渡辺謙がカンヌで語った8Kドラマ『浮世の画家』の世界展開

仏カンヌコンテンツ見本市MIPCOMに来場した渡辺謙

 日本のコンテンツの海外展開は今が攻め時。今年のカンヌコンテンツ見本市MIPCOMで8Kプレミア上映されたカズオ・イシグロ原作ドラマ『浮世の画家』(NHK)は目玉コンテンツのひとつだった。主演の渡辺謙も現地を訪れた。

日本を舞台にしたカズオ・イシグロの原作を映像化できるのは日本人だけ

 毎年10月にフランス・カンヌで開かれる、世界最大級のコンテンツ見本市MIPCOMで今年も新作コンテンツや業界トレンドが発表された。参加した日本の放送局や配信事業者もプロモーション活動を積極的に仕掛けるなか、MIPCOM開催初日の10月14日にNHKドラマ『浮世の画家』の大型8K上映会が開かれた。会場には主演を務めた渡辺謙の姿もあり、舞台挨拶やレッドカーペットに参加する場面も作られた。

2019年10月12日~17日の期間中、世界110か国・地域から1万3500人がMIPCOMに参加した。
2019年10月12日~17日の期間中、世界110か国・地域から1万3500人がMIPCOMに参加した。

 NHKが海外展開の目玉コンテンツとして用意した『浮世の画家』は、2017年度ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの出世作を映像化したもの。終戦後の日本を舞台に、渡辺謙演じる1人の老画家が過去の記憶と向き合う悲哀の姿を味わい深く描き、8K版も含めた約90分の単発ドラマに仕上げた。世界的に知名度の高い「カズオ・イシグロ」の原作、「ケン・ワタナベ」が主演するドラマとして海外への訴求力は申し分ないものだった。

 当日、上映会には多くのMIPCOM参加者が詰めかけ、会場は満席状態。舞台挨拶で渡辺謙は冒頭、作品の印象や役柄についてこのように語った。

「とんでもないオファーを受けてしまったと後悔してしまったほど。それは何故かと言うと、カズオ・イシグロさんの小説は非常に複雑で、何が真実で、何を述べたいのか後になってみないとわかりにくい。噛みしめないとわからないからです。ドラマ化にあたって、藤本有紀さんという素晴らしい脚本家が原作の崇高さを残しながら、リアリティのあるセリフやキャラクターに変換してくださった。主人公はアーティストということで、人からどう評価されて、社会に対して何を訴えかけることができるのかを考える、ある意味僕と同じエネルギーを持ったキャラクターでした。役の設定年齢も僕と同じぐらいだったのですが、10ほど上をイメージしながら人生が終盤にさしかかった男の心情を感じ取ろうと必死に考え、演じました」。

ドラマ『浮世の画家』8Kプレミアム上映会場
ドラマ『浮世の画家』8Kプレミアム上映会場

 また企画した渡辺一貴ディレクター(NHKエンタープライズ)は「同作はイギリス人として育ったカズオ・イシグロ氏がルーツである日本を舞台に書いた数少ない小説。そんな作品を映像化できるのは我々日本人しかいないはずという心意気で企画しました。主役においても渡辺謙さん以外は考えられなかった」と企画実現までの経緯を話した。

 日本では今年3月に8K(スーパーハイビジョン)特集ドラマとしてNHK・BS8KとNHK総合で初放送され、そして今回、世界に向けてはじめて披露する機会が作られたわけである。世界中の放送局や配信、配給、制作会社が一堂に会するBtoBイベントであるMIPCOMで同作の2K、4K、8K版の海外展開が本格的に開始された。

 上映後、「アーティスティックな作品になります。テレビドラマとして万人受けする作品ではないような気がしますが、演じるべき何かがあり、見て頂きたいものがある。グローバルにいろいろな方がご覧になる価値がある作品だと思っています」と語る渡辺謙。手ごたえある様子だった。

ノーメイク、付け髭NGの8K撮影現場

NHK・8Kシアターに集まったMIPCOM参加者
NHK・8Kシアターに集まったMIPCOM参加者

 これまでも最新技術を売りにしたNHKドラマが世界発信されてきたが、今回は技術開発から携わってきた8Kコンテンツとあって、かつてないほどの力の入れようだった。MIPCOM会場内に248インチの大型8Kスクリーンと22.2chサラウンド音響システムを備えた「NHK8Kシアター」を作り上げ、8Kコンテンツ全体の流通促進を目的としたセッションもさまざま用意したなかで、『浮世の画家』が紹介された。

 渡辺謙も8K作品としての『浮世の画家』を視聴したのは今回が初めてだったという。上映後、感想を求めると、「僕たち役者ができることは基本的に変わりませんが、今回、玉手箱のような発見もありました。単純にハイスペックな画像の綺麗さだけでなく、新しい感覚も覚えました。というのも、モノが焦げるシーンがこの作品にはたびたび登場するのですが、焦げる匂いによって、記憶が呼び覚まされていくという表現がより深められたように思えました。これこそハイスペックな技術力の賜物でしょう」と、8Kが持つ画力を力説した。

 撮影中にはこんなエピソードもあった。「橋の上で回想するシーンは印象に残りました。『ちょっと待って』とスタッフから声がかかり、被っていた帽子から偶然、僕の顔の前に蜘蛛の糸がかかってしまっていたのです。撮り直しすることにもなったのですが、実際に使われたのは蜘蛛の糸があるものでした」と話す渡辺謙。なぜ、蜘蛛の糸があるパターンが使われたのか。その理由については渡辺ディレクターから「脚本上にはなかったものでした。リテイクさせてもらいましたが、モニターで見ていた時から蜘蛛の糸があることで良いシーンになると直感的に思いました。混乱し、悩み始めた主人公が蜘蛛に絡めとられているようにも感じ取ることができるのではないかと思ったからです」と解説があった。8Kならではの効果的な表現方法になったようだ。

 高精細を売りにする一方で、見せたくないものも見えがち。「撮影時には気づかなかった車が実は映り込んでいたということもあり、編集室で後からびっくりすることがたくさんありました」と渡辺ディレクターが明かしてくれた。またこんな苦労もあったという。「謙さんの髭に苦労しました。事前テストで付け髭や天然ラテックスなどいろいろ試しましたが、どうしても“付けています”感が否めず、どれも馴染みませんでした。結局、髭を生やしてもらい、そこに少し足すかたちで落ち着きました。メイクも謙さんは行いませんでした。女優さんにとって悩ましいものだと思いますが、ナチュラルメイクで臨んでくれた広末(涼子)さんに至っては30代後半の女性の美しさを8K映像で余すことなく映し出すことができたと思っています」。

 作る方も観る方も初めての体験となった8Kドラマに対する期待値も気になるところ。上映後、欧米、アジアの関係者から話を聞くなかで、「思った以上に音と映像の迫力にインパクトがあった。流通に関しても楽観的にみています」という好意的なコメントも多かった。

「白黒つけないと観客は理解できない」と言われても僕は滲ませたい

 

 渡辺謙の来場によって『浮世の画家』の話題性が大きく増したことは間違いないだろう。一方で、世界中からヒットドラマが生まれ、ドラマ黄金時代と言われているなかで攻めるべき時に日本のドラマそのものはまだまだ世界の成功例に並ぶことは数少ない。グローバルな視点から日本のドラマの可能性を渡辺謙はどのようにみているのか。そんなことも直接尋ねた。

『浮世の画家』の上映会&舞台挨拶をはじめ、レッドカーペットにも参加した渡辺謙
『浮世の画家』の上映会&舞台挨拶をはじめ、レッドカーペットにも参加した渡辺謙

「日本のドラマは僕達が思っている以上に抽象的な表現が多いと思います。和歌が裏の言葉をものすごく匂わすように、それは日本人の特性であって、他のどの国にもない特性でもあります。インパクトとしてはそんなに強くないのかもしれませんが、水墨画のように滲んでいく力としては深いと僕は思っています。そんな特性を素知らぬ顔で押し出していけば、武器になるはず。

 中国やアメリカみたいに感情をストレートに出さないのも僕ら日本人らしいことのひとつです。扇情的な作品が受けやすいなかで、今回の『浮世の画家』は何も事件が起こらない作品。ただし、本質的なものを突き、気が付いたら、膝の上までつかっていたような怖さもあるし、人生の深さを持っている作品だと思っています。

 色の違いは、こうした世界中の作品が集まる場所でいろいろな色と比較しないとわかりにくいものです。何色かわかりにくいことが日本の特性でもあり、正直なところ、セールスはしにくいと思いますが、それは文化の持ち味なのだと思うべきかもしれません。

 世界に評価されている日本映画にも共通点があります。ただただ日常を描いていても気が付いたら、すごく深いところまで引っ張られていることがあります。カズオ・イシグロさんが影響を受けたとされる小津安二郎や成瀬巳喜男の作品はまさにそういう作品です。どこか自分のなかに眠っている日本人の特性がカズオ・イシグロさんの中で引き起こされ、書かれたものが『浮世の画家』であると思います。

 常々、僕なんかもアメリカの映画作品に出演していると、日本らしい表現にこだわりたくなる時があります。「白黒つけないと観客は理解できない」と言われることがあっても僕は滲ませたい。油絵じゃなくて、水墨画のような表現にしたいのです。

 具体的な例を言うと、『ラストサムライ』で僕が刀を天皇に返す、決裂のシーンの撮影時のことでした。監督から『天皇陛下(役)とアイコンタクトして欲しい』と指示があったのですが、僕は監督に『できません』と伝えました。監督としては、天皇陛下にアイコンタクトでわかりやすく示すことで『もうダメだ』という感情が伝わりやすくなると思われたのでしょうが、日本人だったら天皇陛下を直視することはできないのが普通でしょう。それを監督に説明したところ、監督からアイコンタクトを『する』『しない』の両パターンを求められました。でも結局、僕がやったのはアイコンタクトをしないパターンだけ。伝わらない場合は僕の技量が足りないだけの問題で、表現としては油絵じゃない、アイコンタクトをしない方が伝わると思ったからです。そのシーンはそのまま使われています」。

 つまり「市場のニーズ(トレンド)と日本のオリジナリティを滲ませていく」。このやり方が日本のコンテンツの海外展開の強みになるということだ。日本と、そして海外の舞台にも立ち続け、両方の視点でみると、そんな攻め方がみえてくるのだろう。

画像

photo copyright:360 MEDIAS

/S. CHAMPEAUX- Image & Co/MICHEL JOHNER 360 MEDIAS/S. CHAMPEAUX- Image & Co/筆者撮影

1975年生まれ。2003年から放送業界専門誌の放送ジャーナルでテレビ、ラジオ担当記者。国内外のドラマ、バラエティー、ドキュメンタリー番組制作事情をテーマに、テレビビジネスの仕組みについて独自の視点で解説した執筆記事多数。東洋経済オンライン、オリコン、マイナビ、日経クロストレンド、WIRED、講談社ミモレなど。得意分野は番組コンテンツの海外流通ビジネス。仏カンヌの番組見本市MIP取材を約10年続け、日本人ジャーナリストとしてはこの分野におけるオーソリティとして活動。業界で権威あるATP賞テレビグランプリの総務大臣賞審査員や、業界セミナー講師、行政支援プロジェクトのファシリテーターも務める。

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