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貧者のための教会めざす教皇フランシスコ

飯島裕子ノンフィクションライター
(写真:REX/アフロ)

ローマ教皇フランシスコの来日が迫っている。

38年ぶりの来日、長崎・広島への訪問、天皇陛下との謁見、東京ドームでの大規模ミサなど、その動向に注目が集まっているが、ここでは教皇フランシスコについて、日本で拡大している「貧困」や「社会的排除」をキーワードに見ていくことにする。

教皇フランシスコが世界の貧困問題解決に向けて強い意志をもって臨んでいることは広く知られている。

11月17日には1500人のホームレスの人々と生活に困窮している家族、その支援者らをバチカンに招き、食事会を催した。「貧しい人のための世界祈願日」(※1)にあたり行われたもので、メニューはラザニヤと鶏肉など。コーラやファンタが並ぶテーブルで談笑する教皇フランシスコの姿はまさに庶民派という感じだ。

SNSなどでは、この貧困者を招いた質素な食事会と支持者らを豪華な食事でもてなす、安倍首相の「桜を見る会」が比較されていたのだが……教皇フランシスコによる貧困や社会的排除への取り組みはごく日常的に行われていることである。

サン・ピエトロ大聖堂前の広場にホームレスの人が無料で利用できるシャワー(もちろんタオルや着替え等も用意されている)と理髪店をオープンさせたほか、定期的に医師らの診察を受けられる無料診療所も設置している。

毎年、イースター前の木曜日に行われる洗足式(※2)では刑務所や少年院を訪れ、ひざまずいて受刑者たちの足を洗って接吻することが恒例になっている。

受刑者たちの慰めと励ましになることはもちろん、教皇みずからへりくだって足を洗うという行為は、社会的に排除されてきた人たちを尊重し、寄り添う姿勢を象徴していると言えるだろう。

POPE IN JAPAN2019 ローマ教皇来日公式サイトより
POPE IN JAPAN2019 ローマ教皇来日公式サイトより

スラム街の大司教

教皇フランシスコは、1936年にアルゼンチンの首都ブエノスアイレスでイタリア系移民の子として生まれた。家庭は経済的に豊かではなく、10代のころは清掃員やナイトクラブの用心棒をしていたこともあったらしい。

32歳で神父になった後は仕事の合間にスラム街に足繁く通い、シングルマザーやその子どもたち、ホームレスや薬物中毒者らの話を聞き、心を痛めていた。この頃の経験が現在につながる原点になっているのかもしれない。

その後、アルゼンチンで高位聖職者である大司教になった後もその姿勢は変わらず、スラム街の一角にテントを張り、そこでミサを行うなど、貧困者への力の入れようから”スラム街の司教”と呼ばれていたという。

バチカンを臨む(筆者撮影)
バチカンを臨む(筆者撮影)

そして2013年3月、教皇就任。人生の大半を過ごしたアルゼンチンを離れ、バチカンへとやってきたのだった。すでによく知られていることだが、教皇フランシスコは就任後もバチカン宮殿には住まず、簡易宿泊施設で他の司祭たちと共同生活を送っている。

難民をバチカンに住まわせる

教皇フランシスコが就任から約1ヶ月後、最初の訪問先として選んだのがランペドゥーサ島。地中海に浮かぶこの小さな島はアフリカからやってきた数十万人の移民・難民が漂着する場所だ。

みずからこの島に足を運ぶことで「忘れられていい人は一人もいない。排除されていい人は一人もいない」と無関心を決め込むヨーロッパ社会を批判したという。

また2016年、ギリシアのレスボス島を訪問した際には、対岸のトルコからゴムボートで渡ってきた4000人近い難民が滞在する収容施設を訪れ、人々を励ました。

そして教皇は帰りの専用機にイスラム教徒のシリア人3家族12人を乗せてローマに戻り、バチカンに住まわせた。教皇は記者団に対して「自分がやったことは大海の一滴でしかないが、海が変わることを望む」と述べている。(※3)

サン・ピエトロ大聖堂前広場に集う人々(筆者撮影)
サン・ピエトロ大聖堂前広場に集う人々(筆者撮影)

いのちが軽んじられる日本

貧しく、排除された人々とともに食べ、足を洗い、家族として迎え入れる教皇フランシスコ。世界が抱えるさまざまな問題に対して、発言するのみならず、解決のために率先して行動する姿勢が一貫してみえてくる。

そんな教皇フランシスコは、日本で何を語り、何をするのだろうか? 

教皇の訪日テーマは「すべてのいのちを守るため」であると発表されている。

その背景にはいのちが軽視される日本の現実があるという。

いのちの軽視と言うと台東区の避難所でのホームレス排除や津久井やまゆり園での事件、生活保護受給者へのバッシングなどが思い浮かぶ。

生産性や金銭的な価値が最重視され、いのちが選別されるような風潮が広がっているのではないか。貧困や社会的に孤立している人の存在を無視し、気づかぬふりをすることもまたいのちの軽視と言えるのかもしれない。

教皇フランシスコは、先の「貧しい人のための世界祈願日」にあたり次のように述べている。

「社会には貧しい人々への無関心がある。競争に躍起になり、何もかもを今すぐ達成したがる風潮の中では、取り残された人々は邪魔者とみなされる。使い捨てにできるとさえ思われている。どれほど多くの高齢者たち、胎児、障害者、貧しい人々が、役立たずとみなされていることか、わが道を急ぐわれわれは格差が拡大していることや、少数の者たちの欲望が他の多くの人々の貧困を増大させていることを気にも留めていない」(※4)

日本の状況にもつながる問題提起である。教皇フランシスコの来日まであとわずか。その発言と動向に注目していきたい。

「すべてのいのちを守るため」という想いが込められた教皇フランシスコ来日ロゴマーク。
「すべてのいのちを守るため」という想いが込められた教皇フランシスコ来日ロゴマーク。

※1 教皇フランシスコが2017年からはじめた世界中のカトリック教徒が貧しい人々に思いを寄せて祈る日。

※2 イエスが死の前日、弟子たちの足を洗ったことに由来。

※3 菊池功氏ブログ「司教の日記」2019年11月6日、AFP通信2016年4月17日参照。

※4 AFP通信2019年11月18日より引用。

ノンフィクションライター

東京都生まれ。大学卒業後、専門紙記者として5年間勤務。雑誌編集を経てフリーランスに。人物インタビュー、ルポルタージュを中心に『ビッグイシュー』等で取材、執筆を行っているほか、大学講師を務めている。著書に『ルポ貧困女子』(岩波新書)、『ルポ若者ホームレス』(ちくま新書)、インタビュー集に『99人の小さな転機のつくり方』(大和書房)がある。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。

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