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効果なしどころか有害、でも「空間除菌」を導入 ニセ科学を信じる心理とは?

原田隆之筑波大学教授
(写真:Paylessimages/イメージマート)

専門家を無視する人々

 コロナ禍のなかで見聞きした最も奇妙な現象の1つに、素人が専門家の意見を無視したり、果ては「にわか専門家」になって、滔々と意見を披歴するという現象があります。

 たとえば、感染症の専門家はもう1年以上も「空間除菌には効果はない。むしろ有害である」ということを説き続けています。また、空間除菌をうたった商品のなかには、消費者庁などから措置命令などが出されたものもあります。

 いわば空間除菌は「ニセ科学」の代表のようなものです。にもかかわらず、つい先日もAKB48のコンサート会場に、大規模な空間除菌装置が設置されただけでなく、主催者は感染予防対策として大々的にアピールしていました。彼らは、この1年の間に一体何を学んだのでしょうか。あるいは学んでいないのでしょうか。

 こうした態度が極端になると、ニセ科学を通り越して「コロナは風邪」「ワクチンは毒」などといった反科学にまで行きつきます。

態度が変わる人々

 このような例は枚挙に暇がありません。政府もその例外ではありません。これもつい先日、東京五輪を観客を入れた形式で開催する場合、観客には「陰性証明書」の提示を求める案を検討していると報じられました。

 陰性証明書なるものについても、専門家は一貫して批判的な態度を取っており、ニセ科学に近いものだと言えます。厚生労働省も、こうした証明書は検査の時点で陰性の結果が得られたというだけにすぎないこと、さらに実際は罹患していても陰性と判定される「偽陰性」の可能性もあることなどから批判的な立場でした。国や政府は、オリンピックになると態度が変わるのでしょうか。

「にわか専門家」になる人々

 このような専門家軽視、エビデンス軽視は野党とて同じです。国民民主党の大塚耕平議員は、自らのツイートでこのように述べていました。

 ゲームチェンジャーはワクチンよりも治療薬と述べていますが、そのような主張をしている専門家はほとんど見たことがありません。罹ってから治すよりも、罹ることを予防するほうが望ましいことは言うまでもありません。

 また、イベルメクチンについては、多くの専門家が現時点では懐疑的な見解を述べているほか、WHOを始め「新型コロナウイルス感染症には使用を推奨しない」という意見が主流です。それは、現時点でその効果を支持するエビデンスがないからです(これは効果がないという断定ではありません。あくまで現時点ではよくわからないということです)。

 イベルメクチンをフォローするのは自由ですが、リンクが貼られた自身の公式サイトでは、イベルメクチンがあたかもコロナの特効薬であるかのように紹介されています。そこではいくつかの臨床試験の結果を引用されていますが、専門家はそれらの研究の質が低いことなどから、エビデンスが不十分であると指摘しているのです。

 専門家の意見を無視する人々の心理

 専門家の意見を無視する人々のには、このようなさまざまなパターンがあるのですが、その心理にもさまざまなパターンがあります。

 第1に挙げられるのは、「見たものがすべて効果」です。これはその名のとおり、自分が見たものだけで物事を軽率に判断する傾向のことです。空間除菌機器を見れば、ミストのようなものが放出され、あたかも除菌をしてくれているように見えます。だから効果があるに違いないと、見た目だけで判断するのです。しかし、ミストを吸い込んで気管などにダメージを与えているということは目に見えません。彼らは目に見えないことは、「存在しないこと」として無視します。

 陰性証明書も同じです。そこに「陰性」と書かれていれば、それがすべてです。「偽陰性」などというものは目に見えません。だから、陰性証明書は正しいと信じ込むのです。

 第2は、「認知的不協和」です。これは、自分の信じたいことと矛盾する意見や事実が出てきた場合に起こる心理状態です。矛盾状態を放置することは、心のなかで不協和が生じて不安を抱くので、信じたくない意見をなかったものとして無視します。無視するだけでなく、その意見を述べる人を攻撃したり、貶めたりすることも往々にして起こります。

 SNSなどを見ているとよくあることですが、たとえばイベルメクチンの効果を信じたい人は、冷静なエビデンスを提示されると、その相手を執拗に攻撃します。自分が信じたいことを脅かされる不安(認知的不協和)があるからです。もっと掘り下げると、彼らにはコロナに対する強い不安があり、その不安を打ち消してくれる存在としてのイベルメクチン(少し前はアビガン)にすがりたいのです。

 第3に、これが発展すると「確証バイアス」となります。これは、自分のもともと有している考えに合致する情報だけを取り入れ、それ以外のものは無視するというフィルターのような認知のゆがみです。こうなると専門家が何を言っても、そのゆがんだフィルターではじかれてしまい、頭のなかには入らなくなっています。

 第4は、「ダニング・クルーガー効果」です。これは、アメリカの心理学者ダニングとクルーガーが実験で見出した現象で、無知ゆえに自信過剰になる現象を指したものです。無知な人、専門外の人は、わずかな情報に頼り切ってしまい、それ以外のものが見えなくなってしまい、その結果、断定的で自信過剰になるのです。

 不完全で誤った知識のために間違いを犯しているのですが、自分が間違っていることや、他の人がより正しい情報を持っていることにすら気づくことができません。

 一方、専門家はたくさんの情報を持っており、それらの確からしさについても熟知しています。多様な物の見方ができ、十分なエビデンスがない限りは、あいまいな物言いになります(「まだ因果関係はわからない」「現時点では何とも言えない」など)。

 コロナ禍のなかで、人々はニュースやSNSを通して、さまざまな情報に接しています。そのうちに、あたかも「にわか専門家」になったように錯覚していしまうのです。しかし、その情報量は、専門家の持っている情報とは量においても質においても比べようもないのですが、そのことにすら気づいていないのです。

 これらの心理に加えて、一層厄介なのは、科学的事実やエビデンスに、イデオロギーや政治的立場を絡めて論じようとする態度です。もちろん、どんな主張や価値観を持つことも自由だし、それを表明することも自由です。しかし、科学的事実はそれらとは独立したところにあります。

 先に挙げた例でも、「オリンピックを開催したい」「政府を批判したい」「ワクチンを強制されなくない」などといった態度や価値観を持つことは自由です。しかし、だからといって科学的な事実から目を背けたり、それをゆがめたりすることは、ときに重大な判断ミスにつながります。

処方箋はあるのか

 それでは、このような人々に対する有効な「処方箋」はあるのでしょうか。これらは、いずれも頑固な認知のゆがみに基づくものであり、正すのは困難です。しかし、対策がないわけではありません。

 まず心がけるべきことは、常に自分の意見を疑ってみるということでしょう。ひとまず冷静に客観的になって、反対意見や自分と異なった考え方にオープンになり、相手の視点から物事を検討してみることが大切だと思います。

 そして、「自分が信じたいこと」と「現実」は、ときに乖離しているかもしれないという態度で物事を見つめることが重要です。

 最も重要なことは、エビデンスに対するリテラシーを身に付けることです。これは日本の高等教育のなかで決定的に欠けているものです。しかし、コロナ禍において、これがいかに大切かを痛感しています。

 論文やデータであれば、なんでもエビデンスとなるわけではありません。データそのものは玉石混交であり、「エビデンスの強さ」「質」「確からしさ」には違いがあります。これを見きわめる力は、一朝一夕で身に付くものではないため、やはり系統的な教育が必要ですし、自己研鑽に励むことも必要でしょう。

 この点から言うと、「専門家が述べることは正しい」と無批判的にとらえることもまた危険です。専門家だって意見が異なることは日常茶飯事であるし、彼らの意見を妄信する「信者」になることもまた、エビデンスリテラシーの真逆にある態度です。このとき、必要なのは、専門家はどのようなエビデンスに基づいて意見を述べているのかを吟味できる力です。

 ここまで述べてきて、専門家の意見を軽視したり、無視したりすることは危険であるけれども、専門家を信じることも危険であるという禅問答のような結論になってしまいました。まさに認知的不協和が生じてしまうかもしれませんが、そこから逃げずに、科学的リテラシーを磨く訓練をすることなくしては、根本的な解決はないのです。

筑波大学教授

筑波大学教授,東京大学客員教授。博士(保健学)。専門は, 臨床心理学,犯罪心理学,精神保健学。法務省,国連薬物・犯罪事務所(UNODC)勤務を経て,現職。エビデンスに基づく依存症の臨床と理解,犯罪や社会問題の分析と治療がテーマです。疑似科学や根拠のない言説を排して,犯罪,依存症,社会問題などさまざまな社会的「事件」に対する科学的な理解を目指します。主な著書に「あなたもきっと依存症」(文春新書)「子どもを虐待から守る科学」(金剛出版)「痴漢外来:性犯罪と闘う科学」「サイコパスの真実」「入門 犯罪心理学」(いずれもちくま新書),「心理職のためのエビデンス・ベイスト・プラクティス入門」(金剛出版)。

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