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さよなら、ボビー。バレンタイン監督の解任に想う。

一村順子フリーランス・スポーツライター
昨年12月のバレンタイン監督就任会見

公式戦最終日翌日の、速攻解任

ヤンキースタジアムで開催されたレッドソックスの今季最終戦を取材して一夜明けた4日、ボストンに戻る飛行機の機内で観たスポーツ番組で、バレンタイン解任の一報が流れた。私が、JFK空港を飛び立った直後に、球団が正式発表したようだ。ボストン空港に到着してメールをチェック。ヘンリーオーナー以下、球団首脳とバレンタイン監督自身のコメントも入った正式リリースを確認して、「やっぱりか」という思いと、「もう1年、指揮を執らせてあげて欲しかったなぁ」という口惜しさが入り交じった感情を味わった。

69勝93敗でアリーグ東地区最下位。確かに酷い成績だが、これは、ボビーのせいだけなのだろうか。開幕ダッシュに失敗したのは、主力の多くが故障で戦列を離れたからだ。そして、多くの地元メディアが指摘した選手との”確執”も、チーム改革のためには、避けて通れない”産みの苦しみ”ではなかったのだろうか。8月には、ゴンザレス、ベケットら主力4選手が、世紀のメガトレードでドジャーズに移籍。2億5000万ドル以上の年俸削減に成功したが、戦力自体は低下した。プレーオフ進出の芽がなくなり、世代交代に踏み切った9月には、若手の台頭が期待されたが、過去、数年間に渡って、トレード補強の見返りとして、多くの有望新人選手を手放してきたレ軍のマイナーには、すぐに次世代を担える若手が育っていなかった事情もある。全てがボビーの責任ではないだろう。

ロッテ監督に就任した時も初年度の04年は勝率5割に達成したが、優勝したのは、2年目。若手を起用したチーム采配には定評のあるボビーだからこそ、そして、多くの軋轢の末に、ようやく、若手に切り替える体制が整ったレッドソックスだからこそ、あと1年、いや、せめて、球宴までの3ヶ月間だけでも、託して良かったのでは、という思いは、どうしても、残る。

Bobby's Voice

一昨年9月の球史に残る大失速で、プレーオフ進出を逃したレ軍は、フランコーナ前監督を”事実上”、解任して再起を図った。オフには、一部選手による試合中の飲酒というスキャンダルが発覚。球団は「クラブハウスの文化を変えるために、ニューリーダーによる、ニューボイスが必要」とチームの抜本的改革を掲げ、バレンタイン監督を招聘した。同監督はレンジャーズ、メッツ、ロッテで、日米両球界の監督を務めた際にも、その”ボイス”で注目を集めた人である。野球の知識が高評価されるのと同時に、自己顕示欲の強さもよく指摘され、舌禍でバッシングを受けることが多かった。球団が命運を託したその”ボイス”は、NYと並んで地元メディアが強いボストンの地で、就任直後から波乱含みで取り沙汰されていくことになる。

春季キャンプでナインを指導するバレンタイン監督
春季キャンプでナインを指導するバレンタイン監督

春季キャンプイン早々にクラブハウス内や、遠征帰りのチャーター便での飲酒を禁止した。その時、すでに一部選手から反発を買ったと聞く。シリング、ラミレスら個性派が揃った07年の優勝メンバー程ではないにしろ、高年俸獲りの看板選手が揃うレ軍の中で、ボビーの発言は、しばしば、選手との軋轢を生んだ。

開幕早々には、ユーキリスとの確執が話題となった。不振のユーキリスについて、ボビーが「精神的にも肉体的にも、今までより、プレーに入れ込んでいないように見える」と発言したのが、発端だ。日本なら監督がこの程度の選手評をしても、何の問題にもならないが、感情派の内野手は激怒して、すぐにツイッターで反論。メディアが飛びつき、指揮官が謝罪する事態に至った。ユーキリスが自他共に認めるハッスルプレーヤーであることは否定しないが、過去にもプレーを巡って同僚と争うなど、気性の激しさも知られる同選手。確執が表面化し、更に、その穴を埋めた若手のミドルブルックスが活躍した背景もあって、余剰戦力となったユーキリスは放出された。8月には、主力選手が、ボビーの解任をオーナー直訴する内乱にまで発展。先発を回避しながら、休日ゴルフに興じたことが発覚したベケットもドジャーズに移籍。個性派揃いのレ軍選手が、いずれ、ボビーと衝突することは、避けられないことだったかもしれない。

昔と違って今は、ツイッターなどで選手が個々に声を発する時代でもある。本来ならクラブハウス内で止まるべきことが、ボストンという特別にメディアの影響力が強い土壌で日々、格好のネタになっていったのは、気の毒だったが、新時代の監督には、メディアコントロール能力が今まで以上に問われているのだろう。

時間がかかる大掃除

あと1年の契約期間を残して解任されたボビーの最大の功績は、塵がつもりに積もったクラブハウスの大掃除をしたことに尽きる。もちろん、交渉などの実務面は、チェリントンGMの手腕だが、ユーキリスの問題も、ボビーの舌禍のお陰で表面化したことで、フロントがユーキリスを放出しやすい流れになったとは言えまいか。クラブハウス飲酒の首謀者だったベケットもしかり。うるさいメディアが、ああだこうだと世論形成に大きな影響を与えるこの土地で、他の誰もできなかった汚れ仕事を、ボビーはやってのけたと思う。長年の功労者だからこそ、切りづらかった看板選手を、切った。それは、チーム再建のために、”膿を出す”過程ではなかったか。大掃除には時間が掛かる。監督の首をすげ替えるだけでは無理なのだ。

逆に言えば、主力選手による解任直訴事件でも監督を擁護し続けてきた球団首脳が、最後に早々と解任に踏み切ったのは、メディアの批判や内紛とも戦えるボビーに求めた役割は達成されたと、判断したからかもしれない。ボビー個人は選手、コーチの誹りを受け、メディアに糾弾されたが、球団は非を負うことなく次のステップに進める。今季は継続できた本拠地球場のチケット完売記録を絶つ訳にはいかない。お役目御免と言うべきか。球団がボビーの個性を知った上で、巧く利用したとしたら、今季起きたゴタゴタは、全て想定内のことだろう。そして、ボビーの役目が終わったと判断した球団は、さっさと次の手を打ったということになる。

良好だった日本人選手との関係

私が解任を惜しんだもう1つの理由は、ボビーが、松坂大輔、田沢純一の両日本人投手と、非常に良好な関係を保ち続けたということだ。田沢は、本人の成長に依る部分が大きいが、ボビーも力があると判断するや積極的に大事な場面で起用していった。松坂に至っては、右肘じん帯再建手術からメジャー復帰後、一進一退が続き、地元メディアが散々にバッシングする中、一環して先発ローテーションで起用し続けた。

「今の松坂は、100%じゃない。まだ、本来の力を発揮する段階ではないんだ」と現状を把握していながら、地元メディアの批判にも関わらず、松坂をマウンドに送り続けたことについて、ボビーは「それは、確かに私にとっても辛いことだった」と本心を打ち明けた。

では、なぜ、松坂にこだわったのか。ロッテの監督時代、西武の全盛期を知るバレンタイン監督は、豪腕が再び甦ると信じたのだろうか。

「今から思えば、彼は復帰を急ぎ過ぎたかもしれない。でも、彼は投げたがっていたし、私にはその気持ちがよく分かった。彼は、ボストンでもう1度、その力を証明したいと願っていたと思う。その思いが分かるからこそ、正しいことをしなければならないと思ったんだ」

沈みゆく戦艦の指揮を獲るボビーは、松坂に賭け、そして、敗れた。

松坂自身もボビーが結果を出せない自分を起用し続けることで、苦しい立場に追い込まれることを理解した上で、こう語ったものだ。「こんな状態でも、投げさせて貰っていることについては、感謝の気持ちしかない。だからこそ、何とか、結果でその思いに応えたかったんですけど」。

生誕100周年の記念を飾れなかったフェンウェイパーク
生誕100周年の記念を飾れなかったフェンウェイパーク

監督解任がすでに報じられていた公式戦最終戦に登板した後、6年契約を満了した松坂は来季の去就を問われて「残れるものなら残りたいですけど、その可能性は限りなくゼロに近いと思う」と、悟った口調で語った。オルティス以外の04年優勝メンバーが消え、最大の擁護者だったボビーが去り、旧体制から完全に新体制に変遷する来季のレ軍の構想の中に、松坂の名前は、おそらく、ないだろう。そして、近々、就任する次期新監督は、当初はメディアや選手から大いに歓迎されることだろう。ボビーが雑草を刈り取った道に伸びる再建ロードに、レッドソックスは、新しいチームを構築しようとしている。

フリーランス・スポーツライター

89年産經新聞社入社。サンケイスポーツ運動部に所属。五輪種目、テニス、ラグビーなど一般スポーツを担当後、96年から大リーグ、プロ野球を担当する。日本人大リーガーや阪神、オリックスなどを取材。2001年から拠点を米国に移し、05年フリーランスに転向。ボストン近郊在住。メジャーリーグの現場から、徒然なるままにホットな話題をお届けします。

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