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海蔵亮太、法学部卒で「レコ大」新人賞!“サイコパス”でバズり…目指すは「美白の羅針盤」

長谷川まさ子フリーアナウンサー/芸能リポーター
新曲も、美白も、とにかく一生懸命な海蔵亮太さん(撮影:すべて長谷川まさ子)

 日本人の大好きなカラオケ。その世界大会があるのをご存知ですか?そこで2度も優勝した海蔵(かいぞう)亮太さんは、2018年『愛のカタチ』でデビューし、2019年には「第61回輝く!日本レコード大賞」新人賞を受賞。好発進をしたはずが、待っていたのはコロナ禍で、ファンと会えない日々でした…。

ーデビューのきっかけは、カラオケの世界大会で2年連続(2016、2017年)優勝したことですよね

 社会人として普通の生活を送っていたのですが、友人と休みの日にカラオケボックスに行った時、モニターに“カラオケの世界大会があります”っていう告知が出ていて。しかも、日本代表を決める予選の音源審査は、今使っているカラオケボックスで歌ったものを提出することもできます…って書かれていたので、友達と2人でもうホントにノリで「受けてみようぜ」って応募したんです。

 音源を送ったら受かって。予選も、自分はジーパン&Tシャツ姿で遊び半分の感覚だったんですけど、他の通過者たちはビシッとスーツとかドレスとか、既にパフォーマーみたいな方ばかりで、これはとんでもないものに応募しちゃったな…って。

 そんな感じだったから、二次審査も合格して、日本大会で優勝してしまった時は、ちょっとビックリしました。「楽しければいいかな」みたいな感覚で歌ってたので、全然緊張とかもしなかったのが結果よかったのかなっていうのはありましたね。

ー2016年の世界大会、雰囲気はどうでしたか

 旅費などは、スポンサーさんが払ってくれるということだったので、会社に有給を申請して「海外楽しんでくるぞー」みたいな感じでした。

 日本大会の時より出場者同士がバチバチしてなくて、ちょっとお祭りみたいな感じで楽しかったですね。皆、自分の国の音楽に誇りを持っていて、パフォーマンスに対しても絶対にネガティブな発言はせずリスペクトし合っていたのが、素晴らしいって思いました。

 決勝までの4曲は、日本語の美しさを伝えたくてすべて日本語の歌で通しました。決勝では、その当時日本で一番カラオケで歌われていた、桐谷健太さんの『海の声』を、もう優勝とかではなく“言葉が分からなくても音楽で一つになりたい”という思いを込めて歌いましたね。

 結果発表の時は、読みあげられた「RYOUTA KAIZOU」のイントネーションを理解するのに時差が生まれて、誰だろうなって思ってから「あっボクだ!」って気付いたのを覚えています。

 自分がその世界大会の規模感を全く分かっていなくて、優勝した後に、実は日本大会だけで5000人ぐらい応募があって、他の国でも似たような感じだから、何万人の中での優勝だったんだよって話を聞いたときに、初めてヤバって思いました。

ー歌唱力はどこで身につけたんですか

 親も兄妹も歌がすごく好きで、小さい頃から毎週、実家のお肉屋さんが休みになる前夜は、みんなでカラオケに行っていましたね。

 まだ首が据わる前から、カラオケボックスのソファーに寝かせられていた…みたいなファミリーで、自分も2歳くらいからもうマイク持って歌っていた記憶あります。父が歌っていた吉幾三さんとか、母が歌っていた小林明子さんの『恋におちて -Fall in love-』とか。でも、『恋に…』は2番の歌詞が英語で歌えないから、選手交代みたいな(笑)。

 幼稚園の頃にはスナックにも行ったりしていて、その時流行っていた曲とか歌うと、お店の人が「うまいねー。かわいい」とか言って、ボクにだけタダでジュースをくれていたかな。

―自分の歌の才能に気がついたのはいつ?

 小学校の音楽の授業で校歌を歌いましょうとなった時に、僕はオリジナルどおりに歌うのがすごく苦手で、「ここはフェイクを入れたい」みたいな感じで歌っていたら、先生に「亮太くん、これは合唱なので、みんなと一緒に合わせて歌いましょうね。ここはビブラートかけませんよ。アレンジ効かせませんよ」みたいな感じで言われた時に、なんかちょっと人と違うのかなみたいなのは感じた記憶がありますね。

 ただ、歌手になりたいとは思っておらず、将来の夢は裁判所の事務次官だったので、大学は地元の中京大学法学部に進みました。日本の歴史とかって、誰かが書き留めて記録してきたものが今の日本を作っているみたいなところがあるじゃないですか。だから日本の法律の中に、自分が何か書き留める力の一つになりたいなという思いがあって、それで目指したっていうのはありました。

 結果的には、公務員試験を目指しながらも、一般企業のセミナーで出会った社長さんに心酔してしまって。この人の下で働いた自分がどうなっていくのか見てみたくなり、そこに就職しました。

―歌手デビューまでの道のりは

 優勝してからも、社会人としての日常を送っていたんですけど、翌年に「デュエット部門に挑戦してみませんか」っていう話があって、そこで優勝したのが大きかったですね。言葉の壁を越えて伝わるのが音楽の素晴らしいところだなっていうのを、本当に肌で感じた。

 そして日本の言語の素晴らしさを伝えていく一端になりたいという思いが更に増して、そこから歌い手になる道を模索する中で、今の事務所の人たちと出会いました。

 デビューは26歳。遅いといえば遅いのかな。日本では年齢のことを聞かれることが多いですが、世界大会に行った時に、40代50代の代表の人もたくさんいて、皆さん年齢に関して1ミリもコンプレックスを持っていないかっこよさがあった。ボクも、音程が安定して自分の歌声が好きだなって思うようになったのが25歳くらいだったので、いいタイミングだったんだなと思いますね。

 2018年『愛ノカタチ』でデビューして、発売記念イベントを池袋サンシャイン噴水広場のステージでやらせていただいたんです。それまでは普通のサラリーマンで、お客さんの前で歌うのが初めてだったので不安だったんですけど、1階から3階までビッシリお客さんがいて。なんかその景色が世界大会の決勝で歌った時とすごく似ていて感激して、プロになってよかったなって思いました。

―そして、デビュー曲で「レコード大賞」新人賞を受賞

 「これから皆さんにたくさん会える!」って思った矢先にコロナ禍で…。全く人と会えない期間があったりして、“自分って何なんだろう”みたいな孤独を強く感じたりしたことを込めた曲も、今年2月23日にリリースしたアルバム『コトダマ』に収録しました。自分の気持ちだったり、自分の過去の経験とかを形にして、誰かに共感してほしかったっていうのはすごくあったと思います。

 コロナ禍で、自分の思うように音楽活動ができていない中でも、ファンの方に喜んでもらえるよう、いろんな試みをしてきました。

 2020年には、大竹しのぶさんとデュエットをリリースしました。あるパーティーのステージで大竹さんが歌っている姿を拝見した時に、「一緒に歌いたい」という思いが芽生えて、ダメもとで聞いてみたらOKが出て、言ってみるもんだなと思いました(笑)。

 デュエットとは言っても“レコーディングは別々”というのが普通なんですが、大竹さんが「一緒に歌いたい」と言ってくださって、同じブースで歌わせていただきました。大竹さんが「あなたなんでそんなに歌うまいの」って言ってくださり、とってもうれしかったです。

ー2021年の配信曲『サイコパスのうた』がSNSでバズりましたね

 あるカラオケ番組に出演した時に、あいみょんさんの『マリーゴールド』が流行っていたので、これを歌って点数を出せたらおもしろいんじゃないかなと思って一生懸命練習していた映像が、「この人ちょっとサイコパスなんじゃないか」と勝手にYouTubeにアップされて。

 今思うと、確実に点を取りに行くような歌い方をしたので、“AIロボットみたいでサイコパス”という褒め言葉的に使ってくれていたんじゃないかと思うのですが、それが非人間ぽさ=サイコパスに変わっていって、「もしこの人がサイコパスだったらこんなことをしてるんじゃないかな」の大喜利状態になって、素材として使われたのが始まりですね。

 暴力的で傷ついた内容もありましたが、思わず「IPPON!」って思ってしまったのもあって。「『たべっ子どうぶつ』を首折ってから食べてそう」の投稿には、絶対やらないですけど、やってたらおもろいなっていうので、クスッとなりました。

 『サイコパスのうた』という楽曲が出来上がったのは、その大喜利状態がYouTubeだけではなく、TikTokでも広がっていって、自分から何か発信したほうがいいのかなと思ったのがきっかけです。

 コメントで「やめてください」と言うよりも、せっかく歌を歌っているんだからと、ギター1本で歌ってTikTokでメッセージを流して、それでおしまいという感じだったんです。

 でも、「本人がとうとう認めたぞ」みたいな流れになり。ボクはサイコパスを認めたわけではなく、「気にしてないですよ、勝手にしてくださいよ」って言う意味合いを込めて歌ったんですけど、気が付いたらレコード会社も「おもしろいじゃん。音源化しようぜ」となり。一番恐ろしかったのは身近にいた大人たちで、ビックリしました。

 ただ、いい経験にはなったし、それきっかけでボクを知ってくださった方もたくさんいるので、そういう意味では自分にとってネガティブなことでも、考え方次第・やり方次第で周りを変えていける力にもなるんだなっていうのは、実際に感じたことではありますね。

ーこれからの海蔵亮太は、何を目指すの

 今までは、毎週のようにイベントをやって、ファン1人1人といっぱいお話しして、写真を撮ったりするのがすごく楽しくて、1時間以上押しちゃうイベンター泣かせの人だったんです。それが(コロナ禍で)皆さんと直接お会いすることが出来なくなってしまったので、今はインターネットサイン会や配信ライブでファンの方と繋がっています。

 配信ライブは、カラオケ喫茶「蔵」に見立ててやっているんですけど、歌だけじゃなくて、トークもたっぷり。次回は5月30日の予定です。

 そういえば最近、美容に興味を持ってしまったんです。マスク生活が続いて肌が荒れてしまうことがあって、美容に関して調べていたら、知らなかった世界が広がり、どんどんいろんな情報が入ってきて、それが今はとにかく楽しいんです。ファンの方とも「まつパ(まつげパーマ)行ったの?」とか「そのアイラインは昭和」とか話題にしています。

 勉強して思ったのが、女性って常に“美白への旅”をしているんですよね。本当は4月4日に『羅針盤』もリリースしたし、そっちを頑張らなくちゃいけないのに、「美白の羅針盤」になりたくなっちゃったんです(笑)。ハマってしまうとのめり込んじゃう癖があるので、今はとにかく皆さんのマスクの下の肌環境が気になっています。

■インタビュー後記

今回のインタビューは、海蔵さんのマネジャーさんとTwitterで繋がったことから始まりました。とても熱心なマネジャーさんで、海蔵さんの音源を送ってくれて。聴かせていただくと、いつまでも聞いていたくなる透き通った歌声に癒やされました。レコード大賞新人賞を取っているのに、存在を存じ上げなかった自分を反省し、皆さんにも知ってもらいたいと思い、インタビューさせていただきました。実際にお会いした海蔵さんは、とってもフレンドリーで、自然体な方。もちろん歌でブレイクしてもらいたいけど、「美白の羅針盤」海蔵亮太にも興味津々な私でした。

■海蔵亮太(かいぞう・りょうた)

1990年8月8日、愛知県生まれ。好きなアーティストは槇原敬之。 2016年に、約5000人が参加するKWC(Karaoke World Championships)日本大会にて優勝。カナダ・バンクーバーで行われた世界大会決勝に出場し、各国の強豪シンガーの中で、J-POP を歌唱。並外れた歌唱力と表現力で、男性部門で優勝という快挙を成し遂げた。2017年にKWCデュエット部門に出場、2度目の世界チャンピオンとなる。2018年6月『愛のカタチ』でメジャーデビュー。2019年4月『愛の…』が有線J-POP問い合わせランキングで10ヵ月ぶりの1位を獲得。『愛の…』で「第61回輝く!日本レコード大賞」にて新人賞を受賞。毎週水曜日20時からYouTube「海蔵亮太のニューラジオ」を生配信。5/18には生配信ライブ「海蔵歌うヒットスタジオ」(ファンが選ぶベストテン)、5/30には生配信ライブ「カラオケ喫茶〔蔵〕へようこそ〜本日のお客様 朝倉さや樣〜」を行う。

フリーアナウンサー/芸能リポーター

群馬県生まれ。大学在学中にTBS緑山塾で学び、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」で7年間アシスタントを務める。ワイドショーリポーター歴はTBS「3時にあいましょう」から30年以上、皇室から事件、芸能まで全てのジャンルをリポートしてきた。現在は芸能を専門とし、フジテレビ「ワイドナショー」、日本テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」ほか、静岡・名古屋・大阪・福岡の番組で芸能情報を伝える。趣味は舞台鑑賞。

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