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絶滅した国の天然記念物はなぜ劇的復活を遂げることができたのか《シリーズ・ネオニコチノイド問題を追う》

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
水田で餌を探すコウノトリ(筆者撮影)

(この記事の取材費用の一部に一般社団法人アクト・ビヨンド・トラストからの助成金を用いています。なお、編集権は筆者に帰属します。)

翼を広げると2メートルにもなるコウノトリ。白と黒のコントラストが美しい、この国の天然記念物が大空を自由に舞う場所がある。日本海に面した地方都市、兵庫県豊岡市だ。一度は日本の空から姿を消した大型の野鳥はなぜこの地で劇的な復活を果たすことができたのか。現地で取材した。

有機農業がやりたくて移住

「うちでは無理。有機をやりたいなら但馬に行け」

大阪府吹田市で工場勤めをしていた中井勇一さんは有機農業がしたくて、神戸市で開かれた就農セミナーに参加した。稲作のブースに行き、ある自治体の担当者に相談した時に言われたのが、上の一言だった。但馬は豊岡市の旧名だ。

こうして中井さんは2016年4月、妻と一緒に豊岡市に移住した。

現在は4ヘクタールほどの水田で、有機農法でコシヒカリなどを栽培。生産量は少ないものの、ピーマンやニンジンなど野菜も有機農法で栽培している。ニンジンは全国に店舗を持つ大手スーパーが買い取りを申し出ているといい、作付面積を増やしているところだ。

中井さんは51歳とは思えないほど肌に張りがあり、艶々している。本人に伝えると「でしょ。いい物食べているからですよ」と笑う。

聞けば、若い頃は顔の吹き出物や口内炎に悩まされていたという。それが、結婚して有機食材を使った妻の手料理を食べるようになってからは、吹き出物も口内炎も消えて疲れも取れやすくなったと話す。

「結婚前はコンビニの菓子パンやインスタントラーメンばかり食べていたので、食事が原因だと思った。有機栽培の食べ物は味もよく、食べているうちに自分で作りたくなった」と有機農業を始めたきっかけまで教えてくれた。

「作ったお米を食べた人がおいしいと言ってくれるのが一番うれしい」と話す中井勇一さん(筆者撮影)
「作ったお米を食べた人がおいしいと言ってくれるのが一番うれしい」と話す中井勇一さん(筆者撮影)

世界的な潮流

農薬や化学肥料を使わない有機農業は地球環境に優しく、かつ作られた農産物は健康にもよいとして世界的に注目が高まっている。農林水産省も2021年に打ち出した「みどりの食料システム戦略」の中で、遅まきながら有機農業の推進に舵を切った。

日本は欧州や韓国などと比べ有機農業への転換が遅れている。農水省の推定によると、全耕地面積に占める有機農地の割合は2018年時点で0.5%程度に過ぎない。

豊岡市の耕地面積は水田と畑を合わせて3233ヘクタール。一方、有機農地面積は260.1ヘクタール(いずれも2020年)。計算すると有機農地の割合は約8%となり、国の平均を大きく上回る。

豊岡市で有機農業が盛んなのはコウノトリと深い関係がある。

共生の歴史

豊岡市には田鶴野や下鶴井など「鶴」のつく地名が多い。昔、コウノトリを鶴と呼んでいた名残だ。江戸時代には、コウノトリは幸せをもたらす「瑞鳥(ずいちょう)」と崇められ、狩猟が禁止されるなど手厚く保護されていた。

コウノトリとの共生は明治以降も続いた。1960年(昭和35年)に撮影された写真には、市内を流れる川の浅瀬で、畜産農家が数頭の牛を水浴びさせている横で10数羽のコウノトリが餌探しをしている様子が記録されている。

しかし、この頃にはすでに、戦前から戦後にかけて日本各地で進んだ乱獲や住み家となる森林の伐採などの影響で、豊岡市でもコウノトリの生息数が激減していた。1971年、同市内で最後の1羽が息絶え、野生のコウノトリは日本から姿を消した。

その一方で、兵庫県が中心となり、コウノトリを日本の空にもう一度飛ばそうという試みも始まっていた。1989年にはロシアから譲り受けたコウノトリで人工繁殖に成功。飼育数が順調に増えると、2005年には放鳥を開始。2007年、放鳥したペアによる自然繁殖が初めて確認された。

放鳥の数が増えるのに伴い、西日本を中心に新たな繁殖地が次々と生まれた。現在、国内の生息数は飼育も含めると約400羽。韓国や中国、台湾でも日本生まれの個体が確認されている。

絶滅の原因は農薬

7月上旬に豊岡市を訪ねると、西日本有数の米どころにふさわしく、緑の水田があたり一面に広がっていた。

水田地帯を回ると、あちこちにコウノトリがいた。細長い脚で稲をゆっくりとまたぎながら、時折、細長いくちばしを稲の間に突き刺している。畦道の電柱の上で羽を休めている個体もいた。豊岡市に行くと野生のコウノトリを普通に見ることができると話には聞いていたが、まさにその通りだった。

豊岡市がコウノトリの復活に成功した理由はいくつかあるが、地元の関係者の多くが最大の理由と指摘するのが、農薬の追放だ。

コウノトリは肉食でしかも大食漢。毎日、体重の約1割にあたる500~600グラムの餌を食べる。ドジョウに換算すると約80匹。体重約700グラムのナマズを飲み込んだ後も食事を続けていた観察記録もあるという。

生物の宝庫である水田はコウノトリの重要な餌場。ところが戦後、農薬が使われ出すと餌となる魚やカエル、昆虫類が水田から次々と姿を消した。また、農薬に汚染された餌を食べ続けたことで、コウノトリの体内に農薬が凝縮して蓄積され、それが孵化や幼鳥の成長に大きな影響を与えた。

日本で農薬の使用量が急激に増えたのは1960年代から70年代にかけて。コウノトリの絶滅時期と一致する。農薬の使用を止めないとコウノトリの野生復帰はかなわない。関係者がそう考えたのは当然だった。

水田に舞い降りる瞬間のコウノトリ(筆者撮影)
水田に舞い降りる瞬間のコウノトリ(筆者撮影)

ネオニコチノイドを除外

2005年の放鳥を決めた県と市は農薬の追放を急いだ。編み出したのが、農薬を極力使わない「コウノトリ育む農法」だった。同農法は農薬の制限以外に、化学肥料を使わない、種子消毒は農薬の代わりに食酢かお湯を使う、オタマジャクシがカエルになるまで水田の水を抜かないなど、水田の生態系を回復させるための様々な規定を設けている。

2003年に試験栽培を始めた時の作付面積はわずか0.7ヘクタールだったが、年を追うごとに拡大し、昨年は全水稲作付面積の約15%に当たる445.6ヘクタールにまで増えた。そのうちの3分の1強、全作付面積の約6%が無農薬栽培(有機栽培)で、残り3分の2弱が農薬を一部使用する減農薬栽培となっている。

育む農法がバージョンアップしたのは2014年。減農薬栽培で使用可能な農薬リストから、殺虫剤のネオニコチノイド(ネオニコ)系農薬を外した。

ネオニコ系農薬は1990年代から各国で急速に普及した。だが、無関係な虫や小動物まで駆除してしまうなど生態系への影響が大きく、また、近年、急増している子どもの発達障害や胎児の発育不全などとの関連が指摘されてきた。

このため、欧州連合(EU)は2020年までに原則使用禁止にし、米国でも多くの自治体が規制強化に乗り出した。日本は特に厳しい規制はなく、規制強化や使用禁止を求める声が一部消費者の間で高まっている。

無農薬栽培の水田には黒い旗が立てられている(筆者撮影)
無農薬栽培の水田には黒い旗が立てられている(筆者撮影)

「人間も同じ運命をたどる」

なぜ育む農法はネオニコ系農薬の除外を決めたのか。地元農協「JAたじま」のコウノトリ育むお米生産部会顧問で、育む農法の導入・普及に深くかかわってきた有機農家の成田市雄さんはこう説明した。

「欧州では(農作物の受粉を媒介する)ミツバチがネオニコにやられた。(作物の内部に浸透する)浸透性なので食べる前に洗っても落ちない。子どもへの影響も大きいと聞いている。そんなとんでもない物を使って食べ物を作っちゃいけないと思った」

さらにこう続けた。

「コウノトリは農薬を食べた魚やカエルを食べて死んだ。農薬を使った食べ物を食べ続けたら人間もコウノトリと同じ運命をたどる」

こう熱く語る成田さんだが、昔は農薬に無頓着だった。ネオニコ系農薬が何かを知ったのも比較的最近。各地の有機農家との交流や勉強会を通じて農薬の危険性を学んだという。

そんな成田さんにおいしい米づくりのコツを聞くと、こんな答えが返ってきた。

「自然に歯向かわない。自然に任せる。すると自然も我々にいいものを与えてくれる」

育む農法は2016年にはあらゆる種類の殺虫剤を禁止するなど、安全性と生態系の回復に一段と力を入れている。

コウノトリ育む農法の水田の前で取材に応じる成田市雄さん(筆者撮影)
コウノトリ育む農法の水田の前で取材に応じる成田市雄さん(筆者撮影)

JAたじまが全面協力する訳

育む農法で作った米はJAたじまが買い取り、「コウノトリ育むお米」のブランド名で販売している。買い取り価格は、減農薬米が普通米の1.3倍、無農薬米が同1.8倍。高値で売れることも育む農法の作付面積が増えている大きな理由だ。

買い取り価格が高い分、小売価格も高いが、消費者には人気という。「特に無農薬米は人気が高く、常に欠品気味」と、コウノトリ育むお米生産部会長の村田憲夫さんはうれしい悲鳴を上げる。

一般に農協は有機農業の普及には消極的だ。農薬や化学肥料を農家に販売することで利益を上げているからだ。JAたじまは例外的とも言える。

育む農法を支援する理由について村田さんは「値段で競争したら福井や滋賀の米には勝てない。付加価値を付けないと但馬の米農家は生き残れない」と明かす。

だが、それだけではない。「育む農法は手間もかかるし収量が減るリスクもある。それでもやるのは、そうせんとあかんから。コウノトリは一度絶滅している。再び絶滅させることはできない」と語気を強めた。

村田さんによると、育むお米は化学肥料に比べて窒素量が6~7割少ない有機肥料を使うため「甘くておいしい」という。「窒素量が多いと簡単に収量を増やせるが、米にタンパク質が残るので味が落ちる」と説明する。

有機肥料の説明をする村田憲夫さん(筆者撮影)
有機肥料の説明をする村田憲夫さん(筆者撮影)

若い世代も関心

地域を挙げて有機農業を推進する姿勢は農業の未来を担う若い世代にも影響を与えているようだ。

20年前に豊岡市に移り住み、以来、有機農法で小麦や大麦、野菜などを栽培している中務喜紹さん(60)は「私の周りでも最近、30代から40代の比較的若い人たちで有機農業を始める人が増えている」と話す。移住者だけでなく地元の若者が新規就農するケースも目立つという。

仕事がらパン職人との交流もある中務さんは「有機小麦は日本ではまだ少ないが、農薬が残留した小麦粉を扱って呼吸器の異常や手荒れなどに苦しむ職人さんも多く、需要は確実に高まっている」と話す。中務さんが移住して有機農業を始めたのも、娘の食物アレルギーを食事で治そうとしたのが理由だった。

中務さんは「昔に比べるとミツバチを見る回数が減ったので、ズッキーニの花などにミツバチがとまっているのを見ると、うれしくなる」と話し、ネオニコ系農薬が日本に蔓延している現状に強い懸念を示す。

約50種類もの有機野菜を作っている中務喜紹さんと妻の憲子さん(筆者撮影)
約50種類もの有機野菜を作っている中務喜紹さんと妻の憲子さん(筆者撮影)

市のシンボル

コウノトリの復活を目指して有機農業が広がり、その結果、コウノトリの復活に成功。さらにはそれが、ブランド米などを通じて豊岡市のイメージアップや魅力の向上につながっていることは、取材した感触からも間違いない。行政のトップはそれをどう見ているのか。関貫久仁郎市長に話を聞いた。

すると、「コウノトリの復活が市全体の活性化につながったかと言えば、そんなことはない。市民の普段の生活に直接は関係ないし、今後もコウノトリだけで市の経済が活性化するとは考えていない」と意外と冷静だ。

インタビューに応じる関貫久仁郎・豊岡市長(筆者撮影)
インタビューに応じる関貫久仁郎・豊岡市長(筆者撮影)

それよりも、高校卒業後、進学や就職で市外に出た若者の多くが戻ってこない現状を課題として挙げ、こう述べた。

「移住者を増やすことも大事だが、まずは、雇用面や生活の満足度を含め、ここで生まれ育った若者が帰ってきたいと思うような市にしたい。そのためには企業誘致や起業支援などを通じ、産業構造を変えることが重要だ」

とはいえ、「育むお米はコウノトリというストーリーがあるがゆえに、数ある有機米の中から消費者に選ばれている面もあるし、企業が投資先を決める際にコウノトリがきっかけとなる可能性もある」と述べるなど、コウノトリがもたらす恩恵も指摘する。

「コウノトリは市のシンボル。これからも守っていかなければならない」。そう市長は強調した。

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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