村田諒太の未来日記

デビュー戦2日前の記者会見での村田(撮影・平野敬久)

手垢で汚れたた一冊のA4サイズの大学ノート。

頼み込んで村田にそれを見せてもらったのは、去年の11月だったか。

彼は、ロンドン五輪出場を狙い始めた2011年の6月頃から練習日誌を付けていた。専属のコーチはなく、一人で仕事とボクシングを両立しなければならなかった村田は、字に残すことで、練習や試合での問題点をフィードバックしていた。汚い字で、2、3行しか書いていない日があれば、ガイコツみたいなイラストまで書き込んで、腰や重心の位置を示し、長々とボクシング理論について確認してある日もある。それが、オリンピック2か月前になると、練習日記は、どんどん未来日記風に変わっていく。今日は朝、何時に起きました。ロードワークは何本しました。こういう練習ができました。こういうことをテーマにいい練習ができましたと、未来日記みたいなイメージで、あえて過去形で先に列挙しておいてから練習や試合に向かっていたという。

「金メダルが取れました、ありがとうございます」という言葉を、奥さんが冷蔵庫に張り出していたのは、金メダル獲得後、有名なエピソードとなったが、実は、それより先に、村田が毎日、ノートに書いていた言葉だったのだ。セルフコンディショニングと言われるメンタルコントロールを目的とするもので、未来日記として書くと、それが潜在意識に植え付けられていくらしい。

ロンドン五輪の決勝前日には、ノートに、こんな未来日記を綴っていた。

「決勝戦。判定で勝った。最後まで試合をあきらめなかった。念願の金メダルを取った。これも周りの人たちのサポートと、家族のお陰だ。感謝の気持ちを忘れずにいたいと思う。佳子! 佳子! いつもありがとう!」

ノートをペラペラとめくっていると、その1ページに手書きの表があって目に止まった。

人生の目標とスポーツの目標に分けて、夢のような目標、最低限の目標、50年後の目標、30年後の目標、10年後、5年後、3年後、2年後、1年後……今年、半年、今月、今週、今日、今の目標を順番に書き連ねてあったのである。

「スポーツ心理学の本に書いてあったんですよ。夢から逆算して今何が必要かということを書き出していく手法で、モチベーションを高める方法のひとつらしいんです。実現のためには、今日やるべき目標をハッキリさせないと、モチベーションを保てないでしょう」

村田は、その表を作った理由をそう説明してくれていた。

よく見ると、最低限の目標と、今年の目標の2箇所には、「オリンピックで金メダル」と赤字で書いてあった。50年後の目標には、「幸せな老後」。10年後の目標には「指導者」とだけ書かれていたが、夢のような目標の蘭には、「プロになってラスベガスで試合をする」とあった。

「村田……やっぱプロになりたかったのか」

そのページを開いたまま、彼に問うと、少し困ったような顔をした。

当時、彼の気持ちは、揺れ動いていた。

まるで数ミリグラムの差で傾きが変わる天秤秤のようだった。

金メダリストになることをあれほど夢みてきたけれど、いざ、その称号を首からぶらさげて、西や東やと引っ張り回されているうちに、村田は、毎日のように自問自答を繰り返していた。

「今は、みんなにチヤホヤしてもらっていまうが、この先も、金メダルにぶら下がってだけは生きたくないんですよ。これから何のチャレンジもしなければ僕の人生は金メダル以下になるでしょう?」

彼には守るべき家族があった。檀蜜似の妻も可愛いお子さんもいる。東洋大学員の職員という仕事は安定していた。その職を捨て去って、プロへチャレンジすることは無謀かもしれなかった。

村田から、電話がかかってくる度に、言うことが違っていた。

「決めました。アメリカかイギリスへ留学します!」

「留学は止めました。プロです! まずは年間6試合しますよ」

「もう人間不信です。誰の何を信じたらええのかわかりませんわ」

10秒に一度、笑いを取ることをまるで義務のように感じている、ノリのいい関西人だが、血液型はAB型。生真面目すぎるくらい生真面目な一面もある。

「金メダルを取った村田諒太に、何かを積み上げて、金メダルを過去のものにしなければならないと思っているんです。イチローさんがね。めちゃええこと言ってたんですわ」

感化されやすい人間の代表みたいな村田が、教えてくれたのは、こんなテレビのスポーツニュースの1シーンだった。2012年、ヤンキースが地区優勝を果たしシャンパンファイトの最中に、「今の瞬間の気持ちを教えて下さいで」とインタビューされたイチローが、「この瞬間は最高だけど、この瞬間は、今から過去になる」と答えていたという。

彼は、物事をポンと一人で勝手に決定するタイプではない。いろんな人に何かと相談する人間である。アマチュアボクシング界との関係もあって一人で決め切れない問題も山ほどあった。こうすれば、この人に迷惑がかかる。ああすれば、この人に迷惑がかかる。そんなことばかり考えていた。

大人の汚い思惑に振り回され、金メダリストのプライドを踏みにじられたこともある。

「金メダルを取らなければ、こんなことにならなかったのか」

そこまで思いつめたことまであった。

そんな村田が、大学を辞め、プロ転向を決断した理由は、ひとつではない。しかし、その背景にあるものは、「ボクシングがなければ生きていくことができない」ほど、ボクシングが大好きであった純粋なモチベーションと、思い悩んでいた村田を見た奥さんが、「それは諒太らしくない気がした」と、漏らした一言にあったような気がするのだが……あの未来日記ノートに書かれていた言葉こそが、心の深層に置いてままだった村田諒太のロマンであったことは間違いない。

ちなみに村田は奈良の伏見中学の卒業時の文集に「憧れのトリニダード」と書いていた。

あの使い古されたノートを思い浮かべていると、ふと、村田は、プロデビューを前に、どんな未来日記を書いているのだろうかと気になった。

連絡を取ってみた。

「体重がアンダーになったたので少しだけ飯が食えました」

計量の前日が、ボクサーにとって一番辛い日のはずだが、意外に彼はリラックスしていた。

――あなたのプロの決断の日々を考えていた時、あの未来日誌のことをふと思い出したんや。「プロになってラスベガスのリングに立つ」と書いていたことを。その1ページをまさに刻もうとしている今、デビュー戦について未来日記にどう書いているの?

「プロ転向してから日記は付けていますが、もう普通の練習日誌なんですよ。これまでは指導者がいなかったので、ああやって自分で考えてノートに書き、未来日記風に目標を設定していくしかなかったのですが、今は、サラストレーナーに本田会長と、教えてくれる人がいますから。それを日々、ノートにつけているだけで十分なんです。残念ながら、本郷さんのネタになるような未来への言葉は書いてないんです」

ああそうか……。

村田は、今、未来ではなく、夢見たプロという現実の世界に足を踏み入れているのだ。