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精神医学を人格攻撃の道具にするな 看過できない「専門家」による小室さんへの人格攻撃

原田隆之筑波大学教授
(写真:つのだよしお/アフロ)

精神科医による人格攻撃

 前回の記事(眞子さまの結婚を巡る「対人攻撃」の不健全さ)で、SNSなどにあふれる小室さん夫妻への誹謗中傷の不健全さを批判した。誹謗中傷のような言葉の暴力は、それが向けられた相手だけでなく、それを発した本人の人格をも同時に貶めるもので、誰も幸せにはしないものだからである。

 その後、眞子さんも晴れて結婚され、私人となられたので、この話題に関する寄稿はやめようと思っていたのだが、1つ非常に問題のある記事を読んだので、不本意ながら再びこの問題を取り上げることにした。

 その記事は片田珠美さんという精神科医が、Webメディアで一見専門的に見える用語を並べ立てて、小室さんの人格を「分析」しているものである。しかし、それは「専門家の分析」に名を借りた人格攻撃であり、同じメンタルヘルスの専門家として看過できるものではない。

 あまりにも醜悪な内容なのでここに書くのもためらわれるが、その概要は以下のとおりである。

・小室さんは「無自覚型のナルシスト」の典型である

・その特徴は、傲慢で攻撃的、自己陶酔、他人の気持ちを傷つけることに鈍感ということだ

・特に注目したいのは、「送信器」はあるが「受信器」がない点である

・これらは「精神病質人格」であり、定義は「その人格の異常性に自ら悩む か、またはその異常性のために社会が悩む異常性格」である

・小室さん本人が悩んでいるようには見えないが、彼のことで日本社会は悩ん でいる

 びっくりするほどの差別的な誹謗中傷であり、これをあたかも事実であるかのように「専門家」がメディアを使って発信しているということに驚愕する。これらは専門的な分析でも何でもなく、単なる俗悪な人権侵害である。

 片田氏は小室さんが悩んでいるようには見えないというが、なぜ彼女はそこまで彼の内面がわかるのだろうか。単なるバイアスのかかった偏見ではないのだろうか。少なくとも私は、普通に考えて、一連の騒動で彼は相当悩み傷ついていると思う。また、私自身も日本社会の一員であるが、彼のことで悩まされてなどいない。

 さらに、「精神病質人格」「人格の異常性」などというに及んでは、甚だしい人格攻撃、誹謗中傷である。「精神病質人格」というのは、原語では「psychopathischen Persönlichkeiten」、つまり「サイコパス」のことである。

 片田氏の過去の記事をみても「悪性のナルシシズム」「情性欠如」(良心や羞恥心がない)、「広い意味ではサイコパス」「改善の不可能性」などと、これでもかというほどの度を超した人格攻撃のオンパレードである。

 まるで極悪犯罪者かと思うほどの非常に強い言葉ばかりであるが、果たして小室さんは、公共の場でこれほど罵られるに値するようなことをしたのだろうか。もし、単に気に入らない相手を根拠もなく「サイコパス」認定してマスメディアで発信しているのだとすれば、それはまさに精神医学というものを凶器として用いた暴力である。これを同じ分野で働く専門家は放置しておいてはいけない。明確な異議申し立てをすべきである。

何が問題か

 この記事の何が問題かをいくつか列挙したい。

 第1に、医師が直接会ったこともない相手に対し、情報を都合よく切り取りながら「診断」してみせることは、医師の倫理に反している。それを受け取った一般の人々は、医師の言うことだから正しいのだろうと思い込み、いわば「人格攻撃」に専門家のお墨付きを与えたようなものとなってしまう。

 第2に、診断というものは、そのような症状を有している人々を援助し、治療するために用いられるべきものであって、人格攻撃や誹謗中傷のために用いるべきものではない。ましてや、会ったこともない相手に対して「改善不可能」とまで言い切るのは論外である。

 第3に、これらの「診断」のどこにも科学的根拠がなく、本人の主観や印象に基づくものでしかない。片田氏が形ばかりの参考文献として挙げているのは、いずれも非常に古い文献であり、たとえば精神病質の定義となったシュナイダーの論文は1954年のもので、もはや過去の遺物である。シュナイダーは精神医学史に残る巨人であり、その業績は歴史的な偉業である。しかしその後、その定義は洗練され、大きく変遷している。

 もう誰も使っていないような古めかしい定義に固執し、最新の研究成果を知らないのであれば、そのような人を専門家と呼んではいけない。昨年、私は精神科医向けの専門誌から依頼され、サイコパス概念の変遷について論文にまとめたので、これを読んで勉強してほしい。1)

 第4に、相手が社会を震撼させた犯罪者であったり、問題を起こした権力者であったりするなど、その人格を分析することに何らかの社会的意義や利益がある場合ならともかく、一人の私人を攻撃的な「専門用語」を用いて「分析」してみせたところで、それには何の価値もないばかりか、明白な害がある。

荒唐無稽な分析

 片田氏の「分析」は、事実やデータを集めて「診断」したというよりは、まず自分があてはめたい「診断」があって、それに沿うような形で小室さんの言動を大きく歪曲して説明しているところである。つまり、「分析」自体も正しくない荒唐無稽なものである。

 たとえば、結婚直前に小室さんが秋篠宮ご夫妻と面会した折に、記者から司法試験の出来栄えを聞かれ「大丈夫です」と答えたことについて、片田氏はこのように「分析」する。

その背景には「実際あるより以上によく見えるように」という願望があったと考えらえる。こうした願望が人一倍強く、「あらゆる種類の詐欺並びに欺瞞が問題となる」タイプを、ドイツの精神科医クルト・シュナイダーは、その著『精神病質人格』で「自己顕示欲型」と呼んだ。

 これなどは、司法試験不合格の可能性が報じられた後の後出しもいいところである。

 しかも、別におどろおどろしい精神障害などを持ち出さなくても、単に記者の煩わしい問いかけをスルーするために「大丈夫です」と答えたととらえるほうが自然ではないだろうか。最近の2、30代くらいの人は、大丈夫じゃなくても大丈夫でも、便利な回答として「大丈夫です」を用いることくらい誰でも知っている。

 その言葉尻をとらえて、「あらゆる種類の詐欺並びに欺瞞」「精神病質人格」などに結び付けるのは、どう考えてもきわめて不適切である。

 また、別の記事でもニューヨークで小室さんが記者の問いかけを無視したことをあげつらって、以下のように「分析」してみせる。

フジテレビの記者に対する“ガン無視”は、日本国民に悪い印象を与えたという点で「しくじり行為」と呼んで差し支えないだろう。こうした「しくじり行為」は「2つの意図の干渉によって生じる心的行為」であり、「意味がある場合が比較的多い」とフロイトは述べている。

 フロイトのいう「しくじり行為」とは、ちょっとした言い間違いや勘違いのようなものを指すが、日本国民に悪い印象を与えたから「しくじり行為」だというのは、これもまた後付けもいいところである。しかも、片田氏は小室さんに悪い印象を持ったのかもしれないが、ストーカーまがいの記者のほうに悪い印象を持った人も少なからずいるはずである。

 片田氏はさらに小室さんの内心を「分析」し、本心は「記者会見なんかしたくない。これまで僕を叩き続けてきたマスコミなんか無視したい」という意図の表れだと何の根拠もなく言ってのける。

 そして、もしそれが本心ならば、帰国の飛行機に乗り遅れたり、帰国したとしても成田空港で記者の問いかけに本音をもらしてしまったり、はては記者会見で言い間違いをしたりといった「しくじり行為」をするのではないかと予測し、「報道陣の奮起に期待したい」と結んでいる。

 実際、片田氏の期待していたようなことは何ひとつ起こらず、見事に予測が外れたわけであるが、外れて当然である。そもそもが荒唐無稽で意地の悪い憶測にすぎないからだ。

専門家の責任

 片田氏は、「精神科女医のたわごと」というタイトルで、webメディアに連載を持っているようで、その連載記事のなかで執拗に小室さん夫妻を槍玉に挙げている。ここに列挙した記事はまだましなほうで、過去の記事に至ってはさらにひどいものがたくさんある。

 その連載の目的として片田氏は「精神科医として臨床に携わり、臨床経験にもとづいて、犯罪心理や心の病の構造を分析。社会問題にも目を向け、社会の根底に潜む構造的な問題を精神分析的視点から分析」と書いている。

 しかし、上に挙げたような一連の記事は、専門的な裏付けを欠いたものであり、いみじくも自身でタイトルに書いているように「たわごと」にすぎない。

 専門家として「社会の根底に潜む問題」を分析したいのならば、ゴシップ的な報道の片棒を担いで人格攻撃をするのではなく、もっと社会的意義の大きなことに対し、印象や憶測ではなく、最新の科学的知見をもとに、真に専門的な見地から分析をしてもらいたいものだ。それが専門家の社会的な責任というものである。

 精神医学はこれまでも優生学や保安処分、患者への暴力や虐待など、差別や人権抑圧に加担した苦い歴史がある。そのために、精神医学に携わる者は、それが両刃の剣になる危険性があることに常に注意を払いながら、その愚を繰り返さないように常に自己点検をする必要があるのであり、これもまた専門家の責任であろう。

 私は片田氏に問いたい。あなたが学んだ精神医学というものは、就職や結婚したばかりの前途ある若者に、呪いの言葉を投げかけ続けるための道具なのですか。あなたは精神医学でたくさんの悩める人々や心を病んだ人々を助けてきたのではないのですか。だとしたら、誰も幸せにならないことはやめて、その知識や経験を人々の幸福を支えるほうに振り向けるべきではないのですか。

1) 原田隆之 精神病質から反社会性パーソナリティ障害へ 精神科治療学35(9),983-988, 2020.

追記

この記事を書き上げた後、恩師岡庭武先生の訃報が飛び込んできました。享年94歳でした。先生は真の社会派精神科医として、戦後間もなくいわゆる「未復員」の人たちの「戦争神経症」の治療に当たられ、その後は復帰前の沖縄離島の僻地精神医療に奮闘されました。大学では学生のメンタルケアの草分けとして尽力されました。いつも社会の片隅に暮らす弱い者たちに温かい手を差し伸べてくれる温かくて大きな存在でした。たくさんのことを教えていただき、たくさんの愛情を注いでいただきました。何のご恩返しもできないままだったこと悔やんでも悔やみきれません。心からご冥福をお祈りします。

筑波大学教授

筑波大学教授,東京大学客員教授。博士(保健学)。専門は, 臨床心理学,犯罪心理学,精神保健学。法務省,国連薬物・犯罪事務所(UNODC)勤務を経て,現職。エビデンスに基づく依存症の臨床と理解,犯罪や社会問題の分析と治療がテーマです。疑似科学や根拠のない言説を排して,犯罪,依存症,社会問題などさまざまな社会的「事件」に対する科学的な理解を目指します。主な著書に「あなたもきっと依存症」(文春新書)「子どもを虐待から守る科学」(金剛出版)「痴漢外来:性犯罪と闘う科学」「サイコパスの真実」「入門 犯罪心理学」(いずれもちくま新書),「心理職のためのエビデンス・ベイスト・プラクティス入門」(金剛出版)。

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