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フェンウェイパークがジータージャックされた今季最終戦。宿敵球団が最後にみせたリスペクト。

一村順子フリーランス・スポーツライター
サイン入りのスコアボードを贈られて笑顔のジーター。(レッドソックス球団提供)

長年のブーイングが、スタンディングオベーションの嵐に転じた引退セレモニー

9月28日。今季限りでの引退を表明していたヤンキースのデレク・ジーター内野手(40)にとって、その日は宿敵レッドソックスの本拠地フェンウェイパークでヤンキース一筋の20年間の現役生活にピリオドを打つ日となった。それは、今季開幕から遠征各地で行われてきた引退イベントの最終到着点であり、すでに、両軍ともプレーオフ出場の芽が絶たれた消化試合が、一時代の終焉を告げる特別な日となった。

気温27度と9月末のボストンには珍しい陽気に恵まれた当日。試合に先立ってセレモニーが始まった午後1時には、36869人の観衆はほとんどが着席し、球場には歴史的瞬間に立ち会う興奮が渦巻いていた。普段はレッドソックスカラーの真っ赤に埋まる観客席が、背番号「2」の白いジャージーに埋め尽くされている。こんな現象はかつて見た事がない。

最初にバックスクリーンに約5分間のビデオが上映された。ベーブルースがヤンキースにトレードされたことを報じる1919年12月の新聞の切り抜きがクローズアップされ、そこから、ほぼ100年間に渡る両軍の因縁の対決が時代を追って映し出される。ヤンキースという壁に何度も煮え湯を飲まされてきたレ軍の、通称「ルースの呪い」と呼ばれる暗黒時代。球史に残る大死闘、名勝負、そして、両軍入り乱れての大乱闘。早送りのような白黒から画像の荒い昔のカラーを経て、近年のハイビジョン映像へ。ディマジオ、マントル、マーチン、ウィリアムス、クレメンス、マルチネス、シリング、そして、ジーター…。豪華スター選手のオンパレード。世代を超えた戦いの歴史に、場内の興奮は一気に上昇。両軍選手たちもダグアウトから身を乗り出して楽しんでいる。

ビデオが終わると、名物グリーンモンスターの得点板に、「WITH RESPECT 2 DEREK JETER」の文字が1ずつ入った。もちろん、手動で。時間が掛るが、それが逆に刻まれる言葉のメッセージ性を高めるようだ。

そして、この日の主役が三塁側ダグアウトから登場して遊撃の位置に。「デレク、ジーター!」の大合唱。ジーターは帽子を取って場内のあらゆる角度に手を振った。記念品贈呈のプレゼンターたちが紹介されると、球場のボルテージは更に上がった。三冠王ヤストレムスキーらレ軍出身の殿堂入りが一塁側から次々に姿をみせ、ジーターの元に駆けつける。通算133打席と誰よりもジーターと対戦したウェークフィールド、同世代のキャプテン、バリテックが続く。そして、次に現れたのは、ブルーインズのユニフォームをきたNHL史上最高選手と謳われるボビー・オア。NFLペイトリオッツ一筋でプレーした名WRトロイ・ブラウン。元セルティックスで現在はNBAウィザーズのポール・ピアース。ボストンの四大プロスポーツを支えた名キャプテンたちがサプライズ登場すると、場内はどよめいた。

続いて一塁側ダグアウトからレ軍の全選手が遊撃に佇むジーターの元へ。先頭オルティスから最後のペドロイアまで、ジーターが名前を知っているのかどうか疑問な若手も多い中、1人1人と握手して言葉を交わした。過去のブーイングを清算するかのように、場内はスタンデングオベーションで宿敵の主将を讃えた。

敵地でもリスペクトを貫いたジーター

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1時39分に始まった試合では「二番・指名打者」で先発。2打席目に三塁走者イチローを本塁に返す通算3465安打を放った後、代走を送られて交代すると、再び場内は総立ちで「ジーターコール」を送り続けた。ジーターは一塁から三塁ダグアウトに戻る途中、先発のバックホルツとマウンド上で握手。味方ベンチで全員と1人ずつ抱擁を交わした。午後2時26分。試合はしばし中断したが、ベンチ前に整列したレ軍戦士も、審判も含め、1つの時代の終焉をその目に焼き付けようとしていた。

「本当に驚いた。信じられなかったよ。歴代のアスリートや主将たちが来てくれるなんて、予想もしていなかったからね。ここでは長い間、敵対者だったけど、最後にその台本が書き換えられたみたいだ。とてもスペシャルなことだし、本当に誇りに思う」

試合後の記者会見でジーターは言った。実は、敵地での最後の3連戦は出場を回避するのではないか、という報道も流れた。開幕以来、訪れた遠征先の各地でその功績を讃えたセレモニーが行われてきた。今月7日に本拠地ヤンキースタジアムで行われた引退セレモニーでは、ファンへの惜別スピーチを行い、25日の本拠地最終戦では劇的なサヨナラ打を放って、引退興行はピークを迎えた感があった。一部メディアでは、あれだけ思い出深いシーンをつくったのだから、もう出場すべきではない、あのサヨナラ打こそ最後にふさわしいという論調もあった。だが、ジーターは出場を決めた。

「それ(欠場)は、考えたよ。でも、あのサヨナラ打の思い出は最後でも、最後でなくても、色褪せることなく残るだろう。ボストンにも遠方からファンが来てくれるとも聞いていた。正しいことをすべきだと思ったんだ」

ボストン入りした26日。昼間に郊外でランチを取ったジーターは地元のファンに「引退おめでとう」と祝福され、「私はレッドソックスのファンで、ヤンキースが大嫌いだけど、あなたのことを尊敬します」と声を掛けられたそうである。99年にフェンウェイパークで行われた球宴では球場入りの際、タクシーから降りた瞬間、入り待ちをしていたファンに強烈なブーイングを浴びせられ、「殺されるかと思った(笑)」というエピソードを紹介したジーターにとっても、嬉しい驚きだったようだ。野球、そして、チームメイト、ファンやメディア、全ての対象に尊敬の念を持って接するジーターの姿勢は、ナイキ社の惜別CM「Re2pect」が示すようにリスペクトという言葉に象徴されるが、ジーターは敵地でさえ、そのリスペクトを貫き、その姿勢に敵地もリスペクトを示したということだろう。

スキャンダル多発の米プロスポーツ界で際立つ存在感

最後の舞台のホスト役になったレ軍は、敵地ながら最高の形で送り出してやろうという気概を感じるセレモニーを演出した。球団関係者によると、イベントのコンセプトから出演者の交渉まで準備は夏から始まり、情報が漏れるのを防ぐため、球団の中でも極秘に進められたという。「各地の遠征先で色々なセレモニーを廻ってきて最後がウチだったので、プレッシャーはあったと思いますよ」と関係者は語る。憎き宿敵あってこそ名勝負が生まれ、対敵する関係性がドラマと歴史をつくる。セレモニーに色濃く演出された「ライバル」、そして「キャプテンシー」は、対戦チーム目線から贈られた最高級のメッセージだろう。昨年ボストンマラソン爆発事件の後に行われた追悼セレモニーの完成度でも高い評価を受けたレ軍イベントチームの企画力、演出力を改めて感じさせられた。

「ボストンの人々は熱烈なレッドソックスファンだけれど、同時に偉大な野球ファンでもある。人々は両軍の歴史を理解し、ヤンキースとの特別なライバル関係を誇りに思ってもいる」とレ軍のファレル監督が言えば、ヤ軍のジラルディ監督は「ジーターだからこそ、こんなことが起きた。これだけ、自軍以外でもリスペクトを受ける選手は他にみたことがない。おそらく、他のスポーツ界を見渡してもこんな選手はいないんじゃないか」と言った。ステロイドなどの違反薬物使用が毎年のように摘発される球界のみならず、家庭内暴力などの事件が多発すNFL。自転車競技のアームストロングもドーピング使用が発覚し、タイガーウッズやマイケル・ジョーダンでさえ、不倫スキャンダルとは無縁でなかった米国スポーツ界に、ジーター程、実績のみならず、周囲の尊敬を集めたアスリートはもういないのかもしれない。

フリーランス・スポーツライター

89年産經新聞社入社。サンケイスポーツ運動部に所属。五輪種目、テニス、ラグビーなど一般スポーツを担当後、96年から大リーグ、プロ野球を担当する。日本人大リーガーや阪神、オリックスなどを取材。2001年から拠点を米国に移し、05年フリーランスに転向。ボストン近郊在住。メジャーリーグの現場から、徒然なるままにホットな話題をお届けします。

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