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洗っても落ちない農薬がEUで禁止に 日本はどうする? ≪シリーズ・ネオニコチノイド問題を追う≫

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
(写真:イメージマート)

(この記事の取材費用の一部に一般社団法人アクト・ビヨンド・トラストからの助成金を用いています。なお、編集権は筆者に帰属します。)

地球環境や人体に有害な農薬の使用を見直す動きが欧州連合(EU)を中心に世界各地で加速する中、日本でも農薬の安全性を独自に再評価する作業が政府内で始まった。だが、研究者や消費者団体の間からは早くも、その手法やそこから導き出される安全基準の妥当性を疑問視する声が相次いでいる。

「安全」は絶対ではない

農薬は、メーカーや輸入業者らが農林水産大臣に登録申請し、問題がなければ登録されて使用できるようになる。これまではいったん登録されると原則、取り消されることはなかった。

だが、登録時は安全とみなされ広く利用されている農薬が、その後の第三者による研究で、実は生態系や人の健康に重大な危害を及ぼす恐れがあることがわかったという例は、けっして珍しくない。それどころか、むしろそういった例のほうが可能性としては多いのではないかという認識が、農薬が普及し始めて半世紀がたち農薬に関する様々なデータが蓄積されてきた今、徐々に広がりつつある。

その証拠にEUや米国などには、安全とみなされて登録された農薬が本当に安全かどうか、何年か後に最新の研究成果を踏まえて再評価する仕組みがある。日本政府も遅ればせながら、2021年度から「農薬の再評価制度」をスタートさせた。

国に見直しを要望

現在、日本の登録農薬数は、独立行政法人農林水産消費安全技術センターによると4068種類。主原料である有効成分の数で見ると591種類(いずれも2023年9月末時点)。国はこのうち使用量が多かったり毒性が特に強かったりする農薬から再評価の作業を進める方針で、現在までに35種類の有効成分が再評価の手続きに入った。

ところが、この再評価制度に関し、その信頼性を懸念する声が研究者や消費者団体の間から早くも上がっている。各地の生活協同組合や消費者団体などが加盟する「有害化学物質から子どもを守るネットワーク」は9月29日、農林水産大臣、内閣府食品安全委員会委員長、厚生労働大臣、環境大臣宛てに再評価制度の見直しを求める要望書を提出した。

NPO法人「ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議」(JEPA)は制度の見直しに関する提言書をまとめ、農水相らに提出した。

農薬メーカーに依存

研究者や消費者団体などが一番問題視しているのは、評価手法だ。再評価作業の流れは簡単に言うと、農薬メーカーが毒性試験の結果や疫学研究などの公表論文を資料として農水省に提出。それを農水省、食品安全委員会、厚労省、環境省が独自に評価し、最終的に新たな安全基準が設定される。

問題は、論文を収集し、その中から再評価に使う論文を選び、かつ、それらの論文に優劣をつける作業を国がすべて農薬メーカー側に任せている点だ。これが、農薬メーカーに都合の悪い論文があらかじめ除外されたり、低い評価がつけられたりして、その結果、国の評価が、国民の健康よりも農薬業界の利益を優先した内容になってしまうのではないかという疑念を生む原因となっている。

農薬の毒性に詳しい神戸大学大学院の星信彦教授は「裁く側が裁かれる側に判断材料となる資料の取捨選択をゆだねるというのは、どう考えてもおかしい」と首をひねる。

国は「(農薬の安全性に)一義的な責任を負うのは企業であり、また、再評価する農薬の数が多く、国がすべて行うにはリソースが足りない」(食品安全委員会)と農薬メーカー頼みの理由を説明。さらに、農水省が「公表文献の収集、選択のためのガイドライン」を2023年7月に一部見直したことなどを挙げて、メーカーに都合の悪い論文が選択から漏れるという懸念は当たらないと強調する。

「丸ごと委託は日本だけ」

しかし、JEPAは提言書の中でガイドラインの一部見直しに言及し、「公表文献の収集、選択等を行う主体が利益相反のある再評価申請企業である点については、(ガイドラインの中身に実質)何ら変更はない」と国の主張を一蹴する。

JEPAや農薬問題に詳しい専門家によれば、農薬の安全性評価の作業をこれほど農薬メーカーに依存するのは、主要先進国の中では日本だけだ。例えば、米国では農薬のリスク評価を行う環境保護庁(EPA)自身が「専門家としての責任を持って、(資料の)収集・選択等の作業を行っている」とJEPAは指摘する。

EUも「公表文献の収集は申請者が行うものの、収集された文献の評価・選択等の作業は担当加盟国が行い、最終的にはリスク評価を行うEFSA(欧州食品安全機関)が決定」(JEPA)し、「他の機関に丸ごと委託したり、ましてや申請者である農薬企業に全ての作業を行わせるなどということはしない」(同)という。

ネオニコ系農薬に注目

再評価の行方で特に注目を集めている農薬が、増え続ける子どもの発達障害との関連が指摘されている殺虫剤のネオニコチノイド(ネオニコ)系農薬だ。やはり関心の高い除草剤のグリホサートとともに、いの一番に再評価の対象となった。浸透性で農産物の内部に残留することから、洗っても落ちない農薬とも言われている。

ネオニコ系農薬は害虫だけを効果的に駆除し、従来の農薬と比べると他の生物や人には安全との触れ込みで、1990年代から世界各国で急速に普及した。しかし、普及した地域で貴重な花粉媒介昆虫であるミツバチの生息数が激減するなど生態系の異変が相次いで報告されるようになると、その毒性に関する研究が各国の研究者の手によって始まり、新たな事実が次々と明らかに。規制強化の機運が高まった。

欧米での規制強化の動きに少なからぬ影響を与えたのが、環境脳神経科学情報センター副代表で医学博士の木村―黒田純子氏が2012年2月に発表した論文だ。同論文は、ラットの発達期の培養神経細胞を使った実験を通じ、ネオニコ系農薬が人を含む哺乳類のニコチン性受容体(神経の伝達に欠かせないタンパク質)に直接作用することを明らかにした。

翌2013年12月、EUの政策執行機関である欧州委員会の要請を受けたEFSAは、「木村―黒田氏の論文を既存のデータと併せて検討した結果」、ネオニコ系農薬の一種、アセタミプリドとイミダクロプリドは「学習や記憶などの機能に関連する神経系や脳の構造の発達に悪影響を与える可能性があることを確認した」と発表。許容一日摂取量(ADI)の引き下げ(規制強化)を提案した。

対照的な欧米と日本

EUはほぼ同時期に、クロチアニジン、イミダクロプリド、チアメトキサムの3種類のネオニコ系農薬に関し、ミツバチへの影響が大きいとして2年間の暫定使用禁止措置を発表。2018年には正式な使用禁止(屋内での使用を除く)に踏み切り、他のほぼすべての主要ネオニコ系農薬も2020年までに事実上、使用禁止となった。

米国でも、2015年に環境保護庁(EPA)がクロチアニジンなど4種類のネオニコ系農薬に関し、ミツバチに重要な影響を及ぼさないことが明らかになるまで新規や追加の登録を認めない方針を発表。それ以降、州レベルでも、オレゴンやメリーランド、バーモントなど独自の規制強化策を打ち出すが増え続けている。

日本政府はこの間、2015年にホウレンソウに対するクロチアニジンの残留基準値を従来の13倍強に緩和するなど、規制緩和を進めてきた。こうした“実績”も今回の再評価の進め方に疑念が持たれる一因だ。

多数の論文が“落選”

海外におけるネオニコ系農薬の規制強化の流れを作った木村―黒田氏も、再評価の進め方に強い懸念を示す。現在、再評価作業が行われているクロチアニジンについて、製造元の住友化学が再評価用に作成した公表資料を調べたところ、本来、含まれるべき論文が多数、「明らかに評価目的に適合しない文献」として除外されていた。除外された論文に関する情報は公開されていないが、同氏は「ネオニコに関する公表論文はほぼ把握しているため、どの論文が削除されたかわかった」と話す。

同氏によると、除外された論文の中には星教授の研究チームが書いた7本の論文が含まれていた。発達神経毒性や生殖機能への影響などを動物実験で明らかにしたものだが、注目すべきは、多くの毒性試験で、国が認めた「無毒性量」で動物に異常行動が見られたことだ。

無毒性量はわかりやすく言えば「農薬を摂取したとしても、これくらいの量なら健康への影響は心配ない」と国が判断した量。ところが、星教授らのクロチアニジンの毒性を調べた実験では、国が問題ないと言っている量で問題が起きた。そして、それらの論文が再評価のための資料から外されていたと木村―黒田氏は指摘する。

同じく再評価作業中のイミダクロプリドに関しても重大な新たな発見を指摘した論文が漏れていた。EUの政策に影響を与えた2012年の論文は、製造元のバイエルクロップサイエンスが作成した公表資料に含まれてはいるものの、評価は最低の「C区分」という。

関連業界への打撃を考慮?

人への影響を評価する食品安全委員会は「最新の科学的知見に基づいた」というフレーズを好んで使う。しかし、農薬の再評価に採用される試験法は必ずしも最新の科学的知見に基づいていないとの指摘がある。

例えば、再評価に必要な毒性試験は国際的に認められた共通の試験方法である「OECD(経済協力開発機構)ガイドライン」に準拠した試験であることを要件としている。だがJEPAは「現在使用されている(OECDの)試験法ガイドラインは10~30年前の科学的知見を基盤としたものが多く、近年の新しい科学的知見に基づいたものではない」と指摘。それを補完するためにも、最新の試験法によって得られたデータやそれをまとめた論文をもっと採用すべきだと提言している。

そうしないのは、最新の科学的知見を採用すると、ネオニコ系をはじめとする人気の農薬はやはり人や生態系へのリスクが大きかったという結論になり、規制強化せざるを得なくなるからではないかと指摘する専門家もいる。規制強化は関連業界への打撃となる。

星教授は「欧米はOECDガイドラインにのっとりつつ、最新の科学的知見を取り入れ、さらに学者の意見もよく聞いた上で最終的な判断を下す。だから同じ農薬でも、日本と結論が違ってくるのではないか」と話す。

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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