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新大関誕生は「悔しい。負けていられない」朝乃山、1年の出場停止でちゃんこ番から再奮起 誓う三役復帰

飯塚さきスポーツライター
所属する高砂部屋で朝乃山にインタビューに応えていただいた(撮影:倉増崇史)

2021年5月、大関という地位にありながら、日本相撲協会が定めた新型コロナウイルス感染症対策ガイドライン違反が発覚し、夏場所を途中休場、同年6月から1年間の謹慎処分を受けた朝乃山。大関から陥落するばかりか、三段目まで番付は下がった。一度は引退まで考えたというが、6場所の出場停止を経て心機一転、昨年7月の名古屋場所で三段目の土俵から復帰。今年の5月場所でついに返り入幕を果たすと、序盤から連勝を重ねて優勝争いにまで絡んだ。上位陣との対戦も組まれるなか、惜しくも復活優勝には届かなかったが、朝乃山への声援は連日、誰よりも大きかった。2年ぶりとなった幕内の土俵を振り返りながら、1年間の休場期間当時の心境も語っていただいた。

自分への大きな拍手や声援「うれしかったです」

――場所前の4月には春巡業がありました。参加していかがでしたか。

「幕内復帰できそうな番付(東の十両筆頭で春場所13勝)にいたので、自分自身も幕内の人と稽古したいという思いがあり、春巡業に参加しました。番数が多く取れる日と取れない日があったんですけど、とにかく肌を合わせることが大事かなと思い、いい稽古ができたと思います」

――5月場所、番付発表後からの出稽古も解禁されました。

「昔の相撲界に戻りつつある実感はありました。出稽古に行った時津風部屋には幕内上位の関取衆がたくさん来られましたが、自分が前の番付(大関)にいたときと顔ぶれが違っていて、いまの若い上位陣と肌を合わせたらやっぱり強かったです。どういう攻めをするのか、どんな力があるのかを感じながら相撲を取っていたんですが、みんな力強いという印象がありました」

――5月場所、両国国技館は連日満員御礼でした。関取への声援は毎日特段大きかったのですが、どうお感じでしたか。

「土俵入りから歓声が一段と大きく感じていたので、プレッシャーにはなりましたけど、すごくうれしかったです。土俵入りで客席を見渡したら、少しずつ日常に戻っている実感がありましたね。自分のタオルも多かったように見えました。取組のときは相手や土俵を見るタイプですので、呼出しさんに呼ばれてからは客席を見ていないですが、土俵に上がっただけでも拍手が大きかったのは感じましたね」

黒まわしにちゃんこ番 初心に帰った休場の1年間

――2021年5月、新型コロナウイルス感染症対策ガイドライン違反で途中休場し、その後1年間の出場停止期間がありました。どう過ごしていましたか。

「その年の6月に祖父、8月に父を亡くし、本当は相撲を辞めたいなと思っていました。でも、僕の復帰戦を一番楽しみにしていたのは父でしたので、母の『辞めないでね』という言葉に心打たれました。そこからは相撲から逃げないと誓い、母のためにもう一度親孝行したいと思ったんです」

――本当につらい経験をされました。しかし、お母さまをはじめ、周囲の支えが原動力だったのですね。

「はい。師匠からも『もう一回頑張ろう』という言葉をいただきました。そこからは、出場できなくても無心で稽古しようという気持ちで取り組んできました。自分一人の力ではなく、師匠、部屋のみんな、後援会やファンの皆さんの期待があったからこそここまで来られたので、それを強く考えてきました」

つらかった時期のことを真剣な表情で語ってくれた朝乃山(撮影:倉増崇史)
つらかった時期のことを真剣な表情で語ってくれた朝乃山(撮影:倉増崇史)

――その間、積極的に部屋の雑務を行っていたとお聞きしましたが、その理由は。

「処分が出た後、番付はまだ大関でしたが、そのときからもう(幕下以下の力士がつける)黒まわしを締めようと思って、師匠に相談しました。そこから変えていこうと思ったんです。でも、黒まわしは番付が下がってからでいいと言われて、その翌年の大阪場所で幕下に落ちるまでは白まわしのままでした。その代わり、みんなが場所に行っている間に部屋の掃除をしたり、稽古を中断してその日のちゃんこ番のみんなと一緒に野菜を切ったり、できる限りなんでもしてきました。それくらい、もう一度初心に帰ろうという気持ちでいたんです。ちゃんこ番は大学のときにもやっていたので苦痛ではなかったんですけど、下積みをもう一度味わって、もう落ちたくないという気持ちになろうという思いで、自分を奮い立たせるためにやっていました」

――苦労も多くあったなかでの幕内復帰です。その5月場所はいかがでしたか。

「率直にうれしかったです。早く幕内で取りたい気持ちがありましたし、応援してくださっている方から『待っていました』『幕内に帰ってきてくれてありがとう』と連絡をたくさんもらいましたので」

2年ぶりの幕内は「緊張。15日間緊張するタイプ」

――2年ぶりの幕の内の土俵。初日から相撲内容を振り返っていかがですか。

「緊張はしていました。15日間緊張するタイプなんで、自分は(苦笑)。ただ、初日は立ち合いで右を差し、腕を返して相手の上体を起こして寄り切れたので、この白星でちょっと緊張がほぐれたというか、やっぱり幕内での白星はうれしかったです。ただ、3日目の琴恵光関戦が際どい勝負になりました。前から言われているんです、『勝ち急いだら落とし穴がある』と。やっぱり上手を取ってからじっくり攻めていかないといけないし、それがこれからの課題です」

――その後白星を重ね、7連勝した後に惜しくも中日で北青鵬関に敗れました。

「自分の頭になかったのが悪いんですけど、正面から来ると思っていたのに左に変わられたので、わあ!って思いました。あの身長と手脚の長さで横に動かれて、ちょっと焦りましたね。それで、先に相手の形を作らせてしまって。自分もその後右を差して左上手を取ったんですが、帰ってテレビを見たら、『もっと相手の中に入るとか、まわしを切るとか、そういうことをしなくちゃいけない』と解説の親方がおっしゃっていましたので、相手の嫌がることをしないといけないと思いました」

――9日目に勝ち越しを決めました。どんな心境でしたか。

「本当はその前に決めたかったんですけど、勝ち急がないようにしようということが頭にありました。勝ったときはホッとしたというより、1敗を維持したいという気持ちの方がありました」

――10日目には同期生の平戸海関と対戦しました。

「僕は大卒、平戸海は中卒なので年は違うんですが、同期生対決はたぶん豊山以来だったと思うんです。ようやく幕内で戦えるところまで来て当たることになったので、自分としても楽しみでした。身長はそこまで大きくないけど、前さばきも頭をつけるのもうまいし、腰が重くて土俵際もなかなかしぶといし、同期生のいいお相撲さんと戦えてよかったですね」

時折、はにかむ笑顔を見せながら質問に答えてくれた(撮影:倉増崇史)
時折、はにかむ笑顔を見せながら質問に答えてくれた(撮影:倉増崇史)

――唯一横綱に土をつけた明生関との対戦は、勝ちましたが苦しかったですか。

「はい、巡業先で稽古しているときから、相撲が速くてもろ差しもうまいなと思っていました。あの取組でももろ差しになられて焦ったんですけど、左上手が救いでした。取っていなかったら逆転の突き落としはなかったと思います」

うれしかった横綱との対戦も感じた三役陣との力の差

――1敗を守り、その後は三役との対戦が組まれました。

「やっぱり三役は強かったです…。やってやろうっていう気持ちはありましたが、気持ちだけじゃダメでした。大栄翔関は、巡業や出稽古先でも肌を合わせましたが、3月場所は優勝決定戦にまで出ていましたし、2年ぶりに対戦したら全然違いましたね。力の差を僕は感じました。受ける一方で何もできなかったことがとても悔しかったです」

――翌日は横綱戦。いかがでしたか。

「普通は当たらない地位だったので、うれしかったです。照ノ富士関が横綱になってから初めての対戦。がっぷり四つでは勝てないから、下から押していくしかないと思って、かまして右を差させない、上手を取らせないようにいこうと思いました。立ち合いは悪くなかったんですけど、中途半端に左を差しちゃったんですね。ずっとハズ(親指と他の4本の指の間をY字に開いた形)のままか、前みつを取ったほうがよかったんですけど、差しちゃったので極められて小手投げを食らってしまった。ずっと負けているのでそろそろ勝ちたい気持ちがありましたが、やっぱり強かったです」

――優勝の望みは最後までありましたが、優勝への意識はありましたか。

「いや、横綱に負けてからはもう優勝はないと思っていましたし、そもそも優勝は考えていなかったですね。まずは三役と横綱に勝たないと、その壁を越えないとダメです」

14日目には同じく大関経験者の正代を寄り倒して勝利(写真:毎日新聞社/アフロ)
14日目には同じく大関経験者の正代を寄り倒して勝利(写真:毎日新聞社/アフロ)

――しかし、最後は2勝し、12勝3敗の好成績で場所を終えました。

「元大関として評価されると当然という声がおそらくたくさんあると思うので、自分のなかではあと1、2番は勝ちたかったです。いままで幕内での最高成績は12勝しかないので、13、14勝したかった。悔しい気持ちのほうが強いです」

――それでも、私的には敢闘賞でもよかったんじゃないかなと思ってしまいました。

「いえ、これを糧にして頑張っていきたいです。次は平幕上位で今場所より対戦相手も一段と強くなるでしょうから、そこでまた二桁勝利を目指していきたいです。そうすればまた変わってくると思います」

新大関の誕生の刺激を胸に高みへ

――来場所(名古屋場所)は平幕上位だと思います。ここからの目標は。

「年内に三役に上がることが目標です。今年はあと3場所ありますが、余裕とは思っていません。早くそこの番付に近づいて、もう一度、協会ご挨拶の土俵に立てる地位に戻りたいです」

――5月場所後には新大関・霧馬山改め霧島関も誕生しました。そこに戻りたいという思いは。

「新大関が誕生したのを見て悔しい気持ちがあり、刺激になりました。自分も負けてはいられない。でもその前に三役に定着しないと上を目指せないので、まずは三役復帰を目標にしています。特に5月場所で大栄翔関には一方的に負けましたので、三役の人たちと互角に戦える力を戻して、勝っていけるようにしないといけないです」

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スポーツライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(アプリスタイル)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』が発売中。

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