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ひとりの元幹部の死から考えた、日産の「本当の病巣」

井上久男経済ジャーナリスト
引責辞任を表明する日産自動車の西川廣人社長(写真:つのだよしお/アフロ)

 ひとりの硬骨漢が8月27日、鬼籍に入った。杉野泰治氏62歳。元日産自動車企画室課長で、1999年に日産を倒産の危機から救った功労者のひとりだ。

 当時の企画室のラインは、担当役員が鈴木裕企画室長、志賀俊之次長、杉野課長だった。杉野氏は実務担当者として世界を飛び回った。米国日産勤務が長く、英語ができて法務が専門だった。告別式では鈴木氏が弔辞を読んだ。志賀氏も供花した。

 杉野氏はルノーとの提携後も企画室に在籍し、カルロス・ゴーン氏から重用されたが、辞めた。高額報酬を提示され、残留するようにゴーン氏から言われたそうだが、退社した。おそらくゴーン氏の経営手法が嫌になったことも一因だろう。その後、企業再生ファンドを立ち上げ成功を収めた。唐沢寿明氏が主演したNHKテレビ60年記念ドラマ「メイドインジャパン」の主人公のモデルのひとりでもあった。

 

トップが2代続けて「報酬不正」

 昨年11月19日、ゴーン氏が逮捕された後、杉野氏に見立てを聞いた。あくまで推測として、金融商品取引法違反(有価証券報告書への報酬の虚偽記載)だけではなく、租税回避地とペーパーカンパニーを組み合わせた不正もしているだろうとのことだった。その見立て通りの展開となった。

 今回、日産の西川廣人社長が事実上の解任をされたことによって、日産ではトップが2代続けて報酬にまつわる「不正」でその地位を追われたことになる。世間には日産の役員・幹部は「銭ゲバ」だらけかと思っている人も多いだろう。確かに杉野氏のような「侍」が減ってしまったことは事実だ。

 杉野氏の上司で企画室長、鈴木裕氏も「侍」だった。湘南高校から東大に進み、日産に入ったエリートだが、人望が厚かった。20年以上、企業取材をしてきた筆者にとって尊敬できる役員のトップ5の中に入っている。

ルノーと塙氏が共謀した「罠」

 率直に言ってしまうが、鈴木氏は、はめられて日産本体を追われた。ルノー側は鈴木氏を手ごわい相手と見て、提携後、日産取締役から外すことを画策。ルノーのシュバイツァー会長は何度も鈴木氏に連絡し、ルノーへの出向を誘った。その誘いを「罠」だと見抜いたのが杉野氏だった。断るべきと進言した。

 鈴木氏は出向を断ったが、今度は塙義一社長から「ルノーに行ってくれ」と言われ、断れなかった。その時、「ゴーンさんは数年でルノーに戻る。次の社長を頼むのでそれまでの間ルノーに行って欲しい」と言われたそうだ。

「取締役全員の辞表」に激怒

 しかし、その人事は本当に「罠」だった。ルノーに行って2年ほど経過し、塙氏から連絡があり、「もう戻るところがないので転職先を探してほしい」と言われたそうだ。そして関連会社に追われた。シュバイツァー氏と塙氏が手を組んで鈴木氏を追い出したということだ。

 塙氏は、外資受け入れを決断した名経営者と、知ったかぶりで言う評論家は多い。確かにそうした一面はなくもないが、筆者が知る限り、「逃げの経営者」だ。塙氏は社長になる前、米国日産に日本人トップとして出向していたが、自らは経営から逃げ出し、米国人を採用してきて任せきりにした。

 ルノーとの前に、ダイムラーと交渉していた時に、ダイムラー側から「経営責任があるので、取締役会全員の辞表を提出して欲しい」との条件を突き付けられ、それを激怒して突っぱねたのが塙氏だった。それが、ダイムラーとの交渉が破談になった一因と見る向きもある。

提携合意書改定が招いた暴走

 ルノーとの間で結んだ提携合意書には、ゴーン氏の年俸、福利厚生の条件などが記されていたし、筆頭副社長(COO=最高執行責任者)を超える役職をルノーから受け入れないとする文言も入っていた。ルノーから資本を受け入れても日産の経営の独自性をいかに担保するかを腐心して契約書を作成したのが杉野氏や鈴木氏だった。

 それを、ルノーやゴーン氏に媚びて、提携合意書の改定を認めたことが、ゴーン氏による経営の私物化や暴走を許す一つの契機になった。改定を認めたのが、塙氏であり、後に共同会長としてゴーン氏の「代官」としてリストラを推進した小枝至氏だ。今の日産の迷走の原点は、ルノーとゴーン氏に媚びて、自らも甘い汁を吸った塙氏と小枝氏の経営判断にあると言えるだろう。

 日産を、クルマではなくカネを造る無残な拝金主義の会社にしたのは、「代官」であった塙氏や小枝氏である。そしてゴーン氏から社長のバトンを引き継いだ西川氏ら多くの日本人トップがゴーン氏に媚びた。経営層の中で拝金主義者が拝金主義者を引き上げ、現在の日産の社風が出来上がった。鈴木氏や杉野氏のような「侍」は、今の日産の中では「天然記念物」だ。

 中でも塙氏と小枝氏の「罪」は重い。提携前から取締役であり、経営破綻寸前に陥った経営責任があるはずで、社長だった塙氏は本来、辞任すべきだった。西川氏を擁護するわけではないが、当時、西川氏は取締役ではなかった。ただ、後に西川氏はゴーン氏に重用され、拝金主義に染まってしまった。というよりも、ゴーン氏に長く仕えるうちにゴーンに洗脳され同化してしまったと見るべきかもしれない。

「昔はいい人だった」西川氏

 西川氏がゴーン氏や小枝氏と付き合うようになって性格が変わったとの指摘もある。鈴木氏は、海外部品を購入する日産トレーディングに出向している時、西川氏の上司だった。米イリノイ大学への西川氏の留学も鈴木氏が推薦した。鈴木氏はニューヨークやワシントンで勤務して日産の国際派で顔も広かった。当時の社長の辻義文氏から「私は理系なので、文系で英語ができて私がいないときに代行できそうな人材はいないか」と聞かれ、鈴木氏は西川氏を推薦。辻社長の秘書となり、社内で西川氏の顔は売れた。

 鈴木氏が推薦したように、当時の西川氏は「仕事ができて明るくて面倒見がいい」との評判だった。西川氏が社長になった時、杉野氏に人物像を聞いた時も「昔はいい人」だった。意見具申する部下を怒鳴りつけ、不遜で、引責辞任の会見でろくに頭も下げない今の西川氏のイメージからは想像もつかない。

 池波正太郎氏の小説『鬼平犯科帳』に出てくる冷酷な盗賊団の中には、人間の心がまだ残っている一味がいて、洗脳と恐怖から解き放たれて鬼平に力を貸すことがある。たとえは適切ではないかもしれないが、ゴーン氏に支配されていた日産は、リストラと下請けいじめで金を稼ぐ「盗賊団」のようであった。西川氏は凶賊の有能な手下ではあったが、まだ人間の心が残っていると信じたい。

 西川氏が辞任しても日産には難題が山積だ。ルノーとの交渉、売れる車づくりなどだ。西川氏は取締役としてはまだ残るようなので、その間は院政と言われないように気を付けて、改心して、後継者が拝金主義から脱してまっとうなクルマを造る会社に再生するプロセスを見守ってほしい。

経済ジャーナリスト

1964年生まれ。88年九州大卒。朝日新聞社の名古屋、東京、大阪の経済部で主に自動車と電機を担当。2004年朝日新聞社を退社。05年大阪市立大学修士課程(ベンチャー論)修了。主な著書は『トヨタ・ショック』(講談社、共編著)、『メイドインジャパン驕りの代償』(NHK出版)、『会社に頼らないで一生働き続ける技術』(プレジデント社)、『自動車会社が消える日』(文春新書)『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』(同)。最新刊に経済安全保障について世界の具体的事例や内閣国家安全保障局経済班を新設した日本政府の対応などを示した『中国の「見えない侵略」!サイバースパイが日本を破壊する』(ビジネス社)

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