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騒音トラブルの原因は騒音だと思っていませんか? 改めて、騒音問題と煩音問題について

橋本典久騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授
(写真:アフロ)

『夏の初め、Aさんが自宅に向かって歩いていると隣の夫婦が店で買った風鈴を下げてこちらに歩いてくるところに遭遇しました。隣の夫婦とはあまり付き合いはありませんでしたが、一応、声を掛けておこうと思い、「風鈴を買われたんですね。いいですね」と話しかけました。丁度そこへ他の近所の人が通り掛かり、隣りの夫婦はその人に用事があったのか、そちらへ駆け寄って返事もなく立ち去ってしまいました。

 隣りの夫婦は何の悪意もなく、たまたま用事があった近所の人に出会ったためにそちらに気を取られてしまっただけでしたが、声を掛けたAさんは、自分が無視され馬鹿にされたように感じて、強い憤りを覚えました。それ以来、隣りの風鈴の音が聞こえるたびに無視された場面を思い出し、相手に対する苛立ちが膨らんでいきました。

 夏も終わり秋口となった頃、Aさんは遂に我慢が出来なくなり、隣の家に押しかけ、風鈴の音が煩いので早くしまってくれと血相を変えて怒鳴っていました。』

 騒音トラブルというのは、当事者の心理的な要素が原因である場合が多いのですが、片や、公害騒音に代表されるように、純粋に騒音の音量が問題となるものもあります。これまでは、これらを一括りの騒音問題として扱ってきましたが、それでは問題の焦点が不明確となり、対策を考える場合にも論点がずれてしまいます。したがって、これらを明確に分類する必要があります。そのために用いられている用語が「煩音(はんおん)」です。

騒音と煩音

 煩音とは筆者の造語ですが、今ではgoo国語辞典などにも載っており、朝日新聞「天声人語」のコラム記事として取り上げられたこともあるため、一定程度は認知されていると思いますが、改めて騒音との違いを説明します。

 騒音とは「音量が大きく、耳で聞いてうるさく感じる音」であり、

 煩音とは「音量がさほど大きくなくても、自分の心理状態や相手との人間関係によってうるさく感じてしまう音」のことです。

 言い方を変えれば、騒音とは聴覚的にうるさく感じる音、煩音とは心理的にうるさく感じる音ともいえます。更には、次のような表現も可能です。騒音とは感覚的にうるさく感じる音、煩音とは感情的にうるさく感じる音です。煩音の煩は、煩い(うるさい)や煩わしい(わずらわしい)、煩雑(はんざつ)など色々な読み方がありますが、その根本は仏教用語の煩悩(ぼんのう)であり、人の心を煩わし悩ます精神の働きのことですから、正に的確な単語であると考えています。

 現代の音の問題は、その多くが騒音問題というより煩音問題です。もちろん、騒音と煩音が明確に区別されない場合も多いのですが、より要素的に大きなものということで見極めればよいと思います。ごく大雑把な分類になりますが、航空機の音や道路の自動車音、あるいは工場や建設作業の音などは騒音ですが、隣近所から聞こえてくる生活音や、公園や学校などから聞こえる子どもの声などは煩音です。なぜなら、生活音や子どもの声は昔も今も同じ音量であり、昔はだれもうるさいとは言わなかったからです。音が変わったのではなく、それを聞く人間の側が変わったのです。したがって、従来の分類で言うと公害騒音はまさに騒音であり、近隣騒音は主に煩音であるといえます。

 騒音と煩音には大きな違いがあります。これまで多くの公害騒音問題がありましたが、これが拗れて殺人事件や傷害事件に発展したと言う事例を筆者は知りません。航空基地騒音や低周波数騒音などでは激しい闘争や訴訟が行われ、被害も深刻で甚大なものとなりますが、過去においてそれが事件に繋がった事例はないのです。ところが、煩音の代表格である近隣騒音では、些細な音で多くの殺傷事件が日常茶飯に起こっています。すなわち、騒音では事件は起きないが、煩音では事件が起きるのです。

 このように、騒音と煩音を区別すると、音の問題をより明確に捉えることができますが、理由はそれだけではありません。区別しなければならない最も大きな理由は、騒音問題と煩音問題では対策が異なるからです。騒音と煩音は質の異なるものですから、対処の方法も当然異なるのです。したがって、騒音トラブルへの対処を考える場合には、まず、その音が騒音か煩音かを見極めるところから始めなければなりません。

防音対策ではなく煩音対策を

 騒音と煩音を分けて考えなければならない理由は、それぞれの対策方法が異なるからです。まず、騒音の対策は言うまでもなく音量の低減、すなわち防音対策です。一方、煩音対策で必要なことは防音対策ではありません。煩音対策で重要なことは、相手に対する誠意ある対応であり、それを通じた関係の改善です。これを混同すると、トラブルの解決どころか、さらに状況を悪化させることにもなりかねません。

 防音対策をする場合でも、それは誠意ある対応により相手との関係改善を図るために行うべきです。苦情を言われてただ防音対策をすれば、言われた方には必ず被害者意識が生まれます。また、音を聞かされる側は元々被害者意識を持っています。騒音対策を行えば、当事者双方が被害者意識を持つという矛盾が生じ、その矛盾がトラブルをエスカレートさせてゆくのです。近隣騒音に関して必要なのは煩音対策であり、騒音対策ではありません。相手との関係が改善され、相互に信頼関係が構築できれば、今までうるさいと思っていた音もさほど気にならなくなることもあります。

 騒音トラブルの本質は煩音問題である場合が殆どです。例え騒音問題の形を取っていても、そこに至る過程で煩音問題が介在しているという場合もあります。なお、ここでは音の問題を対象として説明していますが、その他の近隣トラブルも本質的には同じ構図であるといえます。

ニーズを見極めることが煩音対策の第一歩

 紛争処理関連の用語としてニーズ(needs)という言葉があり、これは、イシュー(issue)、ポジション(position)という言葉との比較で用いられます。まず、イシューとは、紛争において 実際に争っている事柄や内容であり、トラブルの直接的原因といえるものです。次に、ポジションとは、イシューに対する当事者が考える解決策のことであり、これは主に相手に対する要求や主張などです。そしてニーズというのが、イシューの裏に隠された本当の理由または原因です。

 先の風鈴の騒音トラブルで説明します。このトラブルでのイシューは、文句を言われた通りに風鈴を撤去しないといけないかどうかです。ポジションに関しては、Aさんのポジションは、「秋になったのだからさっさと風鈴を片付けろ」であり、隣の夫婦のポジションは、「そんなに大きくない音にいちいち文句を言うな」です。

 しかし、イシューについてもポジションについても、これが問題の本質であるとは誰も思わないでしょう。このトラブルのニーズは、Aさんが隣の夫婦に無視され馬鹿にされたと思っていることですが、その事はAさんが口にしないために隣の夫婦には本当の理由は分かりません。そのため、隣の夫婦にとってはAさんが些細なことで因縁をつける異常な隣人としか写りません。そこで、自分たちはAさんの異常さによる被害者だと思うことになり、お互いが自分を被害者だと思う矛盾の中で、相手に対する非難の種を見つけあって近隣トラブルはエスカレートしてゆくのです。この些細な音が暴発的に悲惨な殺傷事件に繋がる場合さえあるのです。

 トラブル解決のためには、ニーズを当事者同士が認識して、その上で自ら解決しようという意識を持つことが不可欠です。そのためには当事者同士の話し合いが必須ですが、当事者だけの話し合いでは、お互いにポジションを要求するだけに終わる可能性が高く、トラブルは悪化しかねません。そのため、第三者が話し合いの中でこのニーズを明らかにしてゆく過程が必要になってくるのです。これは当事者双方が持っている被害者意識を取り除くことに他なりません。これは煩音問題の解決のための要点でもあります。これが出来ないと、例え一つの問題が何らかの決着をみても、必ずまた別のイシューが出てくることになります。

 無益な騒音トラブルを無くしてゆくためには、まず、煩音という言葉の意味が社会的に広く認知されることが必要です。騒音トラブルの原因は騒音であり、その対策は防音であると考えている限り、騒音トラブルが減ることは決してありません。

騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授

福井県生まれ。東京工業大学・建築学科を末席で卒業。東京大学より博士(工学)。建設会社技術研究所勤務の後、八戸工業大学大学院教授を経て、八戸工業大学名誉教授。現在は、騒音問題総合研究所代表。1級建築士、環境計量士の資格を有す。元民事調停委員。専門は音環境工学、特に騒音トラブル、建築音響、騒音振動、環境心理。著書に、「2階で子どもを走らせるな!」(光文社新書)、「苦情社会の騒音トラブル学」(新曜社)、「騒音トラブル防止のための近隣騒音訴訟および騒音事件の事例分析」(Amazon)他多数。日本建築学会・学会賞、著作賞、日本音響学会・技術開発賞、等受賞。近隣トラブル解決センターの設立を目指して活動中。

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