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シンガポールの育成環境は、J台頭前の日本のようだ 井上卓也U-18シンガポール代表監督インタビュー

平野貴也スポーツライター
U-18シンガポール代表の監督を務める井上卓也氏【著者撮影】

 シンガポールの北部、観光名所の一つとなっているローワー・セレター・レザボア公園の近くにあるイシュンスタジアムで練習前から汗を流している選手の姿が見えた。シンガポールサッカー協会のU-18代表監督を務める井上卓也は「頑張ろうとする奴の姿が、モチベーションを上げてくれるんですよ。決して上手くはないですけど……」と冗談めかして笑った。

 直前まで携帯電話に送られて来るメッセージに顔をしかめていたが、少し気を取り直したようだった。練習には19人が参加するはずだが、学校の授業やテストがあるために参加できないというメールが後を絶たず、半数近い9人が来なかった。シンガポールは経済大国だが、サッカーに関しては意識も環境も発展途上だ。それでも外国人指導者は、結果を求められる。

 一般市民が陸上競技用のトラックをランニングする中、芝というよりは草といった方が正しいグラウンドで練習は始まった。シンガポールの選手育成はどのような環境にあるのか、U-18代表の指導現場に立つ井上監督に当地で話を聞いた(取材日:9月4日)

(※インタビューの内容は前編、後編に分けて掲載)

――ところで、日本のU-18代表は、クラブや高校でプレーしている選手が招集されて活動しますが、シンガポールでは世代別代表がチーム活動をしているのですね

シンガポールではサッカー協会がアカデミーを持ち、チームで選手強化を行っている【著者撮影】
シンガポールではサッカー協会がアカデミーを持ち、チームで選手強化を行っている【著者撮影】

井上  この国では、クラブに近い形で強化せざるを得ないのです。日本のように各クラブが育成組織を持っていて、強化された選手をセレクトして代表チームを作ることは、現状ではできません。各クラブに強化、育成の状況が整っていないからです。世代別代表の主力選手たちは、協会(FAS)主導のアカデミーチームとして、年間を通してクラブチームと同様に平日に練習をしています。ただ、このチームと代表チームは、完全にイコールではありません。大会毎に活動する代表には、FASのアカデミーの選手が8、9割程度入りますが、ほかのクラブで活動している選手を招集する場合もあります。

――シンガポールは経済的に発展しています。環境整備が整えば、大きく成長するポテンシャルがあるのでは?

井上  経済的発展と、教育の充実から、スポーツの環境も充実して当然とイメージされる方が多いようなのですが、正直に言うと、スポーツの分野はあまり発展していないように思います。特にサッカーに限らず(組織力が重要になる)団体競技では成績が出ていません。たとえばミャンマーではサッカー協会の会長が私財を投じて強化していますが、他国に比べるとお金のかけ方も強化に対する熱量も十分ではありません。私が見てきた選手でも、随分と上手になった選手もいますけれど、辞めてしまった選手もいます。

――シンガポールのサッカー少年は、どのような夢を描いているのでしょうか

井上  子どもたちに目標を聞いたら「A代表の選手になって、海外でプレーする」と言います。ただ、育成年代の代表に入って国際大会に出るとか、国内リーグで活躍するとか、過程が抜けています。基本的に、シンガポールにおけるサッカーは「習い事」の範囲を出ません。サッカー選手の社会的なステータスが高くないのが現実です。シンガポールは、国内でプロ選手になっても、それほど稼げません。ハッキリ言って、学校で勉強を頑張ってサラリーマンになった方がお金を稼げるでしょうし、親も勧めません。それなのに、学校を辞めてサッカーに専念した選手もいて、そのときは私が親に謝りたい気持ちになりましたけどね。

――そんな中、井上さんが指導している10代後半の代表選手は、どういう過程でセレクトされるのですか

井上  12、13歳を対象としたデベロップメントセンターという指導環境が4カ所ありますが、活動は週に1、2回程度です。14歳になると2カ所の指導環境に絞られます。15歳以上の年代別代表は、その下地から吸い上げた選手が基盤となっています。ただ、その時点で(スカウトの網目から)漏れている子もいますし、ずっと同じメンバーだけで活動していくのも良くないので、私は途中から選手を加えるようにしています。

――一般のジュニア(小学生)、ジュニアユース(中学生)世代は、どのような育成環境になっていますか

井上  シンガポールにおいて、子どもがスポーツをする環境は、大半が学校です。Jクラブの育成組織が出てくる前の日本に似ています。学校の対抗戦は、大人の試合より盛り上がります。小学生は10歳、12歳の2カテゴリーでチームがあり、その上のセカンダリースクールは、14歳、16歳。高校、専科学校でも、対抗戦があります。ただ、勝ったか負けたかというだけで、どんな選手を育成したかという話にはならないところが、育成、強化の面では問題です。学校の指導者に対して、プレー面の改善を重視した育成をしてほしいという話をすると、みんな「それが大事だ」と言ってくれるのですが、実際は、変わらないなという印象です(苦笑)。

――日本の部活動のような組織は、選手層を厚くするメリットもあるのでは?

井上  日本の高校選手権のようにテレビ中継があるわけではありませんし、そこまでの熱量は、ありません。学校は、試合が近付いたときだけ活動します。ただ、3月から学校のリーグ戦が始まって、6月頃になると、クラブのリーグ戦と学校の対抗戦が重なるという状況がありました。学校のリーグ戦を週に2試合も行うので、週末にクラブの試合があっても、もう3試合目で動けません。選手の負担を軽減するために大会の住み分けをして、昨年からクラブのリーグ戦をできるだけ対抗戦と被らないように調整しています。選手に負担がかかるのは、避けなければいけません。

――U-18代表の選手は、学校の対抗戦には参加しないのですか

井上  いいえ、むしろ必ず参加します。日本のスポーツ推薦のような形で、サッカーの成績を点数化して学校に入学している子たちは、基本的に参加しなければいけません。それに、学校の中でのサッカー活動も成績の採点に関わりますから、親も子どもも参加する方向で考えます。

――クラブチームも育成年代のリーグ戦がありますよね?

井上  昨年までは、シンガポールのトップリーグにチームを持つ(U-23のヤング・ライオンズ、外国籍チームのアルビレックス新潟シンガポール、招待チームのブルネイDPMMを除く)6クラブは、U-18とU-15のチームを持たなければならない規約になっていましたが、今年からU-19とU-16に変更されました。また、昨年まではその上に21歳以下の選手がプレーするプライムリーグが存在していて、シンガポールサッカー協会(FAS)はU-18とU-17のアカデミーチームを参加させていました。3回戦総当たりで21試合。Jリーグが昔やっていたサテライトリーグのような試合です。しかし、今年はプライムリーグが消滅しました。

――どういう背景があるのですか

井上  トップリーグの平均年齢が28~29歳と高かったこともあり、今年からトップリーグは、先発と控えにU-23の選手を各3人ずつ起用しなければならなくなりました。そのため、プライムリーグは選手が少なくなり、成立しなくなったのです。すると、U-18からU-23の間の強化の場がなくなるため、U-18をU-19リーグに変更することになりました。COE(センター・オブ・エクセレンス)というリーグ名になり、FASからもU-18とU-17の2チームが参加していますが、2回戦総当たりで年間14試合しかありません。ですから、今年は9月から学校のチームを2つ入れて、5チームずつのリーグ戦と上位2位同士のトーナメントを行うチャレンジカップという大会を設けました。それでも、20試合に届くかどうかです。試合を通して強化をしていくには、少なすぎます。毎年、トップリーグのレギュレーション次第で変わってしまうので、継続的な強化をできているとは言い難いです。

――育成の下地がない中での強化は、かなり難しいですよね。話を聞いていて、国やサッカー協会が本当の意味で「育成を重視」するのは、意外と難しいものなのだと感じます。その中で、現場は結果を出していくしかないですよね

通訳はいない。自ら英語でコミュニケーションを取り、ときには笑いも交えて指導を行っている【著者撮影】
通訳はいない。自ら英語でコミュニケーションを取り、ときには笑いも交えて指導を行っている【著者撮影】

井上  その通りです。どうにか現場で結果を出そうと思ってやっています。また、アプローチの方法にしても、シンガポールのほかの競技の指導者たちも似た課題を抱えていることが分かってきたので、もっと別の角度で解決に向かえないだろうかと考えています。たとえば、学校と切り離して強化や育成を行うのではなく、学校に協会の指導が寄っていく形の方が良いのかもしれません。学校の方が施設の確保が容易で、予算もあるのでメンテナンスが行き届いています。これまでの経験を踏まえて、常に新たな挑戦をしていきたいです。

(了)

■井上卓也(いのうえ たくや)

1967年生まれ。兵庫県出身。明石南高、大阪体育大でプレー。ケルン体育大学で指導を学び、日本で千葉、仙台、大宮などでトップチーム、育成年代で指導。2015年からシンガポールに渡り、現在はU-18代表監督を務めている。

スポーツライター

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。サッカーを中心にバドミントン、バスケットボールなどスポーツ全般を取材。育成年代やマイナー大会の取材も多い。

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