラインナップの整理をしている」とのことで、この165品目の中に前述したタバコのアレルギー試薬(診断用アレルゲンスクラッチエキス「トリイ」、診断用アレルゲン皮内エキス「トリイ」)が入っており、これが親会社であるJTの指示だったのではないかという疑いが生じているわけだ。

 もう15年も前の話であり、回答してくれた鳥居薬品の経営企画部の担当者は、今さら蒸し返されて困惑している様子が垣間見えた。日本禁煙学会が「アレルギー検査用試薬『タバコ煙』製造・販売再開のお願い」をしたのが2015年8月であり、同社によれば同じ2015年8月にこの間の経緯を前述した内容で厚生労働省に説明しているという。

 アレルギー試薬が販売中止されたのは2003年で、JTによる鳥居薬品内部の人員削減を含む整理統合や組織改編が劇的に行われていた時期に重なる。すでに製造部門はJTに吸収されていたから、鳥居薬品が試薬を作ることはできない。

 タバコ煙に含まれる化学物質により、喘息の発作が出たり皮膚に痛みや炎症が生じたりする人は少なくない。こうした化学物質過敏症について、日本で診断治療している医療機関は多くなく患者が困っているのも事実だ(※1)。

 ただ、販売中止する前まで鳥居薬品が作っていたタバコのアレルギー試薬は、期間的にみて特許は切れている。需要があれば、他社が作ることも容易に可能だろう。それが市場にないということは、とりもなおさず製造コストに見合った利益が期待できないことにほかならない。

 念のため、JTの広報にタバコのアレルギー試薬の販売中止がJTの意図だったかどうかについて聞いたところ「まったく身に覚えがない」という回答だった。多角化を目指すJTの医薬品部門や食品部門の収益は伸び悩んでいる。もしタバコのアレルギー試薬が「儲かる」なら迷わず製造販売するだろう。

※1:「自らの『タバコ臭』に気付かない人々」Yahoo!ニュース:2018/03/19

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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