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レオナルド・ダ・ビンチ以来の「泡の謎」に迫る

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(ペイレスイメージズ/アフロ)

 サッカーの日本代表、本田圭佑選手が蹴ったフリーキックは、なぜ「揺れ落ちる」のか、疑問に思ったことはないだろうか。ルネサンスの巨人、レオナルド・ダ・ビンチも同じことに首を捻った。

 ダ・ビンチは、自然界、特に水の挙動に強い興味を示し、その作品や手稿などにも水に関する詳しい観察記録とスケッチを描いている。「モナ・リザ」の背景にも水の流れが描かれているが、1497年頃には「水の研究」と題する手稿をあらわし、水や水の流れに関する簡単な研究もしていた。

 彼が抱いたいくつかの疑問を「ダ・ビンチのパラドックス(Leonardo's Paradox)」という。その一つには、例えば、我々の両眼は左右にやや離れ、それぞれの目が見ている像は少しズレているのにもかかわらず、左右の目が別々に見ているはずの視差部分を脳が捨象するから、実際に我々がみている風景を絵に再現することはできない、という矛盾がある。

気泡のパラドックスとは

 水に関してもダ・ビンチのパラドックスがあるが、それは水中の気泡の運動に対する疑問だった。大きな気泡の塊りは水面へ向かって垂直にそのままずっと上昇していくのにもかかわらず、小さな気泡(ミリサイズ)は最初は垂直に、やがてジグザグからスパイラルを描きながら立ち昇っていくのはなぜか、というパラドックスである(※1)。

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水中の気泡のサイズによる上昇の違い。気泡の大きさは「a」から「f」まで、それぞれ4ミリ、5ミリ、7ミリ、9ミリ、12ミリ、20ミリ。挙動も形状も気泡のサイズによって変化する。

 このダ・ビンチのパラドックスは、今までずっと解明されていない。気泡に関する物理学は「気泡力学」という流体力学の一分野であり、水中における気泡は、その生成の発生と成長過程、浮力、慣性、表面張力、界面活性、形状変化などが複雑に絡み合った挙動を示すからだ。

 気泡には単一の気泡と多数が集まった気泡群があるが、気泡の振る舞いを解明することは意外に重要だ。例えば、水中で泡が生じるキャビテーションを理解することでスクリューなどの破損を防いだり、逆に船舶を気泡でおおって抵抗を軽減させる省エネ技術が開発されたりする。さらに、建材コンクリート中の気泡除去、汚水処理での気泡バブル利用、超音波造影剤として気泡を使った医療機器、化学物質の混合攪拌など、建築や造船、ナノテクノロジーまで気泡力学の応用範囲は広い。

慣性モーメントが作用か

 最近、この気泡というダ・ビンチ以来の謎を解明するかもしれない論文が出た(※2)。オランダのトゥウェンテ大学と中国の精華大学の研究者は、細かい気泡がジグザクからスパイラルを描いて水中を上昇することに「慣性モーメント」が作用していた、と言う。水中の気泡と慣性モーメントのパラメータは、1984年以来、あまり評価されてこなかったらしい。

 内部の液体をかき混ぜ、慣性モーメントが低いシリンダーと高いシリンダー、流体の種類により144の組み合わせで用意し、その中で気泡を上昇させた。細かい気泡が水中で上昇を始めると、慣性モーメントが次第に低減し、ジグザグとスパイラルの運動を引き起こす。この正確なメカニズムは不明としつつ、観察によって定性的に説明できる、と研究者は述べている。

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液中での気泡の動き。「2S(シングル)」モードからミックスモード、そして「2P(ペア)」モードへ、という気泡と慣性モーメントの種類をあらわす。単純なものから複雑なものへ変化する。右のバーの色分けは渦の強さ。

 また、水中における気泡の挙動に慣性モーメントが関係していることがわかったことで、立体空間(3D)の中に浮遊する物体の運動の解明にもつながるかもしれない、と研究者は主張する。例えば、野球でピッチャーが投げるフォークボールの原理、またサッカーの本田圭佑選手が蹴ったフリーキックが揺れ動きながら落ちる理由が、より正確にわかるようになるわけだ。

 前述したように、流体中や静止液中での気泡の運動制御は、様々な分野に応用できる。ダ・ビンチが興味を示した気泡のパラドックスが、今回の研究ですべてわかったとは言えない。だが、研究者が言うように慣性モーメントのパラメータが盲点だったとすれば、研究が大きく前進するきっかけになるかもしれない。

※1:R. Krishna, J. M. van Baten, "Simulatiing the motion of gas bubbles in a liquid." nature, Vol.398, 18, March, 1999

※2:Varghese Mathai, Xiaojue Zhu, Chao Sun, Detlef Lohse, "Mass and moment of inertia govern the transition in the dynamics and wakes of freely rising and falling cylinders." Physical Review Letters, 2017. DOI: 10.1103/PhysRevLett.119.054501

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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