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見えない巨象としての Sci-Hub

八田真行駿河台大学経済経営学部教授
(写真:ロイター/アフロ)

誰もが知っていて、誰の目にも明らかにもかかわらず、誰も言及したくない、そういう物議を醸すような物事を英語で「部屋の中の象」(the elephant in the room)と呼ぶが、学術界の見えざる巨象といえば、Sci-Hubであろう。

カザフスタンの研究者兼プログラマ、アレクサンドリア・エルバキアンが2011年に開設したSci-Hubは、学術論文の(違法)集積サイトである。大学や研究機関等で行われる学術研究は、同業の専門家による査読を経た学術論文という形で共有されるが、こうした学術論文を扱う出版社は世界的に寡占状態で、ScienceAlertの記事によれば、全世界の学術論文の50パーセント以上がElsevierやSpringerといったわずか5社によってコントロールされているという。

寡占が価格のつり上げにつながるのは言うまでもなく、学術論文はA4数ページのものでも、単品で買えて30ドル(約3000円)ほど、多くはそもそも単品では買えず、出版社が、論文が投稿・公表される学術雑誌へのアクセス権を多数まとめて提供するいわゆる「ビッグ・ディール」を結ばなければならない。ちなみに、査読自体はほぼ100%ボランティアで、こうした出版社が査読する研究者に金を払っているわけではない。また、それなら出版社の支配下にある学術雑誌に投稿しなければよいだろうと思う向きもあるだろうが、最近では「一流」とされる老舗の学術雑誌に何本論文を載せたかが研究者としての評価や処遇に直結するようになってしまったので、閉鎖的であってもそうした雑誌に投稿したり読んだりせざるを得ないというところがある。ついでにいえば、こうした雑誌は投稿料も100万円以上することがまれではない。

ビッグ・ディールは非常に高額で、個人が負担できるような金額ではなく、大学や研究機関が組織として結ぶことになる。学費を高くしても世界から学生が集まる先進国の有名大学ならばビッグ・ディールに要する費用を払うことも不可能では無いが、在野の研究者や途上国の組織等は到底負担できない。これは、結局のところ最新の知へのアクセスがごく一部に制限されてしまうことを意味する。以前も論じたが、そもそも学術研究には公費が投入されることが多いので、その意味でも高額の利用料を払わない限り納税者が成果物にアクセスが出来ないのは問題だ。そんなこともあってか、最近では、ハーバード大学カリフォルニア大学のように、アメリカの有名大学でもビッグ・ディールを打ち切ったり、改めようとするところが出てきた。

エルバキアンのSci-Hubは、簡単に言えば、こうしたビッグ・ディールを結んでいる大学のアカウントを無断で使い、論文をダウンロードして蓄積する仕組みである。なので、率直に言って法的には、おそらくどこの国でも言い訳の余地がない著作権侵害であり、ドロボーである。ゆえに訴訟も多く起こされていて、私が知る限り全てで負けている。Sci-HubのTwitterアカウントはたびたび凍結され、エルバキアンのAppleアカウントはFBIに盗聴されていたそうだ。

しかしひとくちに「侵害」といっても、研究者にとっては少し事情が異なる。学術論文は多くの研究者に読んでもらい、引用して論じてもらってナンボというところがあるからだ。出版社が価格をつり上げても別に自分たちに還元されるわけではなく、むしろ読む人が減ってしまう。多く引用される論文のほうが評価が高いということになるのだが、最近では、Sci-Hubで公開されたほうが(当然ながら)引用回数が増えるという研究もある。

ゆえに、Sci-Hubへの学術コミュニティからの支持は根強い。また、ありとあらゆる論文が蓄積されたSci-Hubは、それ自体として極めて検索性と閲覧性の高いウェブサイトである(今はたまたま検索できなくなっているが)。有料論文をタダで読みたいから、ではなく、単に便利だからSci-Hubを使う人も相当数いるようだ。

Sci-Hubに関して、反応は人それぞれだと思う。日本人は真面目でルールに従う人が多いので、違法というだけで眉をひそめる人も多いだろう。合法的にオープン・アクセスを推進する、というほうが正攻法かもしれない。しかし、これまた率直に言うと、少なくとも現時点で、Sci-Hubが学術研究の進歩に資さないと言い切る自信は、少なくとも私には無い。

情報技術と社会の関わりに関して興味がある人間として、Sci-Hubから得られる知見というか、Sci-Hubに絡めて強調したいことの一つは、「できることはできるし、できないことはできない」ということである。

何を当たり前のことを言っているんだと思われるかもしれないが、たまに法律の専門家等とお話させて頂くと、意外にこのあたりで感覚のずれがあるのを感じる。法律やルールさえあれば常に全員がそれに従うと、我々はいつの間にか思い込んでしまいがちだが、もちろんそんなことはない。法律で取り締まろうがなんだろうが、技術的に可能なことは可能なのである。Sci-Hubが違法なのは言うまでもないが、しかしSci-Hubを閉鎖に追い込むのは簡単ではない。個人的にその種の技術に興味があるからというのもあるが、Sci-Hubを追い詰めれば追い詰めるほど、Sci-Hubはむしろ技術的にはどんどん取り締まりにくいものになっていくだろう。実際、最近ではSci-Hubをより分散的でテイクダウンが難しい仕組みに移行させようとする動きもあるようだ。

逆に言えば、技術的に不可能なことはどうあがいても不可能で、泣き落としや恫喝は無意味だということでもある。例えば強力な暗号化が施されたデータは、どう頑張ってもパスワードが無い限り解読はできない。このことは、昨今の新型コロナ禍でも、ちょっと違った形で我々が日々痛感していることではないかと思う。ウイルスは舌先三寸にだまされてくれないし、忖度してくれないのである。

もう一つは、「需要があれば皆やるし、無ければ誰もやらない」ということだ。これも当たり前のように聞こえるが、違法なことが横行するのは、そもそも妥当な価格でサービスを提供する主体が存在しないからなのである。悪名を轟かせた違法動画共有支援サイトのThe Pirate Bayが、Netflix等の優れた「正規」動画配信サービスが普及したことであっという間に駆逐された(消滅したわけでもないが)のを思い出してほしい。一般的な研究者でも十分払える程度のサブスクリプション料で、全世界の論文が読み放題となるような、いわば論文のNetflix的なものが出来れば、たちまちSci-Hubは人気を失うだろう。裏を返せば、そうしない限り、巨象はいつまでも部屋に居続けると思うのである。

駿河台大学経済経営学部教授

1979年東京生まれ。東京大学経済学部卒、同大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学。一般財団法人知的財産研究所特別研究員を経て、現在駿河台大学経済経営学部教授。専攻は経営組織論、経営情報論。Debian公式開発者、GNUプロジェクトメンバ、一般社団法人インターネットユーザー協会(MIAU)理事。Open Knowledge Japan発起人。共著に『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、『ソフトウェアの匠』(日経BP社)、共訳書に『海賊のジレンマ』(フィルムアート社)がある。

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