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リーマンで解雇、コロナで廃業 東大卒元エリート金融マンが語る「理想の働き方」とは

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
ビストロアンバロンの両角太郎さん。撮影時だけマスクを外してもらった(筆者撮影)

「ミシュランガイド」の常連で、多くの財界人も足を運んだ東京・西麻布のフレンチレストラン「ビストロアンバロン」が、今年いっぱいで店を閉める。新型コロナウイルスで将来が見通せなくなったためだ。オーナーで自ら接客もこなす両角太郎さん(56)にとっては、リーマン・ショックで勤務先を解雇された時に次ぐ、キャリア2度目の大試練。だが、その表情は意外と明るい。両角さんは、「人生、楽しんだもの勝ち」と、コロナに苦しむ日本社会にエールを送る。

「とっても元気です」

11月中旬の平日の午後。六本木ヒルズ近くの静かな路地を入ったところにあるビストロアンバロンを訪ねると、いつもの元気な声で、両角さんが出迎えてくれた。

「今の気持ちは、すっきり、さわやか。有難いことに、常連のお客様は、みなさん心配してくださいますが、私はとっても元気です」。マスク越しだが、肌艶もよさそうで、声にも張りがある。体型も変わった様子はない。どうやら空元気ではなさそうだ。

100平方メートルほどのゆったりとした店内は、ソーシャルディスタンスのためにテーブルの配置が少し変わったぐらいで、雰囲気は以前のまま。もうすぐ廃業になるレストランには、とても見えない。

ビストロアンバロンの店内(筆者撮影)
ビストロアンバロンの店内(筆者撮影)

しかし、昨年まで6年連続でレストランガイドブック「ミシュランガイド」に掲載された人気店も、東京都知事が週末の外出自粛を要請した3月25日を境に、客足がガクンと減り、売り上げがゼロという日が続いた。

ただ手をこまねいていたわけではない。すぐ、料理のテイクアウトや宅配サービスを立ち上げ、さらには、国が外食業界への救済措置として新設した酒類の期限付き小売り免許を取得して、ワインの販売も始めた。

コロナで回復見込めず

テイクアウトや宅配は、予想以上の手応えだった。6月に入ると客足も徐々に回復し始めた。しかし、8月に第2波がやって来ると、再び4月、5月の状況に逆戻り。テイクアウトや宅配も、好調とは言っても、コロナ前の店の売上高には遠く及ばなかった。

廃業を決断したのは、コロナ問題の長期化が避けられそうになく、コロナが収束したとしても、働き方や暮らし方の変化で、売り上げの回復が見込めないと判断したためだ。

「昨年の実績をベースに、今後の業績を何度もシミュレーションしてみましたが、一番楽観的なシナリオでも、売上高が以前のレベルに全然届かない。先が見えないなら、撤退しようと」。10月20日、「12月末でビストロアンバロンを閉じることにしました」と、メルマガとSNSを通じて閉店を告知した。

次に何をするか、まだ決まっていない。幸い、店も自宅マンションも、ローンは払い終えた。会社員の妻もいる。しかし、今の両角さんにとって、仕事は人生を楽しく過ごすための生きがいでもあるのだ。

「もちろん、漠然とした不安はあります。でも、日本にいながら、終身雇用じゃない世界で20年も働いてきたので、将来の不安に慣れてしまったのかもしれません。何とかなるという気持ちですかね」

大手保険会社から外資系金融へ

両角さんは元々、東京大学卒の超エリート金融マンだった。

キャリアのスタートは、安田火災海上保険(現・損害保険ジャパン)だった。入社5年目には米国の名門ペンシルベニア大学のビジネススクールに派遣され、MBA(経営学修士号)を取得。帰国後は合弁事業の立ち上げにかかわるなど将来を期待されたが、自分を試したくて、ヘッドハンターを通じ、外資系のゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントに転職した。

2005年、投資信託の窓口販売事業に参入する日本郵政公社(現・日本郵政)が、ゴールドマンなど3社の投信商品を採用するというニュースが流れた。残る2社は、野村アセットマネジメントと大和証券投資信託委託。「ゴールドマンが外資に閉鎖的な日本の金融市場をこじ開けた」と、英フィナンシャル・タイムズや米ウォール・ストリート・ジャーナルが1面で報じるなど、世界的な注目を浴びた。この時、ゴールドマンの営業部隊を率いていたのが、両角さんだった。

リーマン・ショックで即解雇

だが、激務は心身を蝕み、医者から自律神経失調症と告げられた。環境を変えようと、2008年春、外資系のモルガン・スタンレー・アセット・マネジメント投信に転職。ところが半年後の9月に、リーマン・ショックが起き、即、解雇を言い渡された。44歳で人生初の失業だった。

「実は、私のことを気に入って採用してくれた社長が、私が入社したまさにその日に、解雇されていました。最初から社内での立場が微妙だったので、ある程度、覚悟はしていました。でも、実際に解雇を知らされた時は、正直、かなりのショックでした」

知り合いのヘッドハンター全員に連絡を取ったが、時期が時期だけに、新たな就職先はまったく見つからなかった。

「しばらくプラプラし、同じくリーマン・ショックでクビになった昔の仲間と飲みながらいろいろ話をしているうちに、年齢的にも、もう金融はいいかなと思うようになりました。サラリーマンも十分やったし、残る選択肢は起業しかないかなと思ったのです」

レストランをやることは比較的すんなりと決まった。昔から食べ歩きが大好きだったからだ。ゴールドマン時代には、趣味でワインやチーズの資格も取った。

「もし1年後に死ぬとわかったら」

ただ、それでもしばらくは金融業界への未練を断ち切れなかった。ある日、思い切って、一足先に起業した10歳以上も年下のゴールドマン時代の後輩に相談したら、こう言われた。「両角さん、もし1年後に死ぬとわかったら、どっちを選びますか」

「その一言で迷いが吹っ切れました」。金融マン時代にプライベートでよく通ったなじみのレストランに頼み込んで、週2日、2カ月間、歳が20も離れた若いスタッフに怒られながら、接客の仕方を学んだ。

こうして2009年12月、ビストロアンバロンをオープンした。しかし、初めから順調だったわけではない。滑り出しこそ、知り合いが次々と来店してくれるなどして好調だったが、4カ月を過ぎた辺りから、徐々に閑古鳥が鳴き始めた。

「自信はありました。金融業界で培ったマーケティングの知識や経験を生かせば、絶対成功すると確信していましたし、2号店、3号店を出す青写真まで描いていました。しかし、結果的にすべて誤算でした」

ビストロアンバロンの外観(筆者撮影)
ビストロアンバロンの外観(筆者撮影)

店を閉め、金融業界に戻る考えも頭をよぎったが、結局、レストランを続ける道を選んだ。自分がやりたくて選んだ道だからだ。人件費を抑えるためにスタッフの数を減らしたり、もともと客の少ない週末は貸し切りイベントを企画したりするなどして試行錯誤を続けるうちに、経営が軌道に乗り、店の評判も上がって行った。

「微塵の後悔もない」

サラリーマンを辞めてから、考え方や価値観が大きく変わったと両角さんは言う。

「今思えば、21年間も、苦手な経済学を勉強して金融業界で働いてきたのは、主におカネのためでした。独立してからは、自分の嫌いなこと苦手なことから解放され、好きなことを思う存分やってこられたと思います」

「確かに、金融マン時代と比べて収入は大きく減りました。でも今は、ストレスはありませんし、人の情けのありがたさや大勢の人から応援される幸せを知ることもでき、とても満たされた気持ちです。昔の仕事仲間の中には、今も金融機関でバリバリ働き高収入を得ている人もいますが、彼らを見ても少しも羨ましいとは思いません」

最後に、両角さんは、こう話を結んだ。

「つくづく、自分のキャリアの選択は間違っていなかったと思います。金融マン時代もそれなりの楽しさはありましたが、振り返ってみて圧倒的に楽しかったのは、ビストロアンバロンでの飲み屋のオヤジの生活でした。イチロー選手の言葉ではありませんが、微塵の後悔もありません。人生、楽しんだもの勝ちですね」

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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