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田中聖さんの再逮捕を受けて:あらためて薬物依存症の治療と人権について考える

原田隆之筑波大学教授
(写真:アフロ)

執行猶予中の再逮捕

 元アイドルグループのメンバー、田中聖さんが覚醒剤所持容疑で逮捕された。前回の逮捕の後、名古屋地裁で懲役1年8か月、執行猶予3年の判決を受けてからわずか9日後の逮捕だった。執行猶予中の再逮捕ということになれば、おそらくは実刑を免れることは難しいだろう。

 このニュースを受けて、ワイドショーばかりかNHKのニュースまでもが、田中さん再逮捕を報じていた。ヤフーニュースでもさまざまなコメントが寄せられていたが、意外なことに薬物の依存性の恐ろしさ、更生や治療を願うような声が大きいように見受けられた。

 その一方で、ある週刊誌のオンライン版では、本人が舌を出した露悪的な写真や、ハローウィーンの仮装をしたおどろおどろしい写真を載せて、ことさらに「悪人」を印象付けたいのかと思いたくなる報道もあった。どうしてわざわざこのような写真をチョイスしたのか、編集部かライターに直接聞いてみたいくらいだ。

 そもそも薬物問題の記事は、暗い画像や注射器と白い粉などが使われることも多いが、それからして既に偏見である(したがって、この記事はやたらと明るい画像を探して使ってみた)。

薬物依存症の治療

 有名人の度重なる薬物での逮捕に対して、少し前は激しいバッシングが寄せられたり、家族までもが報道陣に追い回されたりすることがめずらしくなかった。今回の件でも、上で述べたような報道の問題点はいくつかあったが、そうは言っても、世間の人々の反応が少し変わってきたように見えたのは安堵させられる点であった。

 これは、厚生労働省や専門家などが、繰り返し薬物問題の啓発活動を行い、薬物依存症は病気であること、治療が必要であることなどを広く世の中に訴えた成果の一端であると思う。

 これはこれでよい変化だと思うが、ことはそう簡単ではない。田中さんに治療が必要なことはたしかである。しかし、彼は一体どこで治療を受ければいいのだろうか?

 「治療すべき」というのは簡単だが、実はこの国には、薬物依存症の治療を実施できる医療機関や専門家が非常に少ないという問題、つまり依存症の医療インフラが整っていないという大きな問題が立ちはだかっている。

 ヤフーコメントには、「刑務所でしっかり治療してください」という声もあった。しかし、刑務所は刑を執行する施設であり、治療施設ではない。一応刑務所でも、特別改善指導といって、薬物依存症の受刑者には、それに見合った治療的指導が実施される。

 とはいえ、全員がそれを受けられるわけではないし、その実施期間は非常に短い。薬物依存症では継続的な長期的な治療やケアが必須であるが、それは刑務所の中では不可能である。

 しかも、エビデンスを見れば、刑務所など閉ざされた施設内での治療は、病院など社会内の治療に比べると著しく効果が劣っている。なぜなら、治療期間の短さに加え、当然のことながら、施設内では薬物の誘惑がないことが大きな理由である。

 したがって、本人はいわば「無菌状態」のなかで治療を受けることになり、自覚的には「依存症はもう治った」などと誤解してしまうことが少なくないのだ。

 これをよく示す実例として、タバコについても同じことがいえる。刑務所内ではタバコを吸うことができないが、なぜか受刑者はいとも簡単に禁煙ができてしまう。誘惑がなかったり、「絶対に吸えない」と認知すれば、吸いたい欲求も起こらないからだ。しかし、出所するとたちまち喫煙を始めてしまう。

 刑務所内では、逆に悪い仲間ができてしまうこともある。薬物仲間や売人とつながってしまうことがあるのだ。さらに、最悪の事態として、刑務所に入ってしまったら、家族や友人から縁を切られたり、仕事を失ったりすることもある。こうなってしまえば、出所後、誰からもサポートを得られず、孤立して再び薬物に手を出すリスクが高まることは言うまでもない。

 このように、刑務所内での治療には効果がないわけではないが、以上のようなさまざまな理由からその効果は小さく、ネガティブな影響すらある。

 一方、社会内での治療は、規則正しい生活を立て直しながら、それまでのライフスタイルを根本から見直し、仲間と手を切って、薬物への引き金を回避したり、誘惑に対処したりするスキルを「実地」で学びながら、そのスキルを磨いていく。

 したがって、逆説的に聞こえるかもしれないが、無菌室のような刑務所での治療よりも、日々誘惑のある社会内での治療のほうがより効果が上がるのだ。

国際社会の潮流

 上に挙げたような理由から、世界は「処罰から治療へ」という方向に大きく舵を切っている。実は、先進諸国のなかで、単なる薬物使用や所持で刑務所に入る国は日本くらいのものだ。

 これは何も他国は、薬物使用を容認したり、薬物使用者を甘やかしたりしているわけではない。処罰よりも治療のほうがはるかに再使用防止への効果が大きいことをエビデンスが示しているからだ。

 2016年4月、国連で「薬物問題特別総会」が開催された。その成果文書には、以下のようなことが記されている。

国際薬物規制三条約に従い、適切な場合には「非拘禁措置に関する国連最低基準規則(東京ルール)」等の関連する国連の基準及び規則を考慮しつつ、国内制度、憲法、法律及び行政制度を十分に考慮し、有罪判決又は刑罰に代わる又は追加の措置の開発、採用及び実施を奨励すること

 このように、薬物使用者への措置は、処罰から治療、教育、福祉のようなヒューマンサービスへの「ダイバージョン」が奨励されており、すでにEUの薬物政策ではそれがはっきりと実行されている。

費用対効果

 刑罰からのダイバ―ジョンには効果があるだけではなく、コストも低く抑えられるというメリットがある。

 コストについてのエビデンスを紹介すると、図に示したように、薬物対策として「何もしない」ことのコストが一番大きく、年間43,000ドルもかかる。これは、薬物による犯罪の増加とその被害、人的資源の損失、健康への害などが含まれる。

 次に刑務所収容は、年間40,000ドル弱となっている。わが国でも、受刑者1人当たり年間でおよそ380万円の税金がかかっている。

 それに比べて、社会内での治療は最もコストが小さくてすみ、およそ2,700ドルである。つまり、費用対効果の面でも、社会内での治療が最も優れているのだ。

Institute of Medicine, 1996 をもとに作成
Institute of Medicine, 1996 をもとに作成

 わが国の現状に話を戻すと、刑務所ではある程度の治療的処遇を受けることができる。しかし、「薬物問題は刑事司法の問題であって、医療の問題ではない」と長らく信じられてきたせいで、社会内の治療インフラが圧倒的に不足しているのは先に述べたとおりだ。これでは、治療を受けたくても受けられない。特に、地方に在住している人には深刻な問題である。

 したがって、「治療を受けて更生してください」と言うのはたやすいが、現実として簡単に治療が受けられないという実情がある。これは早急に国が対処すべき問題である。

 そして重要なことは、逮捕されてからでなく、本人が薬物をやめたいと思ったときにいつでも治療を受けられるようなシステムを構築することである。現状では、逮捕されることを恐れて、治療を躊躇する人が少なくない。これもまた、処罰を優先していることの弊害である。

 刑事司法システムを直ちに大きく変えることが難しいのであれば、せめて執行猶予になった人に対して、「あとは自力でどうぞ」という現行の対処ではなく、治療機関を紹介したり、あるいは「治療命令」のような方法で治療につなげたりすることができないだろうか。そうすれば、治療機関が非常に少ないという現状であっても、通院の費用や近隣への滞在費用を国が負担すれば、アクセスの問題はクリアできるし、それでもなお刑務所よりはコストが小さくて済むだろう。

薬物使用者の人権

 最後に何よりも重要なことを述べておきたい。それは、薬物使用者の人権への配慮である。薬物を使用したからといって、あるいはそれが犯罪であるからといって、ことさらにバッシングや揶揄をしたり、必要以上の社会的制裁を加えたりするようなことは、厳に慎むべきである。

 薬物使用者の人権については、国連薬物問題特別総会の成果文書においても、「薬物プログラム,対策,政策の文脈において,すべての個人の人権と尊厳の保護と尊重を促進すること」「社会的疎外を防ぎ、スティグマを持たない態度を促進すること」などと明記されている。

 その意味で、先に例を挙げた週刊誌には猛省を求めるとともに、薬物問題についてきちんと勉強をしてもらいたいと思う。これは国連決議違反だからである。

 これからは、薬物依存は刑事司法の問題というよりは、公衆衛生の問題だととらえるべきである。そして、本人の人権を尊重し、エビデンスに基づいた包括的で科学的な治療やケアを提供すべきである。それが何よりも本人と社会全体の幸福に資するからだ。

 もちろん薬物に手を出してしまったことについて、本人にも責任はある。あまりに「病気である」との側面に偏重しすぎてパターナリズムに陥ることは、本人の責任を軽視することにつながり、それもまた人権の軽視ということになる。

 しかし、だからといってバッシングや差別を続け、社会から排除して孤立させたところで、本人の責任の自覚や更生につながるだろうか。社会の一員として彼らを受け入れ、その人権を尊重しつつ、一人の人間としての更生を支援した先に、責任の自覚や依存症からの回復があるのだと思う。

筑波大学教授

筑波大学教授,東京大学客員教授。博士(保健学)。専門は, 臨床心理学,犯罪心理学,精神保健学。法務省,国連薬物・犯罪事務所(UNODC)勤務を経て,現職。エビデンスに基づく依存症の臨床と理解,犯罪や社会問題の分析と治療がテーマです。疑似科学や根拠のない言説を排して,犯罪,依存症,社会問題などさまざまな社会的「事件」に対する科学的な理解を目指します。主な著書に「あなたもきっと依存症」(文春新書)「子どもを虐待から守る科学」(金剛出版)「痴漢外来:性犯罪と闘う科学」「サイコパスの真実」「入門 犯罪心理学」(いずれもちくま新書),「心理職のためのエビデンス・ベイスト・プラクティス入門」(金剛出版)。

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