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米バイデン政権、水道水の安全性を大幅強化 有害化学物質の上限濃度を3000分の1に引き下げ

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
(写真:アフロ)

がんや免疫力の低下、胎児の発育不全などとの関連が指摘され、飲料水への混入が大きな問題となっている有機フッ素化合物「PFAS(ピーファス)」に関し、米環境保護庁(EPA)は飲料水の安全性を高めるための新たなガイドラインを発表した。新ガイドラインは従来のものに比べて規制が大幅に強化されており、欧州連合(EU)に足並みをそろえた格好だ。米政府の動きを受けて、PFAS問題への関心が低い日本でも今後、議論が高まる可能性がある。

永遠の化学物質

PFASは5000種類近くあるとされる有機フッ素化合物の総称で、半導体の製造に欠かせないほか、家庭用調理器具やプラスチック製の食器、口紅やアイメイクなどの化粧品、撥水加工された衣類、家具、身の回り品など幅広い工業製品に使われている。飛行場や自走式立体駐車場などで使われる泡消火器の消火剤としても利用されている。

化学的に安定しているため自然環境下では極めて分解しにくく、いったん工場などから廃水と一緒に排出されると、流れ込んだ先の河川や湖沼、地下水、土壌を半永久的に汚染し続ける。また、飲み水や農作物などを通じて人の体内に入ると排泄されにくい。このため「forever chemicals」(永遠の化学物質)とも呼ばれている。

PFASのうち特に毒性が強いとされるPFOS(ピーフォス)とPFOA(ピーフォア)に関しては、POPs条約(残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約)で製造や使用が禁止・制限され、日本でもPFOSは2010年、PFOAは昨年、製造・使用が原則禁止となった。だが、自然環境下では何十年にもわたって残留し続けるため、日本各地の河川や地下水、農地などから高濃度のPFOSやPFOAが今でも検出され続けている。

EPAは2016年、飲料水中のPFOSとPFOAの濃度の合計上限値を、1リットルあたり70ナノグラム(1ナノグラムは10億分の1グラム)と決め、安全性の目安とした。

ゼロに近い濃度でも人に影響の可能性

EPAは6月15日、その上限値を大幅に引き下げたと発表した。新たな上限値はPFOSが1リットルあたり0.02ナノグラム、PFOAが同0.004ナノグラム。合わせると0.024ナノグラムとなるが、これは70ナノグラムの約3000分の1という極めて厳しい水準だ。EPAは、新たな上限値は「最新の科学的知見に基づき、生涯にわたって摂取し続けた時の影響を考慮した上で決定した」と説明。さらに、大幅に引き下げたのは、「ゼロに近い濃度でも人の健康に悪影響を及ぼす可能性があるため」と述べた。

業界団体の米国化学工業協会(ACC)はEPAの発表と同じ日に声明を発表。「EPAが設定したレベルまで濃度を引き下げることは現在の技術では不可能であり、そもそも、それほどの低濃度を検出できる機械がないので、検証できない」と述べ、新ガイドラインは「手続き上、重大な欠陥がある」とEPAを批判した。

EPAはまた、PFASの一種で、PFOSやPFOAの代替品として使用されているPFBSとGenXについて、初めて上限値を設定した。前者は1リットルあたり2000ナノグラム、後者は同10ナノグラムとした。

ちなみに、1リットルあたり1ナノグラムという濃度は、日本の環境省の資料によると、一般的な学校のプールに食卓塩の塩粒3個分(0.3mg)を溶かした程度の濃度だ。

日本の規制に影響も

ガイドラインに強制力はないが、米国ではPFASによる土壌汚染や飲料水汚染をめぐって各地で裁判が起きており、ガイドラインに従ったかどうかが裁判の結果を左右する可能性も出てくる。EPAは強制力を伴う新たな規制を今秋にもまとめる予定で、それまではガイドラインが安全性の目安となる。

EPAはさらに、現在の個別の物質ごとに規制値を定めるやり方ではなく、欧州連合(EU)が進めているPFAS全体に網をかけて総量を規制するやり方も検討している。少なくとも、PFASの規制強化を選挙公約に掲げて当選したバイデン大統領がホワイトハウスに居続ける限りは、規制強化の流れが続く可能性が高い。

EPAの新ガイドラインは日本にも影響を与える可能性がある。厚生労働省は2020年、PFOSとPFOAの濃度を合わせた1リットルあたり50ナノグラムを水道事業者が水道水の安全性を確保するために達成すべき暫定目標値(努力目標)としたが、50ナノグラムはEPAが2016年に定めた70ナノグラムが根拠になっているとされる。

かりに厚労省が米国に合わせて暫定目標値を大幅に引き下げると、暫定目標値を超える「危険」な水道水が全国各地で出現することは確実だ。例えば、東京都が2020年に実施した水質検査では、PFOSとPFOA合わせて1リットルあたり5ナノグラムを上回った給水栓が、多摩地区だけで84カ所中15カ所もあった。

欧米がPFAS規制の強化に動く中、日本政府の対応が注目される。

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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