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日系人強制収容への謝罪と日本の実名論争の意外な共通点とは

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
「マンザナー日系人強制収容所」の跡地に立つ慰霊碑(米カリフォルニア州、筆者撮影)

米カリフォルニア州議会が20日、戦時中の日系人強制収容を謝罪する決議案を可決した。実は、日系米国人が不当な差別から名誉と自尊心を回復した過程は、実名告発や実名報道をめぐる昨今の日本国内での議論と重要な共通点がある。日系人が名誉回復を実現できた一番の理由は、長年の沈黙を破り、実名で社会に向け語り始めたことだった。日本の実名問題を論じる上で参考となりそうな日系米国人の歴史を簡単に振り返ってみたい。

12万人の日系人が強制収容

戦前、多くの貧しい日本人が、生きるために日本を離れ米国に渡った。遠く離れてもなお祖国への思いが強かったことは、家々に天皇の写真が飾られていたことからもわかる。

太平洋戦争が勃発すると、米政府は、天皇に忠誠を誓う日系人が謀反を企てているという根拠のない理由で、主に西海岸に住んでいた約12万人の日系人を、着の身着のまま同然の状態で、荒野に建てた収容所に強制移送した。終戦と同時に解放されたものの、ほぼすべての財産を失った日系人は途方に暮れ、長い苦難の歴史が始まった。

米政府は1988年、ようやくその非を認めて日系人に公式に謝罪し、生存者1人あたり2万ドルの補償金を払うことで、強制収容問題に一応の終止符を打った。

しかし、なぜ、日系人は謝罪を勝ち取るまでに40年以上もの歳月を費やしたのか。

筆者は、1990年代半ば、米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)で学んだが、その時の修士論文のテーマが「日系米国人」だった。数十人に及ぶ日系米国人へのインタビューから、謝罪が遅れた最も重大な理由として浮かび上がってきたのが、日系人自身が「匿名」のまま生きることを望んでいた事実だった。

「そっとしておいてほしい」が本音

匿名を望んだ背景には、多くの学者が指摘する日本人の特性が深くかかわっている。

米国の人類学者ルース・ベネディクトは、1946年に著した「菊と刀」の中で、日本人の行動規範を、周囲から非難や嘲笑を受ける可能性、つまり他人の視線を過度に気にする「恥の文化」と呼び、他人からどう見られようと気にせず、個人の道徳規範に基づいて行動する欧米人の「罪の文化」と対比した。

権力に従順で権力者に立てつくことをよしとしない「お上(かみ)意識」も、社会学者らによって指摘されてきた日本人の特性だ。先日の米アカデミー賞でメーキャップ・ヘアスタイリング賞を受賞したカズ・ヒロさんは、インタビューの中で、日本国籍を捨て米国人になった理由として、日本の文化が「too submissive」であると述べたが、submissiveは「従順」「服従的」という意味だ。

戦前に米国に移住した日系人(日系1世)が持っていた、そうした日本人の特性は、彼らの子ども(日系2世)にも引き継がれた。2世は米国生まれで英語も話すバイリンガルだったが、基本、両親とも1世で、かつ戦前の濃密な日系社会の中で育ったため、価値観や行動規範は日本人に非常に近かった。収容所に入った日系人の7割はこうした2世だった。

米国人でありながら極めて日本人的な2世は、お上(米政府)によって収容所に入れられたことは「民族や一族の恥であり、けっして他言すべきではない」と考えた。謝罪と損害賠償をお上に求めるのも、もってのほか。「お願いだから、そっとしておいてほしい」。それが2世の本音だった。

だから、2世の多くは、他人にはもちろん、自分たちの子どもである3世にも強制収容所の話をしなかった。ある3世は「子どものころ、夕食後に両親が2人でよくキャンプの話をしていたが、学校のサマーキャンプの思い出話だと、ずっと思っていた」と筆者に話した。「キャンプ」とは強制収容所のことだ。

日本人らしさを失った日系3世

しかし、学校の授業などで日系人の強制収容について知った3世は、「なぜ両親は何も悪いことをしていないのに、収容所に入れられ、今もコソコソと暮らさなければならないのか。おかしいじゃないか」と思い始めた。日系人であることを恥じ、出自を隠した2世は、日本人的な価値観や行動規範を3世に積極的に伝えず、また、戦前のような濃密な日系社会も消滅していたため、普通の米社会で育った3世は、普通の「米国人」になっていた。

やがて、成人した3世が中心となり、日系人の名誉回復運動が始まった。最初は運動への参加に後ろ向きだった2世も、3世に説得され徐々に考えを変えていった。日系人が自ら動いたことで、同じように差別された歴史を持ち、かつ大きな政治力を持つユダヤ系やアフリカ系の団体も協力を名乗り出て、運動は一気に加速した。

そのクライマックスが、1981年7月から12月にかけ、首都ワシントンやロサンゼルス、シアトルなど全米各地で開かれた公聴会だった。学者や一般市民を含む延べ約750人が証言に立ち、多くの2世が、沈黙を破り、顔と実名をさらし、収容所体験を次々と語り出した。その様子はメディアでも報じられ、米社会に大きなインパクトを与えた。これが1988年の「市民の自由法」(日系米国人補償法)の成立と、レーガン大統領による公式謝罪につながった。

日本社会への示唆

日本では昨今、「実名報道」や「実名告発」が事件や事故を報道し論じる際のキーワードとなり、メディアを賑わせている。実名か匿名かをめぐり、その都度、激しい議論が沸き起こるのは、見方を変えれば、日本が匿名を当たり前とする社会から、多くの民主主義国家で見られるような実名を基本とする社会に移行する過渡期にあるからとも考えられる。

もちろん、事件や事故の被害者や遺族が「名前は明らかにしたくない」なら、その意向は最優先で尊重されなければならない。ただし、実名や顔を明かすことで、民主主義社会を構成する市民一人ひとりが事件や被害者を身近に感じ、国民的な議論に発展したり、国を動かしたりするきっかけになる可能性は、より高まるに違いない。

最近では、電通新入社員の過労自殺事件や神奈川県の障害者施設で起きた殺傷事件で、遺族が被害者の名前と顔を公表した例などが、それにあたるだろう。少し遡れば、薬害エイズ事件もそうだ。

米史上に残る人権侵害事件の被害にあった日系米国人が名誉を回復できた最大の要因が、伝統的な日本人の行動規範の否定だったことは、何とも言えない歴史の皮肉だ。しかし、この重い史実は、日本社会にとって貴重な示唆に富んでいる。

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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