Yahoo!ニュース

NHK大河ドラマは「原作なし」がトレンド 「国民的歴史作家」は消滅したか

堀井憲一郎コラムニスト
『麒麟がくる』主人公の明智光秀像(提供:アフロ)

2021年の大河ドラマは渋沢栄一を主人公にした『青天に衝け』に決まった。

主演は吉沢亮。

彼は朝ドラ『なつぞら』で主人公の親友・天陽くんをやっていた。朝ドラ内での登場が終わった直後に発表された。

2020年の大河ドラマは明智光秀の物語『麒麟がくる』で、主演は長谷川博己。彼もまた朝ドラ『まんぷく』での準主役でもあった。たまたまなのかもしれないが、朝の連続テレビ小説と、大河ドラマの出演者連動が続いている。

脚本は『青天に衝け』が大森美香で、『麒麟がくる』は池端俊作である。

原作小説はない。

2010年代の原作あり大河は1本だけ

かつて大河ドラマといえば、有名な歴史小説をもとに制作されたものが多かったのだが、近年はそういう機会が少なくなっている。

いま2019年に放送中の『いだてん』も、宮藤官九郎のオリジナル脚本である。

『いだてん』は主人公らしい主人公がおらず、いちおう金栗四三と田畑政治が主人公だとされているが、彼らはシンボルでしかなく、このドラマの主人公は「オリンピック」である。細かく規定するなら「オリンピックに対する日本人の関心」であろう。つまりある種の「空気」をドラマ化しようという意欲的な企みだ。画期的なドラマであるぶん、支持が少なくなってしまう。しかたがないところだろう。

それ以前の2010年代の大河ドラマをさかのぼって並べてみる。

2018年は西郷隆盛の『西郷どん』。原作小説が林真理子。

2017年は井伊直虎の『おんな城主 直虎』。

2016年は真田幸村の『真田丸』。

2015年は吉田松陰の妹・文の『花燃ゆ』。

2014年は黒田官兵衛の『軍師官兵衛』。

2013年は新島八重の『八重の桜』。

2012年は平清盛の『平清盛』。

2011年は浅井長政の息女・お江の『江〜姫たちの戦国〜』

2010年は坂本龍馬の『龍馬伝』。

こういうラインナップである。

このなかで明確な原作小説があったのは林真理子の『西郷どん!』だけである。

ほかはみな脚本家によるオリジナル脚本によって制作されている。

2011年の『江〜姫たちの戦国〜』は田渕由美子の原作小説があるが、彼女はこの大河ドラマの脚本を担当しており、そもそも田渕由美子は小説家というよりも脚本家なので、『江』は“オリジナル脚本に準ずる作品”だと見たほうがいいとおもう。

2010年代に入り、代表的な歴史ドラマ枠“NHKの大河ドラマ”は原作小説を使わなくなっているのである。

高名な歴史小説家による人気小説が並んだ1960年代

 1963年の4月から始まった大河ドラマは、有名な歴史小説を原作に映像化する、というのが基本のパターンだった。

昭和38年1963年の第一回は舟橋聖一が原作の『花の生涯』。

昭和39年1964年第二回は、大佛次郎の『赤穂浪士』。

昭和40年1965年第三回が、吉川英治の『太閤記』。

昭和41年1966年第四回、村上元三の『源義経』。

こういうラインナップで始まった。

一回目が幕末もの、二回目が忠臣蔵もの、三回目が戦国もの、四回目が源平もの。

これでだいたいの大河ドラマのパターンが出そろっている。

第五回以降は、大佛次郎『三姉妹』、司馬遼太郎『竜馬がゆく』、海音寺潮五郎『天と地と』、山本周五郎『樅ノ木は残った』、山岡荘八『春の坂道』、吉川英治『新・平家物語』と続く。

すべて高名な歴史小説家による人気の作品が続く。(ただし『三姉妹』は大佛のいくつかの作品をもとに脚色されたもの、『春の坂道』は大河向けに書き下ろされた小説である)

まったく原作の小説がない「オリジナル脚本」の作品が登場するのは1980年の『獅子の時代』が最初である。山田太一によるオリジナル脚本作品だった。

主人公も無名の(架空の)薩摩藩士と会津藩士であり、幕末から物語は始まるが、話は明治時代へと入り、近代を描く新しい作品でもあった。

新しい題材でもあり、この時代を描くためにオリジナル脚本が採用されたというのはわかりやすい。また、1980年代というのは、いろいろと新しいことをやる時代でもあった。

オリジナル脚本を3回書いた橋田壽賀子

その翌年1981年もまた橋田壽賀子によるオリジナル脚本の『おんな太閤記』となった。

秀吉の妻から見る戦国時代という女性視点の物語であった。

そのあと原作小説路線に戻ったのだが、1986年に再び「橋田壽賀子オリジナル脚本」の『いのち』が制作された。これは戦争後の昭和20年から始まる現代劇であり、大河ドラマとしては異色であった。3年前に橋田が書いた「おしん」の後半と時代が同じである。

二年措いて、みたび「橋田壽賀子オリジナル脚本」として『春日局』が1989年に放送された。

1980年代の10年間でオリジナル脚本作品(原作小説なし)は4作品となった。

1990年代は、1993年に『琉球の風』と『炎立つ』の2本放送とイレギュラーだったため10年間で全11本制作され、原作ものが8,オリジナル脚本が3本だった。

2000年代の10年は、まだ原作もの7,オリジナル脚本が3本である。この時代まではまだ原作小説のある物語を大河ドラマに仕立てていた。

ところが2010年の『龍馬伝』(福田靖のオリジナル脚本)から、ずっと原作小説の存在しない時代になる。(2011年『江』については前述)

林真理子の『西郷どん!』(2018年)だけが原作小説のある大河となり、2020年代も発表されている2本はオリジナル脚本である。

大河ドラマ世界がすこし変わっているようだ。

これまでの大河ドラマに使用された小説家別回数は以下のとおり。

司馬遼太郎 6回

吉川英治 4回

山岡荘八 3回

以下、2回が7人。

舟橋聖一。大佛次郎。海音寺潮五郎。永井路子。堺屋太一。高橋克彦。宮尾登美子。

1回は12人。

村上元三。山本周五郎。子母沢寛。南條範夫。城山三郎。山崎豊子。杉本苑子。新田次郎。陳舜臣。井上靖。火坂雅志。林真理子。

昭和の歴史小説家が総揃いという感じである。

ちなみに脚本家で複数回、オリジナル脚本を提供してるのは3人。

橋田壽賀子3回。ジェームス三木2回。三谷幸喜2回。

戦前の吉川英治 戦後の司馬遼太郎という国民作家

もっともよく使われた小説家は司馬遼太郎であり、次いで吉川英治である。

吉川が戦時中から戦後にかけての国民作家であり、司馬は1970年代から平成初期にかけての国民作家であった。

司馬遼太郎なきあと(1996年逝去)、大河ドラマでは原作小説をあまり用いられなくなったということは、つまりわれわれはもはや“歴史小説を書く国民作家”を持たなくなった、とも考えられるのではないだろうか。

大河ドラマの原作変遷をみて、ふとそうおもった。

国民みんなに認められる「歴史物語作家」が、わが国から消えていったのかもしれない。そういう存在を必要としなくなったのか、もしくは、そもそもそういう位置に立とうという物語作家が生まれなくなったのか。

二十一世紀に入って何かが変わってしまった気がする。

大河ドラマに使われた司馬遼太郎と吉川英治の作品を並べてみる。

 司馬遼太郎

『竜馬がゆく』(1968年)『国盗り物語』(1973年)『花神』(1977年)『翔ぶが如く』(1990年)『徳川慶喜 』(1998年)『功名が辻』(2006年)

 

 吉川英治

『太閤記』(1965年)『新・平家物語』(1972年)『太平記』(1991年)『武蔵 MUSASHI』(2003年)

司馬遼太郎は、坂本竜馬という人物をあらたに創作したことによって国民的作家になっていったのだな、とおもいいたる。

それまでは(事実としても)幕末最終段階に一瞬だけ歴史を横切る男と見られていた坂本を(だからこそ颯爽とはしていたが)、いきなり時代の主役に見立てたのは見事だった。それは講談師的なある種のはったりでしかないのだが、ただその見立てが1960年代の日本の気分と合致して、大人気となった。

権力サイドにいない男が歴史を動かしたという(少々無理のある)解釈に、昭和の国民みんなが高揚したといっていいだろう。(司馬遼太郎はこの手法がはったりでありケレンでしかないことに、かなり自覚的だったとおもう)。

大河ドラマ『竜馬がゆく』は1968年の作品である。司馬遼太郎は当時45歳。(執筆は1962年から1966年にかけて)

その後、NHKの『日本史探訪』という番組で司馬をよく見かけるようになった(1970年放送開始)。ただこの時点では、海音寺潮五郎や松本清張と司馬遼太郎は同等の扱いであり、彼がひとり飛び抜けた国民的な作家だったということはない。彼の名声が高まるのはやはり『坂の上の雲』による「近代日本(戦争をする日本)の肯定」以降であろう。

独特の歴史観には批判もあったが、やはり国民には(多くの読者には)広く支持されていた。

司馬遼太郎の歴史の見立てを、いまも国民が共有している。(坂本竜馬人気が顕著な例である)。地道な研究者の反証がさほど聞き入れられない。そういう圧倒的な存在だった。

国民作家が指し示してくれていたもの

吉川英治は、「宮本武蔵」で記憶される国民作家である。

1930年代(昭和10年代前半、つまり戦前)に新聞連載された『宮本武蔵』が国民的な人気となった。鍛錬し、自分の道を究めていくという武蔵の姿勢は、多くの国民の支持を得て、その後、いろんな作品に影響を与えている。

私は、特に漫画原作者の梶原一騎がその精神を受け継いで広めた人だとおもっている。「巨人の星」の星飛雄馬は、負け続ける宮本武蔵のような存在である。負け続けてしまうところが、戦争前と戦争後の物語の大きな差であるのだが。

 

吉川英治が国民に人気だったのは「大変な時代に人は何を支柱に生きればいいのか」ということを示してくれたからである。司馬遼太郎は「敗戦国日本は、何を誇りに生きればいいのか」を見せてくれていた。

日本人とは何かということを、歴史人物を通して教えてくれた。

日本人にとっての「誇りを持って語れる日本」を教えてくれた作家だった。

読者は、そこに示される姿こそ日本人の典型だとおもって、みんなで共有していたのであった。

司馬遼太郎が死んで20年余、彼に代わる「国民的歴史作家」がいま、いないようにおもう。少なくともみんなが、「日本人の典型を示してくれる作家」を必要としていない時代になっているのだろう。

それぞれが信じる人たちを持っていればいいのである。

すこし残念な気もするが、これはこれで悪くない時代なのかもしれない。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

堀井憲一郎の最近の記事