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やはり「ガラス」は普通の固体とは違っていた

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:アフロ)

 科学と政治は、実は密接に結びついている。それは原子爆弾を作った米国のマンハッタン計画をみればいいし、昨今の日本で議論になっている科研費と国防費との関係について考えてみればよくわかる。

 20世紀は戦争の世紀とも言われるが、日本を含めた枢軸国の科学者はいろいろと毀誉褒貶相半ばするイメージに翻弄されることがある。戦前のドイツでノーベル化学賞(1936年)やフランクリン・メダル(1937年)を受賞したピーター・デバイ(Peter Joseph William Debye、1884年〜1966年)もその一人だ。

ガラスは果たして固体なのか

 デバイはチューリッヒ大学やベルリン大学の教授を務め、ドイツ物理学会の会長になったほどの人物だが、第二次世界大戦が勃発した1939年に米国へ渡り、コーネル大学で研究を続けた。だがデバイの死後、21世紀に入ってから彼の評価は地に墜ちる。オランダで出版された書籍に、戦時中、アルバート・アインシュタインがデバイをナチスドイツの協力者と告発し、コーネル大学で教鞭を執ることに反対した、という記述があったからだ。

 その後、アインシュタインの告発がどうやら真偽不明の情報が元ということが判明し、むしろデバイはユダヤ人のドイツからの脱出を助けたり、逆に英国の諜報機関のスパイだったのではないか、という説まで飛び出した。彼がどんな人物だったのか、真相は依然として闇の中だが著名な科学者であればあるほど、政治と無縁ではいられないという例だろう。

 そのデバイの研究成果の一つに「デバイ・モデル(Debye model)」や「デバイ周波数(Debye frequency)」というものがある。光が粒子であり同時に波(振動)であるように、音もまた粒子であり波だ。その音の粒子がフォノン(phonon)で、音子(おんし)とも音響量子とも呼ばれるが、フォノンは物体(結晶中の原子、格子)の中に閉じ込められ、外部から叩かれると物体から粒子の波が出てきて音を出す。

 例えば、寺の鐘が鳴るのは鐘からフォノンが出てきて共振するとも言えるが、鐘からフォノンが出てくることを格子振動と言う。この格子振動にはアインシュタインが考えたモデルもあるがデバイによるデバイ・モデルもあり、デバイはフォノンの振る舞いを物体中の熱(比熱)による格子振動としてとらえた。アインシュタイン・モデルとの違いは、低温での振る舞いでデバイ・モデルのほうが正しいとされる。アインシュタイン・モデルも間違っているわけではないが、デバイ・モデルにより汎用性があるということらしい。

 ところで、ガラスが固体か液体か、という話が雑談などでよく出てくる。もちろん、コップを持っても窓を見ても、ガラスは硬いし、液体とは考えられない。ただ、ガラス細工を作る様子などからは高温で熱するとドロドロになって液体のようだ。

 古い窓ガラスで下のほうに厚みがあるのはガラスが液体で下へ垂れ下がってくるからだ、とまことしやかに主張する人も少なくない。ガラスは流体のようなアモルファス(非結晶)の固体、と言われてもなかなか理解できない説明だ。ただ、何千万年も経たなければ、窓ガラスが目に見えるほど垂れ下がってくることはないらしい。

ガラスは固体とは違うことがわかった

 ガラスは固体のようだが普通の固体とはやはり違う、という研究成果が先日、米国の科学雑誌に発表された。日本の東京大学と東北大学の共同研究で、ガラスの分子の振動が普通の固体と違うことを証明した(※1)。

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ガラスのコップとコンピュータシミュレーションによって計算されたガラス。分子は不規則な状態で配列するアモルファス固体になっている。Via:東北大学のプレスリリース

 固体を叩くと音が出るのは、その固体の格子からフォノンが出てくる格子振動のためだが、その音の波、音波もデバイ・モデルの法則に従っている。だが、ガラスのようなアモルファス固体では、デバイ・モデルの法則が通用しないことがわかっていた。

 今回の共同研究チームは、ガラスに固有な分子の振動パターンをコンピュータによってシミュレーション解析したところ、ガラスには固体が発する音波とは全く異なる空間的に局在した振動があることがわかり、それは従来のデバイ・モデルではない、新しい法則に従うことを発見した、という。これまで解明されてこなかった、ガラスの振動パターンがなぜ普通の固体と違うのかがわかったのだ。

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コンピュータシミュレーションによって明らかになったガラスに固有な分子振動パターン。右は局在振動のパターン、左は音波の振動パターン。右の局在化している分子の振動を矢印で示す。Via:東北大学のプレスリリース

 このことにより、ガラスが普通の固体と本質的に違うことを決定的に証明し、ガラスというものを理解するためには普通の固体に適用する理論ではできないことがわかった。また研究者は今回の研究成果により、ガラスの熱伝導率などの熱的な特性、ガラス造形に利用できる力学的な性質などへの理解を根本的に変える大きなブレークスルーになり、新たなガラス素材を開発することが可能になるだろう、と期待している。

 ただ、ガラスについてはアモルファス固体としての性質や温度による振る舞いなど、まだまだわからないことが多いのも事実だ。今回、ガラスの振動について普通の固体との違いが解明されたことで、ガラスについての理解もまた大きく進むだろう。

※1:Hideyuki Mizuno, Hayato Shiba, Atsushi Ikeda, "Continuum limit of the vibrational properties of amorphous solids." PNAS, doi:10.1073/pnas.1709015114, 2017

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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