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ワインと潜水艦

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
イラスト素材:いらすとや

 明日、11月16日はボジョレーヌーボー解禁日だ。1985年から毎年11月の第3木曜日が解禁日になっている。ワイン好きには特別な日だが、ワインの歴史は古い。先日も約8000年前の世界最古のワイン造りの痕跡が発見されて話題になった。

フィロキセラをまぬがれた甲州種ブドウ

 ところで150年くらい前、フィロキセラ(ブドウネアブラムシ)という害虫がヨーロッパ原産のワイン用ブドウ、ビニフェラ種に大打撃を与えたことがある。うどんこ病などの被害も影響し、カベルネ・ソーヴィニヨンやピノ・ノワールといったブドウが、ほぼ壊滅状態になってしまう。

 だが、北米原産のラブルスカ種には、フィロキセラへの耐性があった。それ以後、ヨーロッパ原産のブドウの樹を北米原産のものに接ぎ木し、フィロキセラの影響を受けないワイン用のブドウを栽培することが多く行われるようになる。

 一方、日本のブドウは明治以前まで、山野で自生するヤマブドウやエビヅルなどの野生のブドウが主だったが、山梨には甲州種というブドウが古くからあった。甲州種の果実はそのまま食べても美味しいが、白ワイン用としても栽培されている品種だ。

 不思議なことに、甲州種ブドウはヨーロッパ原産だ。さかのぼれば奈良時代の初めごろ、行基という高僧が見つけたという説もあり、また甲斐の国の雨宮勘解由という人が平安時代末期に勝沼で栽培を始めたという説もある。

 ヨーロッパ原産のブドウが、そんな昔になぜ日本で自生していたのか、その理由ははっきりとわからない。ヨーロッパ原産のブドウを遡ればペルシアやカフカスなどの中近東あたりを起源とする。おそらく甲州種ブドウはシルクロードで日本まで運ばれてきたのだろう。

 甲州種ブドウは、江戸時代までは生食用として栽培されていたらしい。これが明治時代になると、このブドウを使った白ワイン作りが始まる。日本でも明治時代以後に導入されたヨーロッパ原産のブドウは、前述したフィロキセラ害虫により壊滅的な打撃を受けた。だが、なぜか同じヨーロッパ原産と同じ起源と考えられる甲州種ブドウは被害を免れたのだ。

ブドウから水中聴音機が

 戦時中の日本でも、ブドウ作りやワイン醸造が奨励されていた事実はわりによく知られている。洋酒のワインはぜいたく品、敵性文化として排撃されそうだが、そうならなかった。その理由は、ワインからできる酒石(ロッシェル塩)が、軍事用の水中聴音機(パッシブソナー)の材料になったからだ。

 このあたりの事情は、財務省国税庁の税務大学校のHPに書かれている。ワインにはリンゴ酸やクエン酸など多様な酸が含まれているが、その中で最も多いのが酒石酸だ。もともとワイン用のブドウに含まれている酸でもある。

 この酒石酸がワインのカリウムと結合して結晶になったものが酒石酸カリウムで、それがナトリウムと結合すると酒石酸カリウムナトリウム、つまり酒石(ロッシェル塩、セニエット塩)になる。ワインの瓶の底やワインコルクにキラキラした結晶が沈んでいたり付着していたりすることがあるが、あの結晶が酒石で無害なものだ。

 酒石は圧電効果がある物質として知られている(※1)。圧電効果というのは圧力をかけると電気が流れることだ。たとえば、ガスコンロに点火するスイッチを押すと圧電効果によってパチパチと火花が出てガスに点火される。

 第二次世界大戦中の軍事用の聴音機は、主に駆逐艦などが海中の潜水艦を探知するために使われた。原理はマイクロフォンのように、潜水艦が出すエンジン音などの音波をひろう。一方、自分から音波を発信し、それが跳ね返ってくることで相手を探知する装置が水中探信儀(アクティブソナー)だ。

 ブドウに含まれる酒石酸、そしてワイン醸造の過程で生じる酒石は、その圧電効果を利用して軍事用の水中聴音機の材料として欠かせないものとなった。旧日本軍は米国など連合軍の潜水艦に悩まされ、多くの艦船や輸送船が沈められた。旧日本海軍の駆逐艦に搭載された水中聴音機で敵の潜水艦を探知することが急務だった、というわけだ。

 この酒石のおかげで戦時中もブドウ作り、ワイン造りは廃れなくてすんだ。戦時中は「ブドウは兵器だ」などのポスターも日本のあちこちに貼られていたらしい。

 さて、今年もボジョレーヌーボーが楽しみな季節になってきた。マンズワインブランドを展開し、毎年、ボジョレーヌーボーを売り出しているキッコーマンが現地から得た情報によれば「ブドウは低収量だったが果実味とアロマが十分あり、凝縮した味わいで酸とのバランスも良い。ふくよかで絹のようなしなやかさのある、フレッシュで輝かしいヴィンテージ(当たり年※筆者註)になりそう」らしい。筆者もワインが大好きなので今年も楽しみにしている。

※1:J Valasek, "Piezo-Electric and Allied Phenomena in Rochelle Salt." Physical Review Journal, Vol.17, 475, 1921

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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