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近隣トラブル解決のため、まず弁護士会の提言を実現させよう!

橋本典久騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授
(写真:イメージマート)

 平成27年に、第二東京弁護士会が大変に重要な提言を行った。当時、政府の公害等調整委員会において「公害紛争処理制度に関する懇談会」が行われており、半年後にその報告書が取りまとめられる予定になっていた。これにより公害紛争処理制度の具体的な制度改革が始まることが期待されたため、人権擁護および環境保全の充実を図ることを目的に第二東京弁護士会が提言を行ったものである(「公害紛争処理制度の見直しについての提言」)。大変に重要で、かつ現代日本社会において不可欠な内容の提言であったが、残念ながら、懇談会の報告書には全く反映されることはなかった(一部議論がなされたとの記述のみ)。その後、令和2年には、日本弁護士連合会が第二東京弁護士会の提言を補強する同様の意見書「公害紛争処理制度の改革を求める意見書」を公表したが、やはり実現の動きは未だ見られない。このまま消滅してしまうことは大きな損失と考え、ここにその内容を紹介する。近隣トラブル解決センターの設立活動につながる動きの第一歩になればと期待している。

2つの提言内容

 第二東京弁護士会の提言は以下の2つの内容からなる。 

① 公害紛争処理法の対象範囲を広げ、従来の公害だけでなく環境上の被害またはそのおそれのあるものにまで拡張すること。

② 関連する法令や機関の名称を変更し、市民が自己の問題解決に利用できるとの認識を持ってもらえるようにすること。

 ①について、これまでの紛争処理制度は公害を対象としてきたが、その要件は、「相当の範囲にわたる」事象であること、対象は「典型7公害」であることの2つであり、相隣関係(近隣)の争いは対象に含まれなかった。しかし、事実上はマンション内の上下階の騒音や隣家のヒートポンプ給湯機の低周波音なども取り扱われており、柔軟に対応してきた事実がある。これらを勘案して、従来の形式上の対象範囲を拡げ、実質的に公害以外の環境問題まで含むことを明確化しようというものである。典型7公害以外の環境問題とは、日照や通風、電磁波、光害、廃棄物などが主対象となると考えがちであるが、実質的にはそうではない。既に典型7公害の一つである騒音に関して、従来は公害騒音問題を想定してきたものを、近隣騒音問題も対象として含めて扱うことになるのである。これは社会的に大変に影響の大きな変化であり、第二東京弁護士会の提言書の中でも、次のように書かれている(原文のママ)。 

 『かつてピアノ騒音殺人事件が世間を震撼させたが(1978年(昭和53年)[筆者注:1974年(昭和49年)の間違い]にピアノ騒音が理由で集合住宅内の母子3名が殺害された事件)、最近でも騒音を原因とする殺人事件が頻発するなど(例えば昨年9月1日から10日の間には、騒音を原因とする殺人ないし殺人未遂事件が3件も報道されている。)、紛争解決手段が利用されずに悲惨な結末に至る事例が未だに絶えない。もし当事者が、使いやすい環境紛争解決手段があることを知っていたら、この種の事件は防止できたかもしれず、認知度の低さは市民にとっての悲劇といえる。』

 ②については、対象範囲を公害紛争以外にも拡げることに応じて、関連する法令や機関の名前を、市民が自己の問題解決に利用できるものだということを認識しやすいように変更しようというものである。具体的には、

「公害紛争処理法」 → 「環境紛争解決法」

「公害等調整委員会設置法」 → 「環境紛争等調整委員会設置法」

「公害等調整委員会」 → 「環境紛争等調整委員会」

「都道府県公害審査会」 → 「都道府県環境紛争審査会」

であり、「公害」および「公害紛争」を「環境紛争」に、「処理」を「解決」に変更するというものである。この提言②の変更は、波及効果の大変に大きな内容であり、特に、「公害紛争処理法」が「環境紛争解決法」に代わることは、行政の問題取り組み姿勢が劇的に変化したことを一般社会に周知させ、制度利用を大きく促進させることに繋がるであろう。出来ればもっとドラスティックに、「紛争」を「トラブル」に変えて貰いたいとさえ思う。「環境トラブル解決法」となれば、誰もが自分が抱えている問題の解決に利用できる法律だと思うであろう。

トラブル解決の実効的な社会制度を!

 これらの提言内容と併せ、筆者からはもう一つの提案がある。以前は、公害紛争処理法により都道府県および政令指定都市には「公害苦情相談員」を置くことが義務付けられていた。しかし現在は、法律改正によりこれが任意となっている(公害苦情相談窓口は各市町村で開設)。以前は、日本全体で専任の公害苦情相談員が500名ほど、兼任が12000名ほどいたが、今はどれくらいの人数がいるのかは定かではない。この公害苦情相談員も名称変更して「環境苦情相談員」あるいは「環境トラブル相談員」して復活したなら、認知度の向上と合わせて実効的な解決制度になると考えられる。

 現在の都道府県公害審査会で令和3年度に新規に受付けた件数は全国で僅か32件であり、同年に係属した36件についての結果は、成立8件、打ち切り22件、取り下げ5件、その他1件である。なぜ、このような結果になっているのか。東京都のホームページの公害審査会の説明の項には、「区や市の公害苦情相談窓口へ苦情を申し立てたあと、相当の期間が経過して、なお解決の見通しがたたないか、第三者の仲介があれば話し合いが進展すると思われる場合に、(中略)公害審査会が紛争解決に努めます」と書かれている。相当な期間が経過すれば十分に拗れているだろうから、そうなったらいよいよ私が解決に乗り出しましょうということだが、これでは折角の公害紛争処理法の制度も十分には利用出来ないであろうし、拗れた後では紛争の解決もおぼつかない。

 公害等調整員会が新規に受け付けた件数も令和3年度で24件に過ぎない。例年、その7割程度が騒音問題である。これらの数値や自治体との関係を見るだけでも、現行の公害紛争処理制度が実効的であるとはとても言えないことが分かる。片や、公害苦情件数は、騒音だけに限っても年間約1万8千件、騒音に関する殺人事件は年間60~70件発生していると推定され、傷害事件も含めれば年間千数百件に上ると推定されている。これらの殺傷事件の何割かでも、弁護士会の提言の実行により防止できるとしたら、これは市民にとって極めて大きな福音と言えるであろう。

 公害紛争処理法は1970年(昭和45年)に制定され、もう50歳を過ぎている。その間、社会の在り様は大きく変化しており、そろそろ実態に合った姿に変えることが合理的と言える。是非、弁護士会の提言の実現に向けて議論をお願いしたい。

騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授

福井県生まれ。東京工業大学・建築学科を末席で卒業。東京大学より博士(工学)。建設会社技術研究所勤務の後、八戸工業大学大学院教授を経て、八戸工業大学名誉教授。現在は、騒音問題総合研究所代表。1級建築士、環境計量士の資格を有す。元民事調停委員。専門は音環境工学、特に騒音トラブル、建築音響、騒音振動、環境心理。著書に、「2階で子どもを走らせるな!」(光文社新書)、「苦情社会の騒音トラブル学」(新曜社)、「騒音トラブル防止のための近隣騒音訴訟および騒音事件の事例分析」(Amazon)他多数。日本建築学会・学会賞、著作賞、日本音響学会・技術開発賞、等受賞。近隣トラブル解決センターの設立を目指して活動中。

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