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「報ステ」に復帰!夫・内村光良さんからの“言葉”は?

長谷川まさ子フリーアナウンサー/芸能リポーター
現場の魅力をイキイキと語る徳永有美さん

 10月から、13年ぶりにテレビ朝日系「報道ステーション」のキャスターに復帰することが決まった、フリーアナウンサーの徳永有美さん。専業主婦を経て、昨年1月に現場復帰を果たしました。なぜ復帰を決意したのか。そして、夫であるお笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」内村光良さんからは、どんな言葉を贈られていたのか、「報ステ」復帰発表の直前に、直撃しました!

――AbemaTV「けやきヒルズ」(担当は水・木・土曜、正午~後1時)のキャスターになって1年8ヵ月。ニュース番組への復帰に不安はありませんでしたか?

 ブランクが12年あり、「どうしましょう!」というところから始まりました。局アナ時代、情報番組やスポーツ番組は担当したのですが、ニュース番組のキャスターはなかったんです。いざ飛びこんでみると、スタッフは報道局の若い人たちですし、私がテレ朝でアナウンサーをしている頃を知らない人たちばかりだったので、年齢を考えたら“ちゃんとできる人”って思われているんだろうなぁ…と。もともと私は上手なアナウンサーのタイプではないので“大丈夫かな”って。

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 でも番組が始まると、発見があったり、スタッフの若い感性と情熱に触発され、しかもネットで見てくださる視聴者の方々の感度の高さにも触れ、気がつけば毎日が楽しくて。

 

 20代の時は、とにかく背伸びして一生懸命に情報を得て、私以外のMC陣である鳥越俊太郎さんや渡辺宜嗣アナウンサーに遅れないよう必死に食らいついて、自分の役割を全うすることに懸命でした。必死でやって、もちろん楽しいことも刺激的なこともあったし、充実もしていたんですが、今思えば目の前に大きな“得体の知れない壁”みたいなものがあって、その存在に常に苦しめられていた気がします。

 実は、年齢を重ねてこの世界に戻ってきて驚いたことがあって…。それは、ニュースとの向き合い方・人とのつながり方・接し方などに、昔とは違った見え方や風景を感じたこと。それがものすごく“おもしろい”なと。年を取るって、あながち悪いことではないんだなって思いました(笑)。

――違った見え方や風景を感じたのは、なぜだと?

 結婚して子供を産んでという環境の変化もありますし、年月が過ぎる中で見聞を広げたり、さまざまな人の感情に触れたり、いろんなことが積み重なって今があるという。専業主婦時代は「子供の世話をして、家事を済ませて、スーパーへ行って、友達とたまにランチをして、帰ってご飯の支度をして、晩酌をして、寝る」という感じで、そういうことが当たり前の生活をしていました。

 

 でも、アナウンサー生活に復帰してみると、仕事として物事をしっかりと見て心に残していかなくてはいけない。そして伝えていかなければいけない、ということを日々考えるようになりました。すると、昔と見える景色が違ったという。不思議でしたね。この年齢になって、いい意味で力が抜けたのかな。

 知識を蓄えて勉強を重ねている…とは胸を張って言い切れないんですけれども、もしかすると、主婦として母として生きているだけで得られるものがあって、そこに今助けられているのかなと。もちろん、その感触にあぐらをかくわけではなく、番組を見てくださる方の気持ちに思いを馳せながらやっていきたいと思います。

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――ニュース番組ならではの緊張感はありますか?

 速報や災害報道を含めて瞬発力は必要になってくるので、そこはまだまだ力不足な部分も痛感しています。私は98年に入社してからずっと“今を伝える”生放送が好きで「やじうまワイド」、「スーパーモーニング」、「報道ステーション」などを担当させていただきました。そして今は「けやきヒルズ」でニュースを伝えていけることを本当に幸せに思っています。

 主役はもちろんニュースですが、解説の方のお話や個性を、いい形で引き出すことも非常に大切だと思っています。きょうも、番組前に行う解説者やスタッフとの打合せ内容・議論・結論が自分の中に落とし込めず、不十分なモヤモヤとした本番になってしまいました。「解説の方の話をきちんと聞き出せたかどうか」という反省もあるのですが、自分たちの感じる肝を外していないかなど、試行錯誤を繰り返しながら、背伸びせず等身大でやっていければなと思っています。

 昔からそうなのですが、知ったかぶりをしない、疑問に感じたことは場の空気を読みつつぶつけてみる…ということを大切にしているつもりです。「自分は理解できないけど、視聴者の皆さんはどうなんだろう」「これはおもしろい!」とか「これはどうなんだ…」という肌感覚を大切にして、見ている方々の心や頭に、少しでも何か爪痕が残せることができれば本望だと思っています。

 家族のことだけに没頭できていた時代も幸せでしたが、家事も育児も毎日ヘトヘトになるので、ニュースを自分事としてなかなか捉えられないこともありました。だからこそ、立場が少し変化した今、受け手と送り手をもっとくっつけたいという気持ちが強くなっています。

 そうは言ってもなかなか簡単ではないのですが、Abema Newsチームって、躍動感もあるし自由度も高いし、思いが強ければ強いほど実現する可能性が非常に高いメディアだと思っているんです。私も、若いスタッフたちの気持ちや勢いに乗って、楽しませてもらっているという感じですね。取材も、自分から「空いてるよ」と声をかけて、行かせてもらったりしています。

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――街の声を聞く“街録”も、自ら「行きたい」と志願されたとか。

 新人の頃からスタジオでの仕事が主だったので、街で不特定多数の方にインタビューさせていただき、意見を直接うかがうという機会がなかったんです。

 でも最近は、皆さんがどう感じていらっしゃるのか“その声”を聞いてみたい気持ちが強くなってきて…。例えばですけど、「若者は森友加計問題をどう思っているんだろう」とか、当時、直に聞きたかったんです。感覚の微妙なズレとか合致とか、そのあたりをもっと突いていきたいというか、伝えていきたいというのがありました。一方、森友加計問題は放送で時間をかけすぎると、「まだそれやってるのか」みたいな意見も出てきたり。その狭間で、どこまで問題点を皆さんと共有できるかということを強く考えていた時期だったので、「街録、行きたいな」って言ったら、ちょっとビックリされて。とにかく実際に現場に行くのは大好きです。

――現場復帰の話が来た時には、どう思いましたか?

 もともとは、見事なくらい「復帰の“ふ”の字」もなかったんです。主人は「いつ復帰してもいいんだよ」と言ってくれていたんですが、私の方は「いやいや、何を言ってるの?」みたいな感じで。ところが「2020年東京オリンピック」が決まった瞬間の、あの熱狂に沸いた映像で、少しザワザワしてきまして。その後に、「2021年に世界水泳が20年ぶりに福岡に帰ってくる」という情報を聞いて、これが決定打でした。「見る側ではなく、伝えたい」って思いが湧き出てきたんです。

 私にとって01年の「世界水泳 福岡大会」は、テレビ朝日のアナウンサー時代を振り返って“最も”と言っていいくらい、楽しくて充実していた仕事でした。それはアナウンサーとしてよりも、スタッフのみんなと一緒に、世界水泳という初めての大きなプロジェクトを成功させる過程に参加させてもらったという意識があって、とにかくすごく楽しかったんです。

 なので、世界水泳が20年の時を経て福岡へ…と聞いた瞬間、気持ちが「グググ」と動きましたね。五輪や世界水泳に対する気持ちが、復帰への大きなきっかけです。そのおかげで、五輪や世界水泳に限らず、「私はやっぱり何かを伝えたいんだな」という、心の奥底にあった気持ちに再び出合えたのだと思っています。

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 その流れで動き始めた頃にいただいたお話が、AbemaTVの「けやきヒルズ」だったんです。12年ぶりのお仕事なうえ、これまで担当したことのない報道番組のキャスターでしたから「大丈夫でしょうか…」いう不安はありました。

 しかし、AbemaTV というネットメディアが、これからスタート&挑戦していくメディアであること。そのような環境の中で、「スタッフみんなで創世記を築き上げていこう」という推進力みたいなものに心を奪われました。自分も再びこの世界に身を投じる新たな挑戦なわけだし、スタッフ皆の挑戦と重ね合わせてもいいのかなという思いになりました。もちろん緊張も躊躇(ちゅうちょ)もしましたけど、みんなの勢いに自分も乗せてもらったという感じですね。

――復帰に関して、家族に相談を?

 はい、すぐに主人に話をしたら「顔に“やりたい”って書いてあるよ。いいんじゃない?」と言ってくれました。もともと主人は“徳ちゃん”という存在もすごく大事にしてくれていたので、「“徳ちゃん”が求められたってことだよ」と。この言葉はありがたかったですね。

 私の中でも、家族にすべてを捧げて生きてこさせてもらって、これからは何か次の挑戦をしてもいいのかなと。「やらせていただけるチャンスがあるのならやりたい」という思いに至ったんじゃないかと思います。

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 子供は、小学3年生と幼稚園生がいるんですが、私は怖いお母さんです。怒ります。上は女の子で同性なので厳しく、下の男の子にはめちゃくちゃ甘いです。逆に主人は長女にはすこぶる甘くて、長男には厳しいですね。役割分担はしています。子供の逃げ場は常に作っておくように、という感じです。内村さんは、かなり子育てしてくれている方だと思いますよ。家では積極的に遊んでくれますね。助かっています。

 子育てはやはり大変です。1人の人間を育てていくのは生半可じゃできないですし、気を抜いたり雑にしちゃうとそのツケは確実に返ってくるので、誠実に気持ちを注いでいかなくてはいけない。そこは絶対大事にしたい部分ではあります。

――それにしても、内村さんが司会も務めた昨年のNHK「紅白歌合戦」で披露した“キレッキレ”ダンスはすごかったです。ご家族でご覧になったんですか?

 熊本から主人の両親が上京していて、みんなで東京の家で見ていました。主人は緊張の極みだろうなぁと思っていたので、私はとにかく冷静に…という感じでしたね。

 ダンスは…家で練習していました(笑)。大好きなんですね、挑戦することが。少しでも時間ができると、「舞台の本を書いてみる」とか「小説を書く」とか、常に何か書きものをしたり稽古をしていますね。 “自分自身に課す”みたいなことがとても好きな人で。間近で主人のそういう姿を見てきたので、自分もまだまだもっと頑張らなきゃいけないし努力しなければと、すごく刺激になっているところはありますね。

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――東京オリンピックと世界水泳は、ご自分で伝えたいですよね?

 自分がどのように関わっていけるかは分かりませんが、その“空気”は吸えたらいいなとは思います(笑)。縁とか巡り合わせもありますし、そこはある意味、復帰のきっかけにすぎなくて。でも、そういう思いが芽生えたからこそ、「けやきヒルズ」というめちゃくちゃ楽しい番組に出合えて、みんなと喧々諤々(けんけんがくがく)やれているわけですから。それらがきっかけで自分の思いが立ち上がり、今は目の前のことに全力を尽くしているし、全力で向き合っていれば、またさらに広がっていくことがあると信じています。

 今はアナウンス技術を高めることももちろんですが、お伝えする自分の土台みたいなものを頑丈にしていきたいと思っています。だから今は“自分自身の精進”というのがやっぱり一番ですね。

――久しぶりにお会いして思ったのは、“幸せが顔に出ている”なと(笑)。

 いやいやいや、そんな普通です。ただ、やはり感謝の気持ちは絶対忘れたくないと思っています。

(撮影:長谷川まさ子)

【インタビュー後記】

 徳永さんに会うのは15年ぶりでしたが、私が彼女に持っていた印象の“まっすぐさ”は、まったく変わっていませんでした。そして、本当にその内から出ているであろう“艶やかなオーラ”と表情を見て、思わず口に出してしまった言葉が「幸せが顔に出てるね」でした(笑)。「報ステ」復帰にはご家族の協力が必須ですが、“徳ちゃん”が求められたのだから、無問題なんですよね?内村さん。

■徳永有美(とくなが・ゆみ)

 98年にテレビ朝日入社。「やじうまワイド」、「スーパーモーニング」などのMCを務め、04年4月から「報道ステーション」のスポーツコーナーを担当。05年4月にテレビ朝日を退職し、2017年に12年ぶりにAbemaTV「けやきヒルズ」で現場復帰。BS朝日「スポーツクロス」MCやラジオパーソナリティーなど、さまざまなメディアで活躍している。

フリーアナウンサー/芸能リポーター

群馬県生まれ。大学在学中にTBS緑山塾で学び、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」で7年間アシスタントを務める。ワイドショーリポーター歴はTBS「3時にあいましょう」から30年以上、皇室から事件、芸能まで全てのジャンルをリポートしてきた。現在は芸能を専門とし、フジテレビ「ワイドナショー」、日本テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」ほか、静岡・名古屋・大阪・福岡の番組で芸能情報を伝える。趣味は舞台鑑賞。

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