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岡江久美子を喪くした衝撃の大きさ 彼女がもたらした大事なものは何だったのか

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:アフロ)

岡江久美子が『連想ゲーム』で最若手だったころ

岡江久美子と言えば、同世代として浮かぶのはNHKの『連想ゲーム』である。

大人気だったこのNHKのバラエティ番組で、彼女は「5番席」に座っていた。若々しく、溌剌として、元気よく答えていた彼女の姿がおもいだしてしまう。

彼女がこの番組に出ていたのは1978年からの5年間である。

5番目の席は、若いレギュラー解答者が座るところだった。

当時のキャプテンは中田喜子。1番席には坪内ミキ子、3番には檀ふみが座り、そして5番席には岡江久美子がいた。

私の記憶のなかでは、もっとも安定したメンバーである(2番、4番は週代わりゲストの席)。

この番組のレギュラー解答者は、頭の回転が早く、勘のいいタレントさんばかりであると、当時、私はそう信じていた。そうおもってた人も多いだろう。

このときからずっと、岡江久美子といえば、明るく、元気よく、そして頭の回転の早い女性というイメージを持ち続けたままである。

『連想ゲーム』より以前から、テレビドラマでよく見かけていた。

1970年代の岡江久美子のドラマをおもいだすと、私はなぜか着物姿をおもいうかべてしまう。清楚でおしとやかな女性というふうにとらえていた。

おそらく1977年大河ドラマ『花神』のイメージからだろう。

秋吉久美子の向こうを張っていた大河ドラマ『花神』の岡江久美子

幕末の長州藩を舞台にしたこのドラマでは、高杉晋作を中村雅俊が演じていて、岡江久美子はその妻のお雅の役であった。

いいところのお嬢さんで(というか長州藩上級武士の娘で)節度のある清楚な女性という役どころである。高杉晋作の愛妾おうの(秋吉久美子が演じていた)との対比で、きちんとした女性に描かれていた。

1977年に見たきりなので細かいところはおぼえてないが、「愛妾の秋吉久美子と、正妻の岡江久美子」という対比構図はよく覚えている。

原作(司馬遼太郎の『世に棲む日々』)のおうのと秋吉久美子はまったくイメージが違うなあとおもったが(大竹しのぶあたりがいいのではないか、と勝手におもっていた。要するにもうちょっと丸っこくて緩い感じがしないとイメージと合わないのである)、岡江久美子からは凜とした気配を感じられ、ああ、たぶん、ほんとうにこんな感じの人だったんだろうな、とおもった記憶がある。

岡江久美子が演じるのは、やはり側室ではなく正室なのだ。

若いころの岡江久美子といえば、着物姿の記憶がけっこうあって、これはおそらく『大江戸捜査網』からの印象なのだろう。

『金妻2』で演じた“誠実で損な役どころ”

その後、人気ドラマ『金曜日の妻たちへ2』にも出演していた。

1983年に第一シリーズが放送され、岡江久美子が出てたのは1984年の第二シリーズである。第三シリーズまであるが、いまのシリーズものドラマと違って、それぞれ別の話である。登場する役者が同じだったり、設定が似ていたりするが、つながっているわけではない。

第2シリーズは、東京郊外(小田急線の中央林間)に家を買った4組の夫婦を描いたドラマだった。

夫婦は「伊武雅刀と高橋恵子」、「小西博之と岡江久美子」、「板東英二と篠原ひろ子」、「竜雷太と田中好子」という組み合わせである。

高橋恵子と小西博之はもと恋人で、偶然、近くに引っ越して再会したのがきっかけで、再びつきあいだしてしまう、そういうW不倫が物語の軸になっていた。

岡江久美子は、ちょっと損な役回りだった。彼女自身のロマンスが発展するわけではなく、「旦那を寝取られる女」の役である。

ただ、不安定な4組8人の夫婦のなかで、彼女が演じていたのがもっとも現実的な役どころだった。誠実にリアルに生きているぶん、割りを食ってしまう、という役だった。

岡江久美子が見せてくれていた“大事なこと”

かつての岡江久美子は、「まっすぐな人」を演じることが多かったようにおもう。

若いときから、地に足をつけた存在として見られていたということだろう。

元気で、爽快で、真っ直ぐで、スピーディな人というのは、そうそう存在しないのだ。彼女は、何かしら「落ち着かせる役」を任されていた。そして私たちは、彼女を見てると、何だか落ち着いた気分になれたのだ。

彼女が亡くなったと聞いて、ひとりの女優がいなくなったことを越えて、大きな不安と残念な気持ちに襲われるのは「落ち着かせてくれる人」として彼女をどこか頼りにしていたからではないだろうか。

岡江久美子は「社会の芯になるしっかりしたもの」を背負っていたようにおもう。

生きていくのに大事なことを、彼女はその生きる姿で見せてくれていた。

そういう人はしっかりと生き続けるものだと、どこかで信じていたのだ。

地に足つけた人が突然にいなくなると、地がゆっくりと、でも大きく揺れるのだと知った。

1990年代には昼のドラマ『天までとどけ』でお母さん役を演じ、彼女はまさに「平成のお母さん」であった。

見るだけで安心させてくれる存在だった

近年になってもドラマに出演していた。

近いところだと福士蒼汰・川口春奈の『愛してたって、秘密はある』(2017年7月期)、吉岡里帆・向井理の『きみが心に棲みついた』(2018年1月期)などに母親役で出ていた。

前者ではヒロイン川口春奈の母、後者は歪な男であった向井理の母の役であった。

かつて明るく正しいお母さんをやっていた彼女だからこそ、一周半ほどまわって、こんどはちょっとクセのある母親を演じ、存在感を示していた。

でも岡江久美子が演じると、どんな役であろうと、どこかに安心感があった。見るだけで安心させてくれる人だった。

年を経て、どんなところでもその場に必要なことをきちんとやる人、というイメージをまとっていったとおもう。目の届くかぎりは、やれるかぎりのことはしっかりやる人だと、ふつうに想像できる。長く朝の番組の総合司会もつとめていたのも、そういう魅力によるものだろう。書いていて、苦しくなってくる。

ただ、やはり同世代としては、メインの役どころになる前の時代をおもいだしてしまう。

何者かになりそうだけれど、まだ何者でもなかったころ、1970年代の岡江久美子である。

まだ清楚さを少しまとっていた。

1970年代というのは、「つましい」ところのある社会だった。そのつましさと彼女の存在はとても合っていたようにおもう。

着物姿で物静かにセリフをいう彼女。『連想ゲーム』で年上の人たちを前に溌剌と動きつづける彼女。そういう若い岡江久美子ばかりをおもいだしてしまう。

胸の奥がただ痛い。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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