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救急車のサイレンに対する騒音苦情が増加中、その背景にあるものとは?

橋本典久騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授
(写真:アフロ)

 2月11日の朝日新聞デジタルは、救急車のサイレンに対する騒音苦情について取り上げています。筆者も記者から取材を受け、心理的な面からの分析や社会的影響についてコメントしましたが、この内容についてもう少し詳細に解説をしてみたいと思います。

苦情件数とその内容

 記事によれば、東京消防庁に寄せられた救急車のサイレンに対する苦情や要望は、2017~19年は100件近くでしたが、2020年は142件、2021年は402件(速報値)となりました。2021年の件数のうち約190件は同一人物からとのことですから、それを差し引いても約210件となり、確かに、年々増加傾向にある事が分かります。コロナの影響等で救急車の出動件数自体が増えていることも、苦情件数の増加に繋がっているのかもしれません。苦情の内容は、「深夜の住宅街ではサイレン音を消してほしい」、「サイレンやマイクのアナウンスがうるさい」などが多いということです。

 サイレンの音量は法令で決められており、「前方20メートルの位置において90デシベル以上120デシベル以下」となっていますが、実際は最大で100デシベル程度になるように設計されているということです。これは確かに大変に大きな音です。例えば、右翼などの街宣車を対象とした暴騒音規制条例での規制値は10m地点で85デシベルですから、これを20m地点に換算すると79デシベルとなり、この値と比較して21デシベルも大きな音ということになります。もちろん、大きくなければ緊急走行中の警告の意味がなくなってしまいますから、音量自体が問題ではありません。

 記事では、音量や法令、歴史的な変遷など様々な面から救急車のサイレン音について深掘りしていますが、筆者への取材内容は、救急車への騒音苦情が増えている社会的な背景をどう考えるかというものでした。30分程度いろいろ話しましたが、記事ではその内容が以下のようにまとめられていました。話を聞いていた記者の印象に残った部分だと思います。

 『騒音問題に詳しい橋本典久・八戸工業大名誉教授は、サイレンに対する苦情や要望が生じる理由の一つとして、「フラストレーションを感じやすい心理状態の人が増えているのでは」と話す。近年、学校や保育園から聞こえる子どもの声や、除夜の鐘などに対する苦情も増えている。その背景とも似ているという。単身世帯や非正規雇用が増え、近隣との交流機会が減って人々の孤立化が進んだ。不安感やストレスは昔よりも強まり、在宅勤務や外出しないことが増えるコロナ禍が追い打ちをかけているという。

 サイレンに対する苦情や要望に対し、業務に弊害が出ない範囲で対応するのは問題ないとしつつ、「本当に必要な音まで駆逐されてはいけない」と警告する。橋本さんによると、視覚障害者のために音が鳴る信号機が近隣住民の反対で設置できなかったり、「うるさい」と朝は音を消したりしたところ、視覚障害者が事故にあった事例があった。また、トラックが後退する際に流れる警報音を苦情を受けて消したら、事故が起きたこともあったという。

 単なる騒音問題と、心理状態や人間関係で「うるさい」と感じる「煩音」問題を区別する必要があるとして、「後者の場合、防音対策だけでなく、話し合うなどしてトラブルの本質を解決しなければならない」と話した。(朝日新聞デジタルより)』

 この内容について、少し追加解説をしたいと思います。

フラストレーションと騒音苦情

 まず、フラストレーションの話です。苦情も攻撃の1種ですが、これに関する心理学研究ではダラードのフラストレーション攻撃説などが有名です。それによれば、フラストレーションによる攻撃の場合の特徴は、「攻撃しても自分にマイナスにならない対象に向けて発散される」と言われています。除夜の鐘に対する騒音苦情などは正にこれに該当するものといえ、救急車のサイレンに対する騒音苦情も同様です。また、匿名での苦情が多いのもこの理由からと考えられます。 

 フラストレーションを感じやすくなるとなぜ騒音苦情が増えるのかですが、苦情には2つのパターンがあります。<通常の騒音苦情>と<フラストレーションによる騒音苦情>の2つですが、それらのどこが違うのかを図にしてみました。まず通常の騒音苦情の発生経緯は、騒音を発生させるという迷惑行為があり、受音者側がそれを迷惑と感じてフラストレーションが発生します。それが継続すると被害者意識が生まれ、音源者に苦情を言うという形です。

騒音苦情の2つのパターン(筆者作成)
騒音苦情の2つのパターン(筆者作成)

 一方、フラストレーションによる騒音苦情とは、最初に何らかの個人的な理由によりフラストレーションを抱えており、それが特定の音に向かうことにより迷惑感を持つのです。音は生活の中で最も意識されやすい存在です。その音を迷惑と感じる事で相手が迷惑行為を行っていると考え、被害者意識を膨らませて相手に苦情を言うという形になっています。被害者意識を持つことにより苦情を言う所は同じなのですが、それ以前の迷惑行為からフラストレーションに至る3つの経過が全く逆の順序になっているのです。

 簡単な例で説明しましょう。映画館の中で上映中に子どもが騒いでうるさい時、これは迷惑行為ですから苦情を言って注意するのは当然です。しかし、自分の座席の前の客が背が高くて映画の画面が見にくい時、フラストレーションは溜まりますが、これは決して迷惑行為ではありません。苦情を言う筋合いのものではないのですが、やはり被害者意識を感じてしまう、これがフラストレーションによる騒音苦情に相当する状況です。

 朝日新聞デジタルの記事にあるように、現代社会は人間関係の希薄化や孤立化がすすみ、漠然とした日々の不安を感じる人も増えています。フラストレーションを感じやすい心理状態が生れ、そのフラストレーションを自己コントロールできずにそのまま相手にぶつけてしまうという状況が増えているのです。その多くは当人の問題なのですが、それを迷惑問題と誤解してしまうのです。

 救急車のサイレンに対する騒音苦情についても、その性質がフラストレーションによる苦情であることを考えれば、苦情対応も、ある程度抑制的であるべきです。安易な苦情対応は、フラストレーションによる騒音苦情の発生を社会的に助長することにもなるからです。除夜の鐘への苦情が相次いだのも、その事例の一つだといえます。個々の防音対策よりも、地域社会のコミュニティ改善や孤独感や孤立感を感じさせない社会づくりなど、いわゆるソーシャル・キャピタルの充実に社会が目を向ける方が大事だと思います。騒音苦情の本質を見据える判断力が今は求められるのです。

騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授

福井県生まれ。東京工業大学・建築学科を末席で卒業。東京大学より博士(工学)。建設会社技術研究所勤務の後、八戸工業大学大学院教授を経て、八戸工業大学名誉教授。現在は、騒音問題総合研究所代表。1級建築士、環境計量士の資格を有す。元民事調停委員。専門は音環境工学、特に騒音トラブル、建築音響、騒音振動、環境心理。著書に、「2階で子どもを走らせるな!」(光文社新書)、「苦情社会の騒音トラブル学」(新曜社)、「騒音トラブル防止のための近隣騒音訴訟および騒音事件の事例分析」(Amazon)他多数。日本建築学会・学会賞、著作賞、日本音響学会・技術開発賞、等受賞。近隣トラブル解決センターの設立を目指して活動中。

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