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井上尚弥がドネアを2回TKOで下した衝撃勝利の裏に家族の絆…空き巣騒動を試合終了まで伏せる

本郷陽一『RONSPO』編集長
左から父の真吾トレーナー、井上尚弥、大橋会長(写真・山口裕朗)

 「ドラマにはしない」

 井上尚弥は公約を守った。ドラマを超えたドラマである。7日、さいたまスーパーアリーナで行われたプロボクシングの世界バンタム級の3団体統一戦で、WBAスーパー&IBF世界同級王者の井上が、WBC同級王者ノニト・ドネアを2回1分24秒TKOで下して日本人初の3団体統一王者となった。

 2019年11月にWBSSの決勝戦で対峙した両者の戦いは、2ラウンドに井上が右目にドネアの伝家の宝刀である左フックを浴びて、眼窩底骨折を負い考えていたプランがすべて崩れた。予想外の激闘となり、立て直した11ラウンドに左のボディブローでダウンを奪ったものの判定決着となった。井上が3-0判定で勝利したが、「ドラマ・イン・サイタマ」と海外メディアに称され、米スポーツ専門局のESPNが年間最高試合に選ぶなど名勝負として話題を呼んだ。だが、それは井上にしてみれば、決して喜ばしい反響ではなかった。

 今回「ドラマにしない」と発したのは、激闘ではなく圧倒するという決意である。試合後に井上は「プレッシャーをかけることでトレーニングだったり、意気込みだったり、自らの向上心を上げたいと考えた。発言したからには到達するまでやらねばならない。自分に言い聞かせた」との壮絶な覚悟があったことを明かした。

 1ラウンド開始早々に左フックの奇襲を浴びたが、残り10秒で戦慄の右クロスでダウンを奪うと、2ラウンドには、冷静に左から組み立て、左フックを連発してさらにダメージを与え、最後は、ロープを背負わせてワンツー、そしてワンツーからの左フックでレジェンドと呼ばれる元5階級制覇王者をキャンバスに沈めた。

 井上はコーナーに上がり咆哮したが、父で専属トレーナーである真吾氏は、息子の衝撃のTKO勝利を称える前に、すぐにドネアサイドに走り寄った。ドネアはすぐに立ち上がったが、その様子を心配して、レフェリーの肩を借りるようにしてコーナーへ戻るドネアに、直接、「OK?」と声をかけた。

「かなりのパンチを受けていたのでダメージが心配でした。トレーナーとして当然のことでしょう」

 そのスポーツマンシップにあふれる姿が、SNS上で評判になったが、真吾トレーナーは、当然の行為だと片づけた。それが井上家のポリシーなのである。

 実は、この偉業の裏で、試合で空っぽになっていたタイミングを狙われ神奈川県内の自宅が空き巣に入られる被害があった。ちょうど試合当日の午後4時前後。契約している警備会社が、警報アラームを受け、たまたま近くにいた警備員が数分で自宅へ直行。警報が鳴ったため、2人組の犯人は、運びだそうとしていた金庫をほっぽりだして、海外ブランドもののバッグや、貴金属類など、目についた金目のものだけをかたっぱしから盗んで逃走したという。不幸中の幸いだったのは、すでに会場に入っていた妻と3人のお子さんが自宅に不在で、被害はなく安全が確保されていたこと。

 警備会社は警察と井上の家族にすぐさま連絡を入れた。だが、まだ試合前。すでに井上は、アンダーカードで地域タイトルの2冠戦に挑む弟の拓真と共に会場入りしていたが、午後9時過ぎのゴングまでたっぷりと時間があった。

 井上夫人は、義母である真吾トレーナーの妻と相談の上、試合が終わるまで真吾トレーナーにも、もちろん、井上自身にも、空き巣事件を伝えることを控えた。おそらくパニックになったに違いない。その妻を義母が支え、大勝負を直前に控えた2人に動揺を与えないという選択をしたのである。

 井上の母は、栄養担当兼ビデオ担当として、井上兄弟が独り立ちするまで、ずっと真吾氏と共にスパーリングや試合に付き添ってサポートしていた。それだけにボクサーの試合前の状況や心理をよく理解している。

 試合後、すぐに真吾トレーナーは報告を受けて大橋会長に相談。この時点ではまだ井上には伝えていなかったが、控室内での異様な雰囲気に気がついた井上が、知ることとなり、公式記者会見を済ませると、現場検証に立ち会わねばならないため、埼玉から神奈川県内の自宅へ直行した。

 井上家全員での食事会が予定されていたが、それもキャンセル。世界へインパクトを残す3団体統一を成し遂げた夜の家族水入らずの祝宴は決して許されない悪事のために邪魔されることになった。

 空き巣事件が報道で表沙汰となると、井上は、「ニュース見たけどさ。めでたい日に胸糞悪い話しだよね。みんなも気をつけて!!」とツイートした。

 そこには、ショックと怒りがにじみ出ていたが、もし試合前に知っていれば、その感情の揺れが、ビッグマッチへなんらかの影響を与えたのかもしれない。

 かつて真吾氏に、こんな話を聞いたことがある。

「井上家ってエリートでしょう。井上尚弥って天才でしょう。よくそんなことを言われますが、簡単に言わないでくださいって言いたい。尚や拓が生まれたとき、4畳、8畳の小さな部屋で暮らしていたんです。贅沢していたわけではありません。やつらだって、それを覚えていますよ。家族5人で精一杯生きてきたんです。簡単にチャンピオンにはなれない。なるにはなる理由があるんです。たとえば1万時間の法則。1万時間の努力がなければ一流になれないという有名な理論ですが、井上家の法則は、まさにそこなんです」

 井上家の固い絆と家族愛。

 史上8人目の4団体統一王者へと向かう最強ボクサーの衝撃の2回TKO勝利を生みだした理由がそこにある。

『RONSPO』編集長

サンケイスポーツの記者としてスポーツの現場を歩きアマスポーツ、プロ野球、MLBなどを担当。その後、角川書店でスポーツ雑誌「スポーツ・ヤア!」の編集長を務めた。現在は不定期のスポーツ雑誌&WEBの「論スポ」の編集長、書籍のプロデュース&編集及び、自ら書籍も執筆。著書に「実現の条件―本田圭佑のルーツとは」(東邦出版)、「白球の約束―高校野球監督となった元プロ野球選手―」(角川書店)。

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