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インターネットからスプリンターネットへ

八田真行駿河台大学経済経営学部教授
(写真:アフロ)

www.yahoo.co.jp のようなアドレスを、我々は毎日目にしている。先頭のwwwが何を示しているのか、もはや気にもしないだろう。もちろんWWWというのは、World Wide Webの略である。

我々は最近まで、ウェブがワールド・ワイドであることを疑いもしなかった。日本にいようが、アメリカにいようが、ドイツにいようが、シンガポールにいようが、www.yahoo.co.jp とウェブブラウザに入力すれば、同じヤフーのウェブサイトを閲覧できると確信できたのである。

しかし、ここ数年で状況は大きく変化しつつある。有名な例として、中国でWikipediaを見ようとすると、政治絡みの一部のページにアクセスできないのはよく知られている。TwitterやFacebook、Googleも中国からは使えない。使えるのはWeiboでありBaiduであり、全くの別世界なのだ。私も先日香港にいたとき、何の気なしにスマホでNetflixを見ようとしたら、日本にいるときとはずいぶん違う番組ばかりが表示されて今更ながら驚いたことがある。トルコからは、そもそもWikipediaにアクセスできなかった。全言語版がブロックされているのだ。

ウェブやインターネットは単一で万国共通のもの、というのは、歴史を振り返ると多分に偶然の産物である。結局のところアメリカという一国が開発を主導したので、たまたまそうなったという面が強い。1990年代に入ってWWWが生まれ、インターネットが爆発的に普及すると、「サイバースペース」という単一の世界が存在し、それと物理的な世界が対立関係にある、という感覚が広く共有されるようになった。昨年亡くなったジョン・ペリー・バーロウが1996年に発表したサイバースペース独立宣言は、まさにそうした考え方から生まれたものと言えよう。

しかし、今や我々が使っているインターネットは、彼らが使っている「インターネット」(厳密にはイントラネットと呼ぶべきか)とは違うのである。我々が見られるページが、彼らには見られなかったり、彼らに見えるものとは全く別物だったりする。単一の「サイバースペース」はもはや存在しないのだ。これを、スプリンターネット(splinternet)と呼ぶ。splinterとは分裂のことだ。

分裂というと小さな一部分が分かれたような印象があるが、ネットのユーザ数で見れば、2017年の時点で中国は8億人に迫っている。アメリカは2億5千万人程度、日本は1億2千万人程度で、足しても中国にはとうてい及ばない。分裂というよりは、似て非なる全く別のものが現れたと考えたほうが実態に即している。そして、それは我々よりもはるかに巨大なのだ。

スプリンターネットをもたらしたのは既存の国家であり、その手段となるのがネット検閲やブロッキングだ。例えば中国は金盾、俗にグレートファイアウォールと呼ばれるシステムを構築し、中国国外との接続を厳しくコントロールしているが、これは政治的に情報の出入りを検閲し、国家の管理下に置きたいからだ。最近話題になったのはロシアで、国内のネットワークをインターネットから切り離す実験をすると発表した。ちなみにロシアにしてもネット人口は1億人程度と、日本に匹敵する多さである。ロシアの試みがうまく行けば、他の国も続くかもしれない。

ようするに、インターネットはアメリカネット、EUネット、中国ネット、ロシアネットといった具合に、国単位で分割されつつあるのである。スプリンターネット化によって、ようやく国家がネットをコントロールする可能性が見えてきたのだ。かつてネット検閲と言えば専制国家の専売特許だったが、スプリンターネットを前提にすれば、ネットを国内法や規制で飼い慣らすことが出来ることがだんだん分かってきて、日本を含む民主的な国家でも、知ってか知らずかスプリンターネットを志向するケースが増えているように思う。これは危険な兆候である。

そして、自国の「イントラネット」へのアクセスが、政治的、経済的な取引材料として使われるようになってきている。その際の武器になるのが、往々にしてプラットフォーム規制やプライバシー保護、サイバーセキュリティといった美辞麗句なのは皮肉なことと言えよう。EUと日本の個人データ移転を巡るGDPRの十分性認定にもそういう面があったし、そのうち中国も、金盾を入れていない国はサイバーセキュリティ対策に問題があるから、そうした国の企業の中国ネットへのアクセスを禁ずる、などと言い出す可能性もある。スプリンターネットはかつて「インターネットのバルカン化」と呼ばれることもあったが、むしろこちらのほうが適切な表現かもしれない。

スプリンターネット化の理由を、インターネット・ガバナンスの中心となる存在の不在に求める見解もある。先日パリで開催された国連のInternet Governance Forum 2018では、フランスのマクロン大統領が演説し、インターネットには正しい規制が必要だ、IGFこそが規制の主体になれ、なれないならもっと政府が乗り出すぞと発破をかけた。 彼の演説は賛否分かれたが、問題意識は分からなくもない。

インターネットのスプリンターネット化を我々はどう評価すべきだろうか。原則として、自分が見たいものが見られず、あるいは見ようとしたものと違うものを見せられる、というのは、知る権利の重大な侵害であり、よほどの理由が無い限り容認できないと私は考える。インターネットの強みだった相互接続性が損なわれるのも問題だ。

一方で私自身は、インターネットが一般大衆のものになった今、細かく管理され、人畜無害で漂白されたものになっていくのは残念だが仕方がないとも思っている。いずれにせよ今後インターネットは、可愛い猫の写真ばかりの安心・安全で無意味なものになっていくのだろう。だとすれば、我々は情報の自由を求めてまたフロンティアを開拓するしかない。私がこのところTorI2PNamecoinIPFSといった、テイクダウンやネット検閲に対抗できる(かもしれない)技術の開発に取り組んでいるのは、そういった問題意識による。

駿河台大学経済経営学部教授

1979年東京生まれ。東京大学経済学部卒、同大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学。一般財団法人知的財産研究所特別研究員を経て、現在駿河台大学経済経営学部教授。専攻は経営組織論、経営情報論。Debian公式開発者、GNUプロジェクトメンバ、一般社団法人インターネットユーザー協会(MIAU)理事。Open Knowledge Japan発起人。共著に『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、『ソフトウェアの匠』(日経BP社)、共訳書に『海賊のジレンマ』(フィルムアート社)がある。

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