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幻に終わった「トランプの壁」 バイデン氏は建設中止を表明 どうなる不法移民対策

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
米国とメキシコの国境に建設された壁(米カリフォルニア州、2006年、筆者撮影)

4年前、不法移民対策の強化を掲げて米大統領になったトランプ氏。その不法移民対策の象徴となったのが、メキシコとの国境に建設を約束した「トランプの壁」だ。あれから4年。トランプ政権誕生の原動力となった壁の建設や不法移民問題は、今どうなっているのか。筆者の取材経験を踏まえながら、米国の不法移民問題を掘り下げてみたい。

「いつの日か『トランプの壁』に」

「我々は、南側の国境沿いに、美しく巨大な壁を建設する」「私は、今まで誰も見たことのないようなゴージャスな壁を建てるつもりだ。その壁は、いつの日か『トランプの壁』と呼ばれるようになるだろう」

前回2016年の大統領選で、威勢のよい発言を支持者に向けて繰り返したトランプ氏。公約通り、2017年1月に大統領に就任すると、直ちに大統領令を発し、壁の建設に取り掛かった。

米国とメキシコの国境線は約2000マイル(約3100キロメートル)。そのうちの約1000マイルは、川や峡谷、砂漠などが天然の壁となり、メキシコ側からの侵入を防いできた。問題は、残りの約1000マイルだ。

トランプ氏は前回の選挙戦で、「壁の建設代はメキシコに支払わせる」と豪語していた。しかし実際には、メキシコ政府が拒否したことから、建設費用の見積額150億ドル(約1兆5000億円)は、米国民の税金から捻出されることになった。

今月中旬、国土安全保障省の税関・国境取締局(CBP)は、壁に関する最新の数字を公表した。それによると、トランプ大統領の就任以来これまでに建設された壁の距離は、384マイル。以前から立っていた分と合わせると、壁の総距離は694マイルとなった。仮にトランプ氏が2期8年のスケジュールで「トランプの壁」の完成を考えていたとすれば、けっして悪いペースではない。

9割は建て替え

しかし、CBPのデータをよく見ると、384マイルの9割にあたる344マイルは、古くなったり壊れかけたりした既存の壁の建て替えで、何もなかった場所に新たに建設した壁は40マイルにすぎない。このため、多くの米メディアは、「4年間で新たに建設された壁は、たった40マイル」と冷ややかに報じている。

昔建てられた国境の壁の中には、とても壁とは呼べない粗末なものも多い。錆びて茶色くなった壁の向こう側にはメキシコの街が広がる(米カリフォルニア州、2006年、筆者撮影)
昔建てられた国境の壁の中には、とても壁とは呼べない粗末なものも多い。錆びて茶色くなった壁の向こう側にはメキシコの街が広がる(米カリフォルニア州、2006年、筆者撮影)

問題はそれだけではない。米メディアによると、不法侵入防止の目的とは裏腹に、トランプ政権下での壁の建設は、不法侵入が多い場所ではなく、工事に取り掛かりやすい国有地に集中している。不法侵入の発生件数が多いテキサス州の国境沿いの土地は、私有地が多く、地主の強い抵抗にあって壁の建設はほとんど進んでいない。

皮肉にも、メキシコと国境を接するカリフォルニア、アリゾナ、ニューメキシコ、テキサスの4州のうち、テキサス州だけが今回の大統領選でトランプ氏を選んだ。

また、国境沿いは、ジャガーやメキシコオオカミなど絶滅危惧種を含む貴重な野生生物の宝庫で、壁の建設のためにダイナマイトやブルドーザーで生息地が荒らされたり、壁が大型の哺乳類の行動範囲を狭めて繁殖活動に悪影響を与えたりしかねないことに対し、自然保護団体などが強い懸念を表明している。

建設後に不法移民が急増

そもそも、壁の建設は不法移民問題の根本的な解決にはならない。壁がないから不法移民が増えるわけではなく、逆に、壁ができても不法移民が減るとは限らないことは、歴史が証明している。

米政府が、米国とメキシコとを隔てる壁の本格的な建設に乗り出したのは1990年代。だが、ヒスパニックと呼ばれる中南米系を中心とする不法移民の数はそれ以降、減るどころか、むしろ増加傾向をたどった。

民間調査機関のピュー・リサーチ・センターによると、米国内に不法滞在する移民の数は、1980年から1990年ごろにかけては、300万人から400万人の間で推移していたが、壁の建設が本格化した1990年代半ばから急増。2000年代前半には反不法移民の世論が高まったが、それでも不法移民は増え続け、2007年にはピークの1220万人に達した。

筆者は当時、日本の全国紙の記者として現地で不法移民問題を取材していた。当時の米国は、アリゾナ州の国境の街で、腰から銃をぶら下げた住民が自分たちで壁や柵の建設に乗り出すなど、反不法移民世論が極限まで達する一方、大都市では不法移民排斥に反対する大規模なデモが起きるなど、不法移民を巡る問題で社会が今以上に大きく揺れていた。

メキシコとの国境沿いに不法侵入防止のための柵を自分たちの手で建てようとしている住民(米アリゾナ州、2006年、筆者撮影)
メキシコとの国境沿いに不法侵入防止のための柵を自分たちの手で建てようとしている住民(米アリゾナ州、2006年、筆者撮影)

その後、2009年に不法移民に比較的寛容な民主党のオバマ政権が誕生したが、不法移民の数はその前年から減少に転じ、トランプ政権1年目となる2017年の1050万人まで、漸減傾向が続いた。2018年以降はデータがないため不明だ。

経済状況が左右

不法移民の増減を左右するのは、国境の壁ではなく、経済だ。不法移民は、仕事を求めて越境してくるからだ。米国にとっても、不法移民は今や、農業や製造業、建設業、サービス業など多くの業種で、なくてはならない貴重な労働力になっている。共和党のジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)は、「移民は米国人がやりたくない仕事をやってくれている」と述べ、不法移民に一定の理解を示した。

「メキシコ人はレイプ犯」などと平気で口にするトランプ氏も、裏では、所有する企業や自宅として使っているゴルフ場の宿泊施設で何人もの不法移民を長年にわたり雇い続けていたことが、2年前、ニューヨーク・タイムズ紙の取材で暴露された。同紙のインタビューに応じた中米グアテマラ出身の不法滞在の女性は、家政婦としての献身的な仕事ぶりがトランプ氏に高く評価され、ホワイトハウスから表彰されていた。

一般に、米国が好景気だったり、母国が不景気だったりすると、米国への不法移民の数は増える。2007年をピークに不法移民の数が減少に転じたのも、2008年のリーマン・ショックの影響で米国内の雇用情勢が悪化したことが大きな原因だ。また、メキシコからの不法移民が最近、減少傾向にあるのは、メキシコ経済が2010年あたりから順調に成長し続けていることが一因と言われている。そのメキシコに代わって米国への不法移民が増えているのが、貧困に苦しむエルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラスの中米3国だ。

カネと時間の完全な無駄遣い

トランプ大統領は就任以来、壁の建設だけでなく、不法滞在者の摘発強化や難民認定の厳格化など、不法移民対策を一貫して強化してきた。にもかかわらず、国境沿いで身柄を拘束される不法侵入者の数は増減を繰り返しており、トランプ政権の政策が不法侵入に対し少なくとも効果的な抑止力になっていないことは明白だ。

壁が不法移民問題の根本解決にならないことは歴史が証明しているにもかかわらず、トランプ大統領が壁の建設にこだわったのは、壁が、同氏の熱烈な支持者である白人保守層に対する非常にわかりやすいメッセージとなりうるからだ。テレビの世界に長く身を置いたトランプ氏ならではの発想と言える。

バイデン次期大統領は、「トランプの壁」の建設中止を明言している。代わりに、中米に対する経済支援の強化などを通じて不法移民問題の解決を目指す方針だ。

25日付のワシントン・ポスト紙は社説で、トランプの壁は、自然環境破壊に加え、「不法移民の侵入防止に何の効果も上げていない」と指摘し、「カネと時間の完全な無駄遣い」と断じた。

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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