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家庭生活にかかわる低周波音問題、エネファームの測定結果から見えてきたもの

橋本典久騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授
(写真:アフロ)

 低周波音問題というのは、以前は製造工場やスーパーなどの事業場での話でした。しかし、最近では大きな変化が現れています。下図は、地方自治体に寄せられた低周波音に関する苦情件数の推移を示したものですが、平成10年頃から発生してきた家庭生活に関する低周波音苦情が増加の一途を辿り、現在では、工場や事業場への苦情件数を上回る年度もあります。

(地方自治体に寄せられた低周波音の苦情件数:環境省のデーターをもとに筆者作成)
(地方自治体に寄せられた低周波音の苦情件数:環境省のデーターをもとに筆者作成)

 家庭生活に関する低周波音苦情が増加してきたのには2つの理由があります。まず一つは、騒音苦情自体が、物理的な公害騒音から人間的な近隣騒音へシフトしてきていることです。家庭生活に関する低周波音苦情が増加してきたのは、騒音苦情自体が人間の関係するものに変化してきているためです。人間が関係する騒音とは、相手の作為や悪意を感じやすい騒音ということです。これは低周波音に限らず、騒音全体に関する時代的な変容です。

 もう一つの理由はエコキュートやエネファームという家庭用の給湯用機器の普及です。エコキュートやエネファームが隣の家に設置される状況が生まれてきたことが、個人間の低周波音問題の急激な増加を招いたのです。

エコキュート、エネファームの出現

 エコキュート(ヒートポンプ給湯器)とは、エアコンなどの空調機に用いられているヒートポンプ技術を利用したもので、電気を使って空気の熱を採取してお湯を沸かす電気式の給湯機です。ヒートポンプの冷媒として二酸化炭素を使用しているため環境負荷が小さく、料金の安い深夜電力を使って運転貯湯すれば経済的であるというのが謳い文句で、電力会社等が平成15年頃から普及に力を入れ、現在は700万台以上が使われていると言われています(2020年累積)。ヒートポンプは圧縮式冷凍機の一種であるためコンプレッサーを備えていますが、これがエアコンなどの場合より高圧力であるため低周波騒音を発生すると言われています。エコキュートの問題点は、主に深夜に稼働するということで、睡眠不足などが続き、めまいや吐き気などのいわゆる不定愁訴(消費者庁などは健康症状という言葉を使っています)に繋がると言われています。

 一方、エネファームとは、都市ガスやLPガスを使って水素を発生させ、それを空気中の酸素と反応させて発電する燃料電池を使った家庭用給湯設備であり、発電時に発生した熱を給湯などに利用するシステムです。いわば、燃料電池を使った家庭用のコージェネレーション・システムであり、コージェネレーションとは、電気と熱を同時に発生させるという意味があります。この場合にも、発電機から発生する低周波音が問題となっているのです。エネファームの設置台数はエコキュートほど多くはありませんが、それでも2021年時点までで約43万台ほどが販売されています。エコキュートは電力業界が、エネファームはガス業界がスマート・エネルギーの一環として普及に力を入れている分野ですが、両方ともが低周波音問題を抱えているのです。

エコキュート、エネファームの低周波音問題

 エコキュートやエネファームなどの家庭用給湯設備から発生する低周波音によって健康被害が発生しているという訴えが多くみられ、一部では裁判による係争も起きています。これらの問題に関しては、消費者庁の消費者安全調査委員会が調査を行い、エコキュートに関しては平成26年に、エネファームに関しては平成29年に調査報告書を発表しています。なお、同様の機器として、ガス燃料でエンジンを動かして発電するコージェネレーション・システムのエコウイルというものもありましたが、これは既に販売中止となっています。

 まず、エコキュートについては、消費者庁に申し出のあった19件の事案に関して消費者安全調査委員会が聞き取り調査や低周波音の実測調査を行っています。その結果、エコキュートの運転音に含まれる低周波音が申し出者の健康症状(不眠、頭痛、めまい、吐き気、耳鳴り等)に関与している可能性があると考えられると発表しました。エコキュートの運転音が健康症状に関係していると断言しているのですが、その運転音のなかの低周波音に限って言えば、「関与している可能性がある」と、断言までは避けています。何とも回りくどい言い方ですが、報告書を見れば、低周波音の問題であることは間違いありません。

 エコキュートに関しては、低周波音による健康被害が発生する可能性があることは既に定説となっているため、業界団体である日本冷凍空調工業会や経済産業省は、エコキュートの据え付けガイドブックを用いて、トラブル防止に努めるように周知徹底を図っています。すなわち、据え付け位置は隣家の寝室などから十分な距離をとること、窓や床下通気口などの近くは避ける事、壁や塀での反射音に注意することなどですが、これらはあくまで配慮を促すだけであり、設置場所の規制や基準があるわけではありません。そのため、低周波音を巡る訴訟や民事調停は各地で起きていますが、エコキュートに関しては機器の移設や電気温水器に変えるなどの和解が成立している場合が殆どです。(具体的な事例等は拙著「騒音トラブルの逆説的社会論」(Amazon刊)を参照のこと)

 しかし、エネファームについては少し様子が違ってきます。まず、消費者安全調査委員会の調査結果を紹介します。主な調査内容は、機器の運転と停止を体感的に感じ取れるかどうかの判定と、現地における低周波音の実測調査です。エネファームについて申し出のあった4件の調査を実施していますが、このうち体感調査で機器の運転を認識できていると認められたのは2件、運転と体感の対応が明確でなかったものが2件と、結果は分かれました。また、実測調査においても、2件については機器運転時に80ヘルツや100ヘルツの卓越周波数が発生し、それが自宅内でも確認されているため、低周波音が住宅内に到達していると考えられましたが、機器自体は隣家に設置されている物であり、自分でオン・オフできるわけではないので、それが作動していることによるものかどうかはあくまで推定ということになります。後の2件の測定調査では、機器の近傍で観測された卓越周波数が住宅内では確認できず、距離が比較的近い場合でも観測されないものもあり、確実に影響があると断定できない状態でした。

 したがって、調査報告書ではエネファーム運転音と不眠や頭痛などの健康症状の関係について「関連性は否定できない」という曖昧な結論となっています。また、住宅の同居者も含めて、健康症状を訴えている人と症状の表れていない人の数を比較すると前者24人に対し後者36人となり、症状の現れていない人の方が多いという結果もあり、誰もが影響を受ける音ではないことも問題を難しくしています。今後、低周波音の人体への影響について医学的メカニズムなどが明らかにならない限り、今のところ何とも言えないという状況となっています。このようにエコキュートとエネファームは名前は似ていても、その影響に関する社会的評価にはかなり大きな差があると言えるでしょう。

エネファームの低周波音測定結果

 筆者の住む街のある女性から、エネファームに関する相談が寄せられました。自宅を新築した女性が、エネファームを導入して以来、めまいや耳鳴りに悩まされるようになり、一事は、エネファームの発電ユニットを切ったことにより症状は改善したが、最近また、めまいなどを感じるようになったため、原因を知りたいということで相談が寄せられたものでした。近くでもあることから、今回の相談事例については低周波騒音の測定を実施することとしました。市民からの相談ということで、無料の騒音測定です。日時を決めて、業者の人の立会いの下で低周波騒音計を用いて測定を行いました。条件は、エネファームの完全停止時(暗騒音)、バックアップ熱源だけの運転時、およびエネファームの発電時の3ケースです。

 低周波騒音に関しては、環境省が「低周波音問題対応のための「評価指針」」というものを発表しています。その中で、感覚的な閾値として、G特性音圧レベル(感覚補正したもので、騒音レベルのA特性のようなもの)で92dBという値と、10Hzから80Hzの1/3オクターブバンドレベルを対象として、10Hzで92dB、20Hzで76dB、40Hz57dB、80Hzでは41dBという一連の値が示されており、一応、これ以下なら心身に対する影響はないと考えられるという参照値を示しています。ただし、これはあくまで苦情等の原因が低周波数かどうかを判断するための参照値であって、決して基準値ではないといのが環境省の立場です。一方で、このような値を被害の有無の判断基準にすべきではないという反論もありますが、現実的にはこれが一つの基準値となっていることは間違いありません。

 苦情宅の低周波騒音の測定結果は、G特性音圧レベルで、完全停止時(暗騒音)が65dB、バックアップ熱源のみ運転時は63dB、発電機稼働時は68dBでした。上記の環境省のG特性値92dBと比べれば、いずれも全く問題のない数値でした。バックアップ熱源運転時が、完全停止時より小さい値となっているのは測定時の暗騒音の影響であり、どちらにしても全く問題はありません。

 発電機稼働時の低周波騒音に関しては、暗騒音に較べ+3dBという有意なレベル差が認められましたが(2回測定したが同じ結果)、1/3オクターブバンドの10Hzから80Hzの範囲の音圧レベルでは、下図に示すように個々の周波数で若干の差が見られただけで、卓越周波数などは見られませんでした。しかも、環境省の参照値よりは大幅にレベルは小さく、この結果を見ればエネファームの低周波音が問題となることは殆ど考えられない結果でした。80Hz付近では参照値と同等以上のように見えますが、これは暗騒音の影響と考えられ、それを取り除けば参照値以下になり問題ありません。

エネファームの低周波音測定結果(1)(測定:騒音問題総合研究所)
エネファームの低周波音測定結果(1)(測定:騒音問題総合研究所)

 ところが、話はこれで終わりませんでした。10Hzより下の1Hzから8Hzまでの超低周波数領域のレベルを分析すると、発電機稼働時には、下図に示すように暗騒音に比べて20dBから30dBの大幅な増加が見られたのです。具体的に言えば、1Hzでは44dBが73dB(+29dB)に、5Hzでは45dBが64dB(+19dB)に、8Hzでは47dBが63dB(+16dB)に増加していたのです。これは明らかにエネファームの低周波音(超低周波音)が卓越した状態です。

エネファームの低周波音測定結果(2)(測定:騒音問題総合研究所)
エネファームの低周波音測定結果(2)(測定:騒音問題総合研究所)

 しかし、この超低周波音が身体的にどの程度の影響があるのかは現時点では何とも言えません。環境省の参照値も10Hz以上についてしか示されていませんから、参照値の対象周波数外である1ヘルツから8ヘルツの超低周波数音が人体に与える影響は明らかではありません。個人差や機種の違いの差なども考えれば、エネファームの低周波音に対する確定的な評価は困難としか言いようがありません。

 ただ、何の音の知識もない家庭の主婦が、めまいや耳鳴り、酷いときには吐き気も催したというのは厳然とした事実であり、それを考えると、エネファームによって1Hz~8Hzという超低周波数の騒音が発生し、それが人体に影響を与えていたのは否定できない事実のように思えます。参照値以下の場合でも低周波音の被害を訴える人がいることは事実で、これを今までは単なる個人差として済ませてきたのですが、この周波数域の超低周波音が関係していることも考えられます。今後、これらについての新たな調査や研究が必要ではないかと考えています。

 エコキュートやエネファームの低周波音問題の記事はよく目にしますが、音圧レベルやG特性値などの具体的なデーターが示された論文や報道が殆どないため、どのように判断したらよいか迷うことも多かったのですが、今回の測定を通して、改めて、これはやはり重要な騒音課題だと実感しました。

騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授

福井県生まれ。東京工業大学・建築学科を末席で卒業。東京大学より博士(工学)。建設会社技術研究所勤務の後、八戸工業大学大学院教授を経て、八戸工業大学名誉教授。現在は、騒音問題総合研究所代表。1級建築士、環境計量士の資格を有す。元民事調停委員。専門は音環境工学、特に騒音トラブル、建築音響、騒音振動、環境心理。著書に、「2階で子どもを走らせるな!」(光文社新書)、「苦情社会の騒音トラブル学」(新曜社)、「騒音トラブル防止のための近隣騒音訴訟および騒音事件の事例分析」(Amazon)他多数。日本建築学会・学会賞、著作賞、日本音響学会・技術開発賞、等受賞。近隣トラブル解決センターの設立を目指して活動中。

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