トランプ前大統領が強く訴え、科学者たちからは否定されて来た新型コロナウイルスの「武漢ウイルス研究所流出説」。この研究所流出説に、ここにきて、バイデン政権が注目し始めた。

 バイデン大統領が、研究所流出説を含めて新型コロナの起源を追加調査するよう指示を出したのだ。

「パンデミックの起源について、人が感染した動物とコンタクトしたことで始まったのか、それとも、研究所からの流出により始まったのか、米国は機関によって見解の相違があるという報告を今月受け取った。それぞれの理論は低〜中程度の信用度しかないと評価されており、多くの高官はいずれの理論も他方より、より可能性があると評価できるだけの十分な情報がないと考えている。情報機関に、決定的結論に近づける情報を収集・分析する取り組みに力を入れ、90日以内に報告するよう要請した」

 新型コロナウイルスに関しては科学に従う判断を重視してきたバイデン氏が、なぜ、ここにきて、多くの科学者が否定し、陰謀論とも見られていた研究所流出説を見直し始めたのか?

“コウモリ女”は信用できない

 米紙ワシントンポストは、その契機になった出来事として、2020年秋、アメリカの情報機関が、2019年11月(武漢で最初の感染者が出る1ヶ月前)に、武漢ウイルス研究所の3人の研究員が新型コロナと類似した症状で入院していたという情報を得たことに注目している。

 ちなみに、この情報は、米国務省が今年1月15日に発表した、新型コロナの起源に関するファクトシート「武漢ウイルス研究所の活動」で以下のように記されている。

「米国政府は、武漢ウイルス研究所の数人の研究員が、最初の感染者が確認される前の2019年秋に、新型コロナと普通の季節性の病気に見られる症状のある病気になったということが信じるにたる理由を持っている。このことは、新型コロナやコロナ関連のウイルスに感染したスタッフや学生はゼロだったと訴えた、研究所の上級研究員である石正麗氏の信用性について問題を提起している」

 “コウモリ女”と呼ばれている石正麗氏の訴えは信用できないと言っているのだ。

 また、「中国共産党は、ジャーナリストや調査員、公衆衛生機関に、2019年秋に病気になった研究員を含めた研究所の研究員たちにインタビューさせなかった」とし、「信じるにたるウイルス調査には研究員へのインタビューと未報告の病気についての説明も含める必要がある」と中国政府が調査に協力していない状況も問題視している。

独立調査の必要性を訴える科学者たち

 実際、この2月に行れたWHO調査団の現地調査に対しても、中国政府の協力は不十分だった。武漢ウイルス研究所はWHO調査団に全てのデータを公開しなかった。中国政府はWHOから調査団に入れるメンバーを拒否する権利を与えられており、メンバーに入ることが認められたアメリカ人はピーター・ダスザック氏という研究所と利害関係がある研究者だけだったことも問題視されていた。

 WHOはこの調査の結果、「研究所流出説は非常にありえない」という結論を出したものの、テドロス氏はさらなる調査は必要と言及し、科学者たちも独立調査の必要性を訴えていた。

 5月14日には、18人の著名な科学者たちが、サイエンス誌に送った書簡の中で、新型コロナの起源を判断するにはさらなる調査が必要だと主張。

 元CDC所長でウイルス学者のロバート・レッドフィールド氏も「研究所から流出した。最終的に科学で解明されるだろう」とCNNで言及し、研究所流出説を否定し、自然から発生したと訴えてきた米新型コロナ対策チームのトップ、ファウチ博士も自然発生説について「確信が持てない。中国で何が起きたか調査を続けるべきだと思う」と研究所流出の可能性も否定できないと示唆する発言をしている。

 国務省が出したファクトシートや科学者たちからの追加調査を求める声の背後には、中国政府に対する不信がある。

 そんな不信を反映するかのように、今回の新型コロナの起源調査指示に当たり、バイデン氏は「米国は、中国が完全で透明性があるエビデンスに基づいた国際調査に参加し、すべての関連データとエビデンスを提供するよう圧力をかけるべく、同盟国と協力する」と述べ、アダム・シフ下院情報委員長も「中国政府が、コロナ起源について、関連事実やデータについて透明性がある包括的調査を妨害し続けていることは、世界が次のパンデミックに備えるのに必要な取り組みを遅延させるだけだ」と言及している。

宿主が特定できていない

 また、新型コロナを持っている野生動物がまだ見つかっていないことも、研究所流出説に信憑性を与えている。SARSやMERSでは、宿主となった動物は数ヶ月で特定できたが、新型コロナの宿主となった動物は未だ特定できていないからだ。

 前述のサイエンス誌で、再調査を求めた科学者の一人である、イェール大学免疫学&伝染病学教授の岩崎明子氏は、米紙ニューヨークタイムズの取材に対し、こう話している。

「中国の31の地方の8万以上の野生動物や家畜、鶏の検体が収集されて検査されたが、いずれも新型コロナの遺伝物質や抗体を持っていなかった」

陰謀論扱いされたため信憑性が失われていた

 トランプ氏が退任したことも、研究所流出説に信憑性を与え始めているようだ。

 米紙ニューヨークタイムズは「科学者の中には、研究所流出の可能性が調査されるべきだと感じていた者もいた。しかし、トランプ政権がウイルスは生物兵器だと主張したことが、研究所流出説に影を落としていた」と指摘している。

 研究所流出説は誤情報を連発していたトランプ氏によって力説されたために陰謀論扱いされ、信憑性がかき消されていたわけである。

決定的結論には辿り着けないかも

 しかし問題は、今回のバイデン氏の指示で、情報機関が決定的結論に辿りつけるか、である。PBSによると、ある政権高官は「決定的結論は得られないかもしれない」との認識を示しているという。実際、情報機関はすでにこの1年半、決定的結論を見つけるべく尽力してきたが、得られなかったからだ。今後も得られる保証はない。

 では、得られないと認識されている決定的結論を、なぜ、今、バイデン氏はあらためて求めているのか?

共和党からの圧力も

 一つには、中国に対して弱腰だという批判を共和党から受けているバイデン氏には、その批判をかわそうとする狙いがあると思われる。5月26日には、共和党上院議員らが提出した、バイデン政権に新型コロナの起源に関する情報の公開を求める法案「2021年新型コロナ起源法」が全会一致で上院を通過していた。共和党側からの圧力があったのだ。また、バイデン氏は追加調査指示を出すことで、米国民に対して、起源調査に真剣に取り組んでいる姿勢を示す必要性も感じたのかもしれない。

 一方で、政権発足後から対中強硬姿勢を見せていたバイデン氏である。イスラム教徒が大半を占めるウイグル族に対する中国の対応をジェノサイド(大量虐殺)と認定して中国に制裁を発動し、「21世紀を勝ち抜くために、中国などの国々と競争している」と中国に対する競争意識も示していた。ホワイトハウスのアジア担当の高官も「米中融和時代は終わった。今後の米中関係は明らかに、新型コロナの起源をめぐる争いを含めた競争関係となる」と話しているという。追加調査指示は、バイデン氏の対中競争姿勢の現れとも解釈できる。

米国民の45%が中国を敵視

 また、アメリカでは、近年、中国を好ましい国だと考えず、中国を脅威に感じている米国人が増加している。ギャラップが3月に発表した世論調査によると、「中国は好ましい国」と考えるアメリカ人の割合は20%と1979年以降では最低の数字となった。一方、「中国はアメリカの最大の敵」と考えるアメリカ人の割合は、昨年の2倍以上の45%に増加した。

 トランプ氏が研究所流出説を訴えたのには求心力を高める狙いがあった。対中強硬姿勢を示す意味で、研究所流出説はトランプ氏にとってかっこうの政治的武器だった。バイデン氏もまた、研究所流出説を政治的武器にすることで、中国を脅威と考える多くの米国民の対中危機意識を刺激し、求心力を高めようとしているように見える。

 折しも、中国は、7月1日、中国共産党創建100周年を迎える。新型コロナウイルス克服と経済成長を誇示している習近平氏にとっては、求心力をいっそう高める大きなチャンスとなる。そんな習近平氏の中国と世界の覇権をめぐって争っているバイデン氏のアメリカ。

 バイデン政権は、新型コロナの起源についてすぐには決定的結論を得られないと認識しつつも、新型コロナの起源に関する追加調査指示を敢えて今出すことで、創建100周年という歴史的な祝典を目前に控えている中国に対抗の一矢を放って見せたのではないか。

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