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森失言が日本にもたらした3つの功罪

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が辞任を明らかにした。問題発言から約1週間での辞意表明は、電撃辞任と言えなくもないが、「やっとか」という思いを抱いている国民は多いだろう。辞任の原因となったのが明白な女性蔑視発言であり、加えて、新型コロナウイルス禍で五輪開催の行方が注目されている時期だけに、海外の関心も非常に高かった。それだけに、森氏が日本の今後に与えた影響はけっして小さくない。

日本は外圧に弱い国

森氏は3日に開かれた日本オリンピック委員会(JOC)の評議会で「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと発言し、大炎上。その後、謝罪したものの、組織委員会の会長職にはとどまる意向を示していた。組織委員会は事態収拾のため、12日に臨時会合を開くことを発表したが、複数の大手メディアは「森会長の進退については議題にならない見通し」と報じていた。

それが一転して辞意表明となったのは、東京五輪に巨額の放映権料を払った米3大ネットワークのNBCテレビから圧力がかかったとの見方が出ている。政治アナリストの大濱崎卓真氏は「IOC(国際オリンピック委員会)の反旗ともとれる声明と、その巨大スポンサーで米国での放映権を持つNBCが本日早朝に出した森会長辞任要求記事により、もはや辞任不可避な状況に追い込まれていました」と、辞意を報じた記事にコメントを寄せている。

「森会長辞任要求記事」は、NBCのオピニオン・サイト「THINK」に掲載された、元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフ氏の寄稿を指している。読むと、主張は非常に明快で、見出しには「He must go」という一文が入っている。直訳すると「彼(森氏)は去らなければならない」という意味だが、must(しなければならない) はshould(すべきだ)よりも強い言葉で、命令とほぼ一緒だ。掲載のタイミングや記事の内容を考えれば、NBCがボイコフ氏の言葉を借りて森氏に辞任を迫ったという見方は、辻褄が合う。

仮に、森氏が辞任を決意する決定打となったのが、自身の意思や、組織委員会内部、あるいは政府与党からの説得ではなく、NBCからの圧力だったとすれば、「日本は外圧に弱い国」とのイメージが再び世界に広がりかねない。「外圧に弱い」は、イコール「外圧がないと変われない」「自浄能力がない」「自分では何も決められない」といった意味でもある。グローバル化の時代、こうした日本の負のイメージは、企業や個人の活動にも大きな影響を与え得る。

日本は女性の人権を軽視する国

森騒動によって改めて世界に知れ渡ることとなったのが、女性の人権向上に対する日本社会の取り組みの遅れだ。問題発言後に共同通信が行った世論調査では、国民の約60%が森会長は組織委員会の会長として「適任ではない」と回答し、五輪のスポンサー企業の多くも森氏の発言を批判。これだけを見ると、森氏の発言や価値観は平均的な日本人の価値観とは大きく離れているように見える。しかし、海外のメディアや専門家は、森氏の発言はむしろ、日本社会の平均的な価値観の反映と捉えている。

森会長の辞任を要求したボイコフ氏も、日本が世界経済フォーラムのジェンダーギャップ(男女格差)指数ランキングで世界153カ国中121位である事実に言及し、「森問題は日本問題の一部」と断じた。同氏は、「東京五輪誘致の貢献者である安倍晋三前首相は、日本企業における女性管理職の比率を2020年までに30%に引き上げると約束したが、現在、日本企業の女性管理職比率は12%に過ぎない」と述べて、女性の人権に関する日本の後進性を強調し、森氏の問題発言の土壌が日本社会にあったことを示唆している。

そうした海外の目は個々の企業にも向き兼ねない。トヨタ自動車は、森氏の発言は「わが社の価値観に合わない」と森氏を批判する声明を出した。しかし、経営誌「日経ESG」によれば、同社の2019年時点での女性管理職比率はわずか2.5%。安倍前首相が掲げた30%に遠く及ばず、日本を代表する企業としては、むしろ政府の足を引っ張っている感すらある。トヨタはグローバル企業だけに、海外の目を意識して声明を出したとの見方もできる。

他の多くの大企業も似たり寄ったりだ。日立製作所の取締役会長でもある経団連の中西宏明会長は、森発言について聞かれた際に、「日本社会にはそういう本音が正直あるような気もしますし、こういうのをわっと取り上げるSNSっていうのは恐ろしいですね。炎上しますから」と笑いながら述べたという。中西氏の発言は炎上を招いた。

国連が推進するSDGs(持続可能な開発目標)に象徴されるように、世界的企業は今まで以上に社会的責任を果たすことが求められている時代になっている。それだけに、森騒動をきっかけに、日本の大企業に対する海外の投資家や消費者、メディアの目が一段と厳しくなることも予想される。

日本が変わるきっかけに

一方で、森氏の問題発言は結果的に、性差別の問題を含めて日本が抱える問題点をあぶり出し、日本が変わるきっかけを与えたとも言える。仮に森氏が辞任を決意した決定打が米NBCからの圧力だったとしても、NBCに圧力を行使させたのは、日本の世論だった可能性は高い。日本の「反森」の世論が「反五輪」に発展し、最終的に東京五輪が中止に追い込まれれば、一番の経済的被害を受けるのはNBCだからだ。

トヨタなど五輪のスポンサーを務める日本企業が自民党の重鎮である森氏の発言を批判する声明を出したのも、好意的に捉えれば、日本が変わりつつある兆しかもしれない。

それらに加え、森氏の発言と、その後の海外メディアの報道、さらにはその海外メディアの報道を「逆輸入」する日本のメディアによって、日本が女性の人権に関しいかに遅れた国であるかを多くの国民が認識できたとすれば、森氏の組織委員会会長としての「功績」は、それなりに大きかったと言えるのではないか。

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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