“いじめは無くならない”~義務教育を支える教育委員会制度の欠陥~

○頻発するいじめ「教育委員会制度廃止論」

 小学校2年生の児童に対するいじめは、いたましい母子心中にまで発展してしまった。とても悲しいことですが「いじめ」は繰り返し起きています。

 いじめが起きると新聞、テレビは大きく取り上げ、原因は「地域の教育委員会や校長・教師」の責任として追及します。しかし、いじめ事件がなぜ頻発し、繰り返されるのかという根幹に切り込むことはありません。事件後は当事者である校長や担任教師は他の学校に異動し、幕を引くことになります。

 私は、いじめが大きな社会問題として取り上げられた2004年に文科省の諮問機関である中央教育審議会で現職市長として出席し、現場の実態から「教育委員会制度の欠陥と抜本的な改革」について提案すると共に2005年4月に『教育委員会廃止論(弘文堂)』を出して、教育委員会制度の根幹を変えない限り、いじめの根絶は不可能であることを訴えました。当時、文科省が行ったいじめ報告などのマニュアル化によって、教育現場によるいじめの隠蔽や言い逃れが行われていたにもかかわらず、1999年から2004年まで「生徒の自殺はゼロ」の発表を行ったことに対する警告でもありました。

 今から15年前の出来事です。しかし、教育委員会制度は根幹を変えることなく今日まで続けられ、公立小中学校における“いじめ”は続発しつづけています。

○公立と私立の違い

 いじめの発生は私学に比較して圧倒的に公立が占めています。私立の小中学校は建学の方針が確立され、希望者は入試によって選別されるために、集団の特徴は学力や家庭環境を含め「同一性」を持っています。一方、公立の小中学校は正反対で、様々な家庭環境と個性を持つ子供達で構成される極めて幅の広い「多様性」を持っています。

 私は、多様性が要求される現代社会においては同一的環境で育つ子供達よりも、幅広い多様な子供達で構成される公立で成長することが子供達の将来にとって重要ではないかと思いますし、公立には地域が子供達を見守るという利点があります。しかしながら、児童・生徒の多様性の裏側には、様々な個性が交差するため児童・生徒間の意見の相異や衝突があり、いじめの危険性があるため、公立は私立に比較し学校や担任の指導力や注意力が強く求められています。しかし、複雑で閉鎖的な義務教育を支える現行の教育委員会制度は、公立の特徴を全て欠点に置き換えているといっても過言ではありません。

○教育委員会制度とその欠陥

 義務教育を支える教育委員会制度は、国と都道府県と市町村が上意下達の関係にあり、教育現場からはるかに遠い文科省や都道府県教育委員会(政令指定都市を除く)が学校現場に強い権限を持っています。しかし、その強い権限は実態的には命令であるにもかかわらず法制上は「指導・助言」というやわらかい言葉で表現されています。何故なのか不思議です。

 さらに事件が起きるとテレビに向かって「誠に申し訳ありません」と頭を下げている校長・教頭・担任に、多くの方々は「力量不足や不注意」が全ての原因だと捉えていますが、彼らは学校を運営する市町村の職員ではなく都道府県教育委員会からの派遣職員(政令指定都市を除く・以下同じ)です。当然のことですが彼らの身分は全員、都道府県の職員です。校長と教員の人事権は都道府県教育委員会にありますから、校長と教員は偶然の廻り合わせによって学校を構成することになります。とても解りづらいシステムです。しかも教育委員会の責任者は人ではなく「機関」が担っています。委員会は合議制で運営されているからです。

 これらは一例にすぎませんが、保護者はもとより部外者がこのような教育委員会制度を理解することはとても困難です。そのうえ教育委員会制度は教員という専門家集団に守られているため、内部からの批判も外部に出る事はありません。理解出来ない制度では保護者はもとより地域に開かれた学校の創造など出来るはずがありません。

 この不可解な制度は政治的中立性を担保するためだと言われていますが、マスコミにも、有識者にも理解出来ない制度のため、いじめを解決する真の原因究明はなされずに先送りされています。

 公立と比較し私学の組織は簡単です。理事長の権限下に校長、教員が配属され、学校運営に対する管理権はもとより教員に対する校長の人事権はしっかりと確立されています。時として起こる学校の不祥事は教員、校長にとどまらず、理事長にも影響が及ぶことになります。一方、公立小中学校の設置者である市長村長は、権限も責任もありません。いじめ問題の真の責任者は一体誰なのでしょうか。

(以下次号)