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やましくなければプライバシーは要らない? nothing to hideを巡って

八田真行駿河台大学経済経営学部教授
(写真:ロイター/アフロ)

nothing to hideとは

このところ暗号規制のあり方について関心を持っているのだが、話のとっかかりとして、いわゆる「nothing to hide」論について少し書いてみたい。

うまい訳が思いつかないのでとりあえずこのままにしておくが、ようするに「隠すことがない」ということである。セキュリティやプライバシーの文脈では、「私には隠すことなどない、だから企業や政府に監視されても構わない」という主張になり、ひいては暗号規制のような政策の論拠となりうる。

nothing to hideの強み

この主張が厄介なのは、ある種素朴な倫理観に訴えてくるからである。すなわち、「隠したいことがある」イコール「何かやましいことがある」であり、やましいことがあるならそもそもそれが問題で、プライバシー云々以前に非難に値するのではないか、と考えがちなわけだ。更には、プライバシーだのなんだのうるさく言う人は、何かやましいことがあるから隠したいのだろう、という話にもなる。暗号だのなんだのはテロリストや犯罪者だけが使う特殊な道具で、自分たちのような善良な市民には関係ないと考えるわけだ。実はそんなことはないのだが。

セキュリティやプライバシーの専門家は、この種の主張に関して意外と無警戒というか、あまり重視していないような気がする。しかし私の印象では、世間の人の多くは多かれ少なかれnothing to hide的である。私自身、別にやましいことはないので、監視されても困らないとは言える。高名なセキュリティ専門家のブルース・シュナイアーは、nothing to hideは「プライバシーを擁護する人たちに対するもっともよくある反論」と述べているが、全くその通りだと思う。市井の人がnothing to hide的なことを言うたびにリツイートするTwitterアカウントまである。

もちろん、いくら隠しごとがないからといって、いつでも家宅捜索されて良いですか、とか、盗聴してもいいですか、と聞かれれば、それには反対する人が多いだろう。しかし、テロリストがスマホに暗号をかけていて解読できないんです、別に暗号を全て禁止するつもりはないんです、でも政府に解読できないくらい強力な暗号は法律で禁止しませんか、と政府に言われれば、賛成する人はいるかもしれない(というか結構いた)。安直な暗号規制の議論が、何度専門家によって論破されても亡霊のように蒸し返され続けるのは、nothing to hideと親和性が高い心情が多くの人に深く根ざしているせいだと考えるべきだろう。

では、どうすればnothing to hideを成仏させることができるのだろうか。次回はそこを考えてみたい。

駿河台大学経済経営学部教授

1979年東京生まれ。東京大学経済学部卒、同大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学。一般財団法人知的財産研究所特別研究員を経て、現在駿河台大学経済経営学部教授。専攻は経営組織論、経営情報論。Debian公式開発者、GNUプロジェクトメンバ、一般社団法人インターネットユーザー協会(MIAU)理事。Open Knowledge Japan発起人。共著に『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、『ソフトウェアの匠』(日経BP社)、共訳書に『海賊のジレンマ』(フィルムアート社)がある。

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