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大会棄権の大坂選手が見せた黒人エリート層の怒りと責任感

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

米ウィスコンシン州で黒人男性が警官に背後から至近距離で何発も撃たれ重傷を負った事件に抗議し、プロテニスの大坂なおみ選手は26日、ニューヨークで開かれている大会を途中棄権すると発表した。プロバスケットボールのNBAも事件を受け、同日予定していたプレーオフ全3試合の延期を決めた。米国の著名な黒人アスリートたちを抗議活動に突き動かしているのは、黒人エリート層の怒りと責任感だ。

アスリートである前に黒人女性

大坂選手は26日、自身のツイッターを更新し、翌日の準決勝戦の棄権を発表すると共に、理由を次のように述べている。

「私はアスリートである前に、1人の黒人女性です。そして黒人女性として、今は、私のプレーを見てもらうよりも、みなさんにもっと目を向けてもらいたい非常に重要なことがあると感じています」

大坂選手は、5月にミネソタ州で白人警官による黒人男性の暴行死事件が起きた時も、ツイッターなどを通じて強い抗議の意思表示をした。カリフォルニア州の自宅からミネソタ州に飛んで黒人差別抗議デモに参加したり、日本のファンに対しデモへの参加を呼び掛けたりもした。

ミネソタ州のデモに参加した時のことを、大坂選手は雑誌の対談企画で、こう振り返っている。

「それは私の人生を変えた瞬間でした。アスリートは、声を大にして何かを主張したらスポンサーを失うのではないかという不安を常に抱えています。それは私にとってもけっして他人事ではありません。なぜなら私のスポンサーのほとんどは日本企業だからです。日本のスポンサーの方たちは、おそらく私が何を言っているのか理解できないでしょうし、動揺するかもしれません。でも、何が正しくて、何が重要かということを、言わなければならないと感じる時が来るのです」

トランプ大統領を批判

NBAロサンゼルス・レイカーズのレブロン・ジェームズ選手も、26日、ウィスコンシン州の事件を受けてツイッターを更新し、「われわれは変化を要求する。もうたくさんだ」と、変わらない米社会に対する怒りをあらわにした。同選手は、差別抗議デモに対し高圧的な態度を取り続けているトランプ大統領を公然と批判している。

ミネソタ州の事件をきっかけに全米に広がった「BLM(ブラック・ライブズ・マター=黒人の命も大切だ)」運動には、黒人アスリートや黒人アーティストなど多くの黒人セレブが名を連ねている。

ただ、大坂選手も指摘するように、プロスポーツ選手やアーティストにとって、世論を二分するような活動に参加したり賛同したりすることは大きなリスクを伴う。実際、アメリカンフットボールNFLのスター選手だったコリン・キャパニック氏は、試合前の国歌斉唱の時に片膝をついて黒人差別に抗議したことから、事実上、リーグを追放された。

特権階級の怒り

輝かしいキャリアを絶たれかねないリスクを負ってまで、黒人エリート層の多くがBLM運動に参加するのはなぜか。1つには、自分自身も含め、黒人が米社会の中で差別され続けていることに対する静かな、しかし強い怒りがある。

黒人ジャーナリストのエリス・コウズ氏が著した『The Rage of a Privileged Class』(特権階級の怒り)によれば、米国の黒人の多くは、努力して社会的、経済的に成功を収めてもなお、白人社会から日常的に差別を受けたり感じたりしているのが、実態だ。同書は、自尊心を深く傷つけられた、こうした黒人エリート層こそが米社会の不正義を人一倍感じていると指摘する。

実際、2年前には、ペンシルベニア州フィラデルフィア市内のスターバックスで、商談のために待ち合わせをしていた2人の黒人ビジネスマンが、入店してわずかな時間しかたっていないにもかかわらず、不審に思った店長によって警察に通報され、逮捕されるという事件が起きた。

スターバックスは後日、ケビン・ジョンソン最高経営責任者(CEO)自ら2人に直接謝罪すると共に、全米の8000以上の店舗を半日間閉めて、黒人に対する「無意識の偏見」を改めるための社員教育を行った。

現状を変えたい

黒人エリート層を突き動かすもう1つの理由は、成功者としての責任感だ。欧米社会には「ノブレス・オブリージュ」という価値観がある。平たく言えば、「成功者は社会に恩返しをしなければならない」という考えだ。セレブによるボランティアや寄付活動が活発なのは、このノブレス・オブリージュの影響が大きい。

大坂選手は成功者としての自身の立場を、対談企画の中でこう語っている。

「テニスというスポーツは白人が多数を占めているので、私は(黒人の)代表者だと強く感じています。そのため、試合に負けてはいけないと時々思いますが、同時に、(黒人を代表していると思うことは)私にとって大きな誇りでもあります」

さらに、大会の途中棄権を表明したツイッターでは、期待も込めてこう語っている。

「もし、(私のこの決断によって)テニス界の中で(人種問題に関する)会話が始まったら、それは正しい方向に進む第一歩だと考えています」

NBAのジェームズ選手も、他の黒人アスリートやアーティストらと共にボランティア団体「More Than A Vote」を立ち上げ、11月の大統領選挙で黒人有権者の投票率を上げるための運動を始めている。黒人の投票率の上昇が、米社会を変え、黒人差別をなくすことができるとの考えからだ。

大坂選手、NBAの動きに続き、プロ野球のMLBでも試合が延期になるなど、黒人エリート層であるアスリートたちの怒りの輪は急速に広がりつつある。

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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